『朝日新聞』長野版2010年10月21日付
信州大繊維学部100周年 国内唯一、浮沈超え先端へ
信州大学繊維学部(上田市)が創立100周年を迎え、23日には記念式典が開かれる。1910(明治43)年、上田蚕糸専門学校として設立、学制改革で信州大学繊維学部となった。この間、繊維に関する専門家など、計1万8670人の卒業生を送り出してきた。かつて国内には複数の大学に「繊維」の名称を持つ学部があったが、産業構造が変化していく中、いまでは全国で唯一の「繊維」学部となっている。これまでの歩みや現状、ユニークな研究、将来に向けた課題などをみる。
■施設建設ラッシュ
繊維学部のキャンパスは今、ちょっとした建設ラッシュだ。
構内東側で建設が進むのは、地上6階建てで来年2月完成予定の「ファイバーイノベーション・インキュベーター(Fii)施設」。その近くには同4月稼働予定の「植物工場研究開発拠点(先進植物工場研究センター)」が姿を見せている。そして西側には昨年完成した「先進ファイバー紡糸棟」がある。
濱田州博(くにひろ)学部長は「百年続いたということは、その間にいろんな改革をやって来たということ。変えてきたからこそ、いまがある」と1世紀を振り返る。
■きっかけは蚕糸教育
設立のきっかけは、明治政府が1907(明治40)年に高等専門の蚕糸業教育機関の設置を決めたこと。上田、長野、松本、諏訪の各地が激しい誘致合戦を展開し、文部省(当時)による実地調査で上田に決まった。10年、国内最初の蚕糸に関する高等教育機関で、県下初の国立学校が誕生した。
第1回入学試験の合格者は94人。約4.3倍の狭き門だった。出身別では県内が4割ほど、ほかは「28府県」にわたったという。いかに同校が全国から注目を集めていたかが分かる。
■繊維不況で存亡の危機
多くの専門家を輩出した100年だが、繊維産業の浮き沈みに翻弄(ほんろう)された。学部も存亡の危機に直面し、その難局をくぐり抜けてきた。
戦後、60年代までは繊維産業は隆盛を誇っていた。その当時、繊維化学科(当時)約30人に大手紡績や商社など500社から求人があり、学生の就職は「よりどりみどり」だったという。しかし、その後の「繊維不況」で様相は一変した。
「繊維は斜陽」というイメージが広がり、同学部への志願者は数年間、「国立大学中ワーストスリー」にランキング。「一部学科では定員割れを起こすほどだった」という。
「繊維」の名称廃止、「工学部への吸収」論も起こり、他大学では「繊維」から材料系や機械系、応用生物系などに改組されていった。
同学部の教官会議でも名称の存続派と転換派が激しく対立。しかし、当時の学部長をはじめ、「いくら繊維が下火になっても、人類が存続する限り、衣(繊維)がなくなることはない。繊維は必要だ」とし、学部維持が決まったという。
■「ファイバー工学」
いま、繊維学部は「ファイバー工学」を掲げ、次の100年を目指す。濱田学部長は「繊維は応用範囲が広い素材だ」と語る。
衣類の分野にとどまらない。生活のあらゆる所で使用されている。炭素繊維に代表される産業資材、人工血管などのメディカル用繊維、建築用資材など、挙げるときりがない。
同学部は創造工学系と化学・材料系、応用生物学系の3系9課程があり、繊維の研究を根幹にナノファイバーや有機EL、半導体、太陽電池、燃料電池、感性工学、バイオなど、その幅は広い。論文数でも「繊維に関して世界の繊維系大学で1位、ナノファイバーで5位」(白井名誉教授)を誇るという。
■世界の拠点に
濱田学部長は「繊維を学ぶなら上田(同学部)へ」と呼びかける。最終的な目標は「グローバル・ベスト・ワン」だ。「世界的な拠点として『繊維のことを知りたいならここに』と思わせるくらいにならねばならない」と語る。
ともすれば「繊維」のイメージは単に「衣服」などと取られがちだ。唯一を誇る「繊維学部」のもと、古いイメージを覆し、「繊維のおもしろさ」をいかにアピールしていくかが、課題だ。(鈴木基顕)