増えた博士、足りぬ仕事 4割が安定した職に就けず『朝日新聞』2013年07月6日付

『朝日新聞』2013年07月6日付

増えた博士、足りぬ仕事 4割が安定した職に就けず

 【岡雄一郎、河原田慎一】せっかく博士課程まで勉強しても、安定した職に就いたのは半数だけ――。昨年の文部科学省の調査で、そんな実態が明らかになった。成長戦略に欠かせない技術革新の担い手として期待される人材なのに、就職先が足りないのだ。

■教員への就職、難しく

 「正規雇用」と「非正規雇用」――。文科省は昨年、博士課程を終えた後の進路について、初めてこんな区分を設けて調べた。

 昨春の修了者1万6260人のうち、無期雇用の正規職員は8529人(52%)。一方、1年以上の有期雇用の非正規職員は2408人(15%)、主に1 年未満の「一時的な仕事」855人(5%)、進路が決まらない「就職も進学もしない」3003人(18%)。つまり、安定した職に就かない博士が計38% に上った。

 この「非安定雇用」の割合は専攻分野で差がある。医学や薬学などの「保健」は24%と低いが、「農学」53%、数学や物理学などの「理学」57%、文学などの「人文科学」は60%。「すぐに利益につながらない基礎研究などの分野は、特に企業への就職が難しい」と文科省の担当者はみる。

 なぜか。1991年度からの15年間で博士課程修了者は2・6倍に増えた。「研究者の需要が広がる」として国がその方針をとったからだ。だが、就職先は整わなかった。

 修了者の多くは、大学の教員職に就いてきた。91年には、博士課程修了者6201人に対し、全国の大学教員採用者は計8603人。09年には、教員採用者は1万1066人に増えたものの、修了者1万6463人を下回った。大学数は増えたが、教員の定年延長や人件費の抑制でポストが空きづらい状況だ。

 企業への就職もふるわない。国が製造業を中心に主要企業へ尋ねたところ、新卒の博士を研究開発者として採用した企業は7%のみ(10年度)。07年度の同じ調査では「過去5年間、博士を採用していない」企業が42%を占めた。

 野村総合研究所は10年、博士の進路に関する報告書で、「企業の博士に対する評価は低くはないが、修士より能力が特に優れているとみられず、『協調性』といったチームワークに課題があるとの指摘も多い」などと分析している。

 そんな中、博士課程へ進む割合は減ってきている。02年度に修士全体の14・1%だった「進学者」は、12年度には9・6%まで下がった。「東京大ですら、先の見通せない博士課程は修士の間で『貧乏くじ』とも言われる」(文科省幹部)との声もある。

■「ポスドク」活用模索

 「非正規」の多くは、「ポストドクター(ポスドク)」と呼ばれる任期付き研究者だ。主に数年間の研究事業ごとに雇われるが、その後の地位の保証はない。その数、1万5220人(09年度)。「ポスドク問題」と呼ばれる。

 文科省は、企業と協力して約3カ月の就業体験を博士課程の学生にさせる事業を08年度に始めた。その後の4年間で379人が就職にこぎ着けた。また、06年度からは、高い実績を残したポスドクに無期雇用のポストを用意する大学に、補助金を出している。

 政府は先月まとめた「成長戦略」で、「イノベーション(技術革新)の推進」を柱の一つとし、大学や研究機関の環境整備や民間の研究投資促進を目標に掲げた。しかし、ポスドク問題解決の道のりは遠い。

 国の総合科学技術会議議員の原山優子・東北大名誉教授(科学技術政策)は「博士号取 得者の活躍の場が限られた現状は、国の施策だけでは変わらない。研究機関は、社会で活躍できる人材育成と研究に努める姿勢がこれまで以上に必要だ。企業 も、国内の高い研究水準の維持が将来的に自社に利益をもたらすという視点に立って、研究者育成に協力してほしい」と話す。

■「橋渡し」力入れる大学

 博士やポスドクの就職支援に、独自に力を入れる大学も出てきた。企業でのインターンシップの紹介や就職相談ができる支援センターは、全国30以上の大学にできているという。

 中でも、名古屋大が06年に設けた「ビジネス人材育成センター」は最大規模だ。登録している院生やポスドクは約1200人。約6割は名大以外で、全国から利用があるのが特徴だ。

 開設以来約460人が就職。専門外の職に就く人も約3分の1いる。センターの森典華特任准教授は「1500社以上の企業を回り、博士を採用する利点を伝えてきた」と話す。

 名大大学院工学研究科でポスドクをしていた伊藤俊成さん(35)は09年、再生医療に関わる企業に就職。2年間のポスドク時代は450万円の年俸制で、研究費が続く保証もなかった。「社会とつながっていたい」との思いがあったという。

 専門は生物工学で、細胞の培養の経験もあるが、仕事は病院を回る営業職。重いやけどで人工皮膚が必要になると、保冷バッグを抱えて病院に駆けつけ、培養のための患者の皮膚を受け取る。「学会の最新情報を医師に伝えるなど、研究者から営業へという珍しさが『売り』になっている。研究室で培った忍耐力、論理的思考力が強み」と話す。

 日本科学未来館(東京都)で展示を紹介する科学コミュニケーターを務める石川菜央さん(34)は、名大大学院環境学研究科で人文地理学が専門だった。あらゆる分野の科学技術を扱うため、勉強の毎日だ。

 博士課程に入ってすぐ、センターに通った。「こういう人がいる、道がある、と具体的に示してくれた。研究職以外のことを考えるうえで心のよりどころだった」

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