気象・生物 学部横断で 信州大山岳科学総合研究所『日本経済新聞』2013年5月30日付

『日本経済新聞』2013年5月30日付

気象・生物 学部横断で 信州大山岳科学総合研究所

長野県は3000メートル級の山々が連なる北アルプスを擁する。信州大学山岳科学総合研究所(長野県松本市)は2002年に自然と人の共生について幅広い視点から研究するために発足した。テーマは山岳地の気候変動や生態系、山村文化、高地医学、環境に配慮したデザインまで幅広い。理、農学部を中心に全8学部の研究者約90人が所属する横断型組織だ。

上高地で水生昆虫を採取し生態系の解明につなげる 

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 「北アルプスは地殻変動が活発で、地質学的には若い山域。生物は同じ種類でも標高や環境の差によって遺伝子レベルでは異なる場合もある」。理学部准教授の東城幸治(41)は話す。多くの観光客が訪れる上高地を流れる梓川は、約1万年前には岐阜県側に流れていたとされる。東城はカゲロウやカワゲラなど水生昆虫を国の許可を得て採取し、生息環境がどう変化したかを解析する。

 山という共通の研究フィールドを持つ専門家らが、分野を越えて連携するのが山総研の大きな特徴だ。上高地や乗鞍高原などに設けた「ステーション」と呼ぶ拠点をベースに、共に野外調査や観測を実施。共同論文の執筆まで手掛ける。

 研究は過去を振り返るだけではない。例えば北アルプスには貴重な自然が残るが、同じ種類でも遺伝子が異なる植物を「近づける」のは好ましくない。遺伝子解析は環境保全や希少種の保護の手法が適切かどうかを判断する材料にもなる。

 「信州は気象や生物、環境保護や観光まで密接に関わる部分が多く、1990年代から学部横断型の研究所構想があった」。山総研所長兼理学部教授の鈴木啓助(59)は振り返る。04年の国立大学法人化を経て、他校にない特徴を打ち出そうという機運が高まり、06年から山総研の活動は本格化。「学内に山好きの先生が多く、縦割りを打ち破る共同研究が一気に広がった」と鈴木は笑う。

 山総研は市民向けの情報発信にも力を入れる。特にユニークなのは11年に発足した「友の会」制度だ。年会費は3000円(学生500円)で、現在の会員数は約150人。「キノコを学び紅葉を愛(め)でる」などの体験型研修会や上高地で生物について学ぶ談話会、研究成果をまとめたニュースレター配信まで幅広いメニューがある。

 「山の自然の素晴らしさを広く伝えることが環境保護につながる。市民と直接ふれ合うことで研究者の刺激にもなる」(鈴木)。イベントは中高年の登山愛好者を中心に、長野県外からの参加も目立つという。

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 独特の自然環境を生かして、若手も育ち始めている。山総研専任助教の江田慧子(28)は環境省のレッドリストで絶滅危惧種に指定されるチョウの一種で、本州では長野県だけに生息するオオルリシジミの生態を研究。日本学術振興会(東京・千代田)が若手研究者を支援・奨励する12年度の「育志賞」を受賞した。

 「人の手が入っていない場所より野焼きをした場所のほうがオオルリシジミは生きやすい」。江田が語るように、環境保護は人々の暮らしの変化とも深く関わる。山総研の最終目標は「自然と人の共生」。ネパールの大学と交流協定を結ぶなど国際連携も進めながら、山岳科学を新たな学問領域として定着させたい考えだ。 

=敬称略

(馬淵洋志)

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