北九州学研都市 もっと大きく育てるには『西日本新聞』社説2011年10月21日付

『西日本新聞』社説2011年10月21日付

北九州学研都市 もっと大きく育てるには

 北九州市の若松、八幡西両区にまたがる広大な丘陵地に「北九州学術研究都市」が誕生したのは2001年のことだ。

 約330ヘクタールの敷地はいまなお開発途上にある。この一角に九州工業大学、北九州市立大学、早稲田大学が誘致された。

 北九大は国際環境工学部を、九工大は大学院生命体工学研究科を、早大は理工学総合研究センター九州研究所を、ここに開設した。成り立ちが違う国、公、私立大が一つのキャンパスに集まった。

 これは先駆的な試みだった。

 産学協同というと「反対」となる。大学組織も研究者の意識も硬直的だった。これを変えたいと考えた。学研都市実現を後押しした一人で元東京大学総長の有馬朗人・元文相は、こう解説する。

 製鉄業を中心に発展してきた北九州市は産業構造の転換を模索していた。このために当時の末吉興一市長は新たな産学連携の拠点をつくろうと考えていた。

 そして、アジアの中核的な研究拠点になる。こんな関係者の思いが結実した。

 それから10年たった。学研都市はどのくらい成長しただろうか。開設時は学生が約300人、うち留学生が約30人、進出企業は5社だった。それが、大学生と大学院生で約2300人、うち留学生が約520人、進出企業は50社を超えた。

 産学連携は、九州の主力産業である自動車、半導体をはじめ、ロボットや環境・エネルギー、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーなど広範囲に及ぶ。

 北九州市消防局勤務だった山家桂一さん(現・小倉南区長)の発案を、シャボン玉石けんと北九大の上江洲一也教授が形にした新たな泡消火剤などもある。

 産学連携は徐々に実を結んでいる。

 一方、アジアとのつながりはどうか。中国の清華大学、上海交通大学、北京大学が相次いで北九州学研都市に研究室を設け、早大などと共同研究に取り組む。

 清華大が海外に研究室を構えたのは学研都市が初めてという。さらに、台湾の三つのサイエンスパーク(科学工業園区)や韓国の光州テクノパークとも協定を結び、人材交流などを進めている。

 学研都市は東アジアの大学、研究所を結ぶネットワークの一角を占め、そこから新たな産業の芽も生まれてきている。

 ただ、知の集積が進んだとはいえ、規模はまだまだ小さい。約300の研究機関・企業と1万人以上の研究者を擁する筑波研究学園都市や、大阪府と京都府、奈良県にまたがる関西文化学術研究都市などとは、もちろん比べようもない。

 だから、これぐらいできたら十分だ、と現状に安住されては困る。北九州市の都市再生の原動力となることが期待されているのだ。さらに上を目指し、もっと大きく育ってもらわなければならない。

 10周年記念式典で、有馬・元文相は力を込めた。人口爆発や温暖化など地球規模の課題が山積している。北九州や日本のためなどと考えずに、もっと高い志を持て、と。それが成長の糧となる。

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