『読売新聞』 2013年12月16日付
連載[科学再考] 第3部 頼られるために(中)
論文の質 どう向上させるか
■量産の秘策?
インターネットで公開されている「論文倍増計画」と題された文章が、研究者らの間で話題を集めている。
「銅に関する論文を出したら、次は鉄で同じ実験をする。素材を次々に変えて論文を書く」「『○○相転移に関する動的○○理論 7』などとやれば、最後までついて来る人はほとんどいないので、同じ話を何度繰り返しても分かりゃしない。レフェリー(論文審査員)だってうんざりして通してくれる」等々、研究論文を量産する「秘策」の数々が披露されている。
「もちろん、ジョークですよ」。文章を自身のホームページで掲載している大阪府立大理学系研究科客員教授の萱沼洋輔(69)が笑う。
ジョークの裏に込めたのは、昨今は論文が「粗製乱造」されているのではないかという強い危機感だ。「目先の研究成果と論文の数だけが評価されがち。論文が出るまでに何年もかかるような分野が衰退しないかとも懸念している」
■注目度も低下
2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大教授の山中伸弥(51)によるiPS細胞(人工多能性幹細胞)の開発、小惑星探査機「はやぶさ」の成功(10年)など、日本の科学研究は世界をリードしている分野も多い。総務省のまとめによると、日本の科学技術研究費の総額は11年度で約17兆3800億円。国内総生産(GDP)比で世界第4位の巨費が投入されている。
しかし最近、独創的な研究成果が出なくなっていることや、研究レベルの低下を指摘する声が高まっている。
懸念を裏付けるデータもある。文部科学省の科学技術・学術政策研究所がまとめた「科学技術指標」によると、日本の大学や研究機関から発表される研究論文のうち、国際的に注目されるものは徐々に減っているのだ。
米情報調査会社が発表する論文引用回数ランキングで上位を占める論文数の国別集計で、日本は00~02年には25か国中4位だったが、10~12年には8位に下がった。科学技術予算に詳しい鈴鹿医療科学大学長、豊田長康(63)がさらに、こうした注目度の高い論文数を人口100万人あたりで見たところ、日本は21位となり、台湾や韓国よりも下になった。
■予算不足
退潮の要因は何か。
同研究所は、近年は中国を筆頭に各国の論文数が増加したため、日本の地位が相対的に低下したと分析。共同研究は国内の研究者同士が多く、注目論文の出やすい国際共同型が少ないことも指摘している。
これに対し、豊田は科学研究への予算配分を問題視する。
国は近年、高い研究力を持つ大学や研究機関に予算を集中する「重点化」を進めるとともに、人件費や施設の維持などに使われる運営費交付金を、財政的な理由から削減し続けてきた。
日本の基礎研究を支える国の科学研究費補助金(科研費)は、13年度総額が約2300億円に達し、年々増加。一方、この10年間の運営費交付金の削減総額は約1200億円。北海道大の年間予算を上回る規模だ。
「以前は地方大学からも、注目度の高い論文がたくさん出ていた。重点化のあおりで交付金が減った結果、若手研究者を雇えなくなり、雑務も増えるなど、質の高い論文を発表しづらい環境になっている」と指摘する。
■白熱討論
「新規の申請は研究実績がないと採用されにくい。成果が見込める内容で申請しがち」「結果的にホームラン論文でなく、バントヒット論文が量産される」――。今月5日、日本分子生物学会が神戸市で開いた公開討論会「生命科学研究を考えるガチ議論」では、研究体制の問題点を追及する声が次々と上がった。
パネリストを務めたIT企業の役員から「産学連携ばかりやっていると、企業の手先になる。目先の研究は企業がやるので、大学や研究機関は遠い目標を掲げてほしい」とのエールも飛び出したほか、「予算を左右する政治に、科学界がロビイングなどの手段で働きかけをすべきだ」という意見も出た。討論会企画者の一人である藤田保健衛生大教授の宮川剛(43)は「社会とのつながりを意識し、重要性を訴えていくことが大切ということに、研究者がようやく気づき始めた」と話す。
惑星研究で知られる東京大名誉教授の松井孝典(67)が強調する。「日本の科学政策は科学と技術の境目があいまいで、単なる技術開発が『科学』として通用してきた。研究の質を高めるには、自然の仕組みを理解するといった科学の根っこの部分を削ってはいけない」
iPS細胞研究やスーパーコンピューター開発のような次世代の産業に直結するプロジェクトから、研究者がひらめいたばかりのアイデア段階のものまで、サイズも内容も様々な科学研究を、どうバランスよく進めるか。日本の科学政策の理念が問われている。(敬称略)