連載[科学再考] 第3部 頼られるために(上)『読売新聞』 2013年12月2日付

『読売新聞』 2013年12月2日付

連載[科学再考] 第3部 頼られるために(上)

政策に研究成果どう反映させるか

「南海トラフ巨大地震では、5分ぐらい揺れます。1分以上揺れが続いたら、津波が来る。逃げて」

先月21日、兵庫県南あわじ市の公民館で開かれた講演会で、高知大特任教授の岡村真(64)が力を込める。想定震源域を表す地図をスライドに映し、同市南端も域内に含まれることを示すと、約200人の聴衆がどよめいた。

地図は昨年3月、内閣府が設置し、岡村も委員を務めた「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が発表したものだ。地震の規模はマグニチュード(M)9級に引き上げられ、震源域は従来想定から2倍に広がった。想定が変わった理由の一つは、東日本大震災前にはほとんど顧みられなかった岡村の研究成果が認められたからだった。

■方針転換

岡村は、津波堆積物の専門家だ。高知県土佐市の池にある約2000年前の地層から厚さ約50センチの津波堆積物を発見し、2010年に学会で発表した。当時、南海トラフ周辺で起きた地震では最大級とされた宝永地震(1707年)の津波堆積物は15センチほど。発見結果から、大昔に超巨大地震が起きた可能性を指摘した。

東日本大震災後、岡村の研究は一躍注目を浴び、国の防災対策にも反映された。ただ、岡村は冷静に受け止めている。「研究者は求められれば、自分の研究データを基に、言えることを話すだけだ」

岡村の手帳は、講演予定を記した赤や黒の文字で埋まる。10月は15回、11月は17回。地震学が今、市民に伝えられることを説いて回っている。

■葛藤

自然災害の防災対策に限らず、科学的な知見が求められる国の政策は増えている。だが、専門家の間で意見が割れたり、行政と科学者の間で摩擦が生じたりと、一筋縄でいかないケースも多い。

実は、南海トラフ巨大地震の想定震源域を拡大した同検討会でも、参加した専門家らは様々な思いを抱えていた。

「何でもありは、科学じゃないだろう」。岡村とともに委員を務めた京都大教授の橋本学(56)は、議論の多くの場面でそんな感想を抱いたという。

岡村らの研究成果から、地震や津波の規模の想定を引き上げることに異存はなかった。しかし、過去の地震記録などのデータが重視された従来の国の会議と異なり、「発生の可能性が否定できないのなら」と、想定震源域を大幅に広げる方向で議論が進んだことに抵抗を感じた。

修正を促す発言もしたが、最終的には検討会の方針に同意する。ただ、違和感は今も残る。「地下や海底でどのような破壊が起きるのか。まだ誰も分からないのに、国の結論があたかも真実であるかのように伝わってしまう。科学と行政の境界線はきちんと示す必要がある」

■危機感

東日本大震災を経験し、地震学は変わった。一方で、経験のなさゆえに、国の動きが鈍い分野もある。一例が、感染症だ。近年は国全体がパニックに陥るような大流行は起きておらず、専門家らは「新たな感染症が次々と発生する今の時代に日本は追いついていない」と口をそろえる。

世界保健機関(WHO)は「公衆衛生上の脅威となりうる全ての事象」について、迅速な通告を求めている。だが日本では、感染症法で定められた疾患しか、保健所への報告を義務づけていない。医師が未知の感染症にかかった患者を診て、「変だな」と感じても、その情報が伝達される保証はない。

「日本は、感染症の基礎研究は強いものの、疫学調査の重要性が軽視されてきた。最新の医療体制を根拠に、大流行は起きないとの楽観論も根強い」。WHOで長く勤務した東北大教授、押谷仁(54)は危機感を抱く。

国の姿勢が変わらないのなら、現場が動くしかない。押谷が委員を務める日本公衆衛生学会の感染症対策専門委員会は10月下旬、津市で「感染症疫学分析のための研修会」を初めて開いた。医師や保健師ら約50人が9グループに分かれ、深刻な集団感染のシナリオをもとに約1時間、対策や危険度などを議論する机上訓練を行った。

押谷は言う。「危機的状況にまで陥らなければ、国は動かないかもしれない。でも、それまでに科学者が行動すれば、事態は、少しは変わるかもしれない」 (敬称略)

連載第1部では「3・11」後の科学と社会の関係を、第2部では「リスク社会」における科学技術のあり方を見てきた。最終章の第3部では、「市民に信頼される科学」を実現するためには、何がまだ足りないのかを考える。

◆2機関政策に関与

科学技術政策に関わる代表的な機関としては現在、「総合科学技術会議」と「日本学術会議」がある。

総合科学技術会議は2001年、「総理大臣及び内閣を補佐する『知恵の場』」として内閣府に設置された。閣僚7人と有識者ら8人で構成。原則月1回の本会議で、科学技術関連の国家予算や、国として重要な研究テーマなどを話し合う。同会議の結論は順次、政策に反映される。

日本学術会議は、1949年に設立された科学者の代表機関だ。科学的な事柄について科学者側から問題提起し、政府に勧告や要望、提言などを行う。強制力はないが、同会議事務局は「種々の政策を後押しする役割を果たしている」としている。

 

 

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