【安藤慶太が斬る】東大、京大の消滅も? 子ども手当、高校無償化のツケだ 民主党の予算編成に見る大学の危機『産経新聞』2010年8月1日付

『産経新聞』2010年8月1日付

【安藤慶太が斬る】東大、京大の消滅も? 子ども手当、高校無償化のツケだ 民主党の予算編成に見る大学の危機

(前半部は略)

■民主党の致命的欠点

民主党の抱える問題のひとつは意思決定、合意形成に向けた積み上げの議論が常に乏しいことである。寄り合い所帯ゆえ、ふだんから憲法はじめあらゆる深刻な対立を招くテーマを先送り、敬遠してきたからで、右も左も全く勝手気ままに発言し、動くことが許されている。無責任で無秩序で一致結束ということがなく、ガバナンスが利かない。深刻な問題には万事場当たり的な処理に陥ってしまう。突如、消費税が菅首相の口から語られ、批判を浴びたら引っ込める。そして選挙に敗北した後の両院議員総会は「誰が言い出したのか」と紛糾する…これも根っこは同じことである。

民主党のためではない。あくまで国民のためだ。それもぜひ、国民に公開する形でマニフェストの清算に臨んでほしいと思う。民主党はマニフェストを「国民との約束」と掲げた。そうである以上、現状何が果たせる約束か。場当たり的な対応に任せずに、国民の前に示す責任はあるはずだと思う。

■高校“義務化”で大学破綻(はたん)か

来年度予算の概算要求も始まった。マニフェスト実現のためには予算編成でそのことを盛り込むだけでなく、関連法案を通さなければならないが、その見通しは暗い。子ども手当法案や高校無償化、それに税収の落ち込みで財政は逼迫(ひっぱく)しているからだ。

予算編成でもいろいろな問題点を指摘しなければならない。まず、社会保障経費はなぜ、抑制の対象にしないのか、という素朴な疑問である。毎年1兆3千億円の増額を抑制の対象から外し、他の予算には一割の削減を一律に求める。地方財政もほぼ前年並みの水準というのだが、そのあおりを受けるであろう科学技術や大学予算、あるいは防衛費などはとても心配だ。

ここに国立大学協会の作成したグラフがある。6月22日に閣議決定された「財政運営戦略」の「中期財政フレーム」では23年度から3年間「基礎的財政収支対象経費」は前年度を上回らないよう方針が示された。年率8%の削減を機械的に国立大学法人運営費交付金にあてはめた場合、削減額は初年度だけで約927億円に上る。22年度までの7年間で達成した同交付金の削減額830億円を単年度で上回る法外な額であり、それは3年間続き、削減総額は累積で2564億円に達する。

仮に927億円の削減のしわ寄せを授業料でまかなうとする。すると学生1人あたり年23万円の値上げが必要だ。研究経費を削って捻出(ねんしゅつ)する場合は、現状の32%減(約1954億円)となる。さらに特定大学の交付停止で対応した場合をまとめたのが、グラフである。

927億円というのは大阪大学と九州大学の2大学を消滅させればちょうど捻出できる規模だ。グラフで明らかなように東京大学の交付金をなくすという選択もあるが、それだけでは927億円は捻出できない。東大をゼロにしても翌年には京都大学もゼロにせざるを得ないし3年たてば、大阪大学も東北大学も対象にせざるを得ないという削減の規模だ。

■お茶大も東京外大も一橋もピンチ

逆に交付金の額の少ない大学から削っていこう。グラフの濃青(愛知教育大~小樽商科大)の27大学が交付金ゼロ。このなかにはお茶の水女子大学も東京外大も含まれている。水色の部分が二年目の削減対象校14大学でこのなかには一橋大学も含まれ、3年間で50大学以上の交付金がゼロになる。

ちなみに川端達夫文科大臣の地元、滋賀県には二つの国立大学があるが、初年度に滋賀大学をつぶし、次の年には滋賀医科大学をなくせば、政府の方針は達成できるのだが、滋賀県からは国立大学がなくなるかもしれない。輿石東氏の地元、山梨県からも国立大学はなくなるかもしれない。

念のため付記すれば、交付金をゼロにする大学名がすでに決まったわけではない。これはあくまで政府の方針を達成するための試算であって削減方法も多様なはずである。

ただし、削減率はこの試算では8%と設定されていたが、現実に政府が課している削減率は10%である。交付金を削って政府の目標を達成するという選択を実行すれば、半端な影響では済まないことは読み取れる。

交付金がゼロでも、直ちにすべての大学が即つぶれるという話でもないことも付け加えておく。病院収入など別の収入源があれば、それで負担を軽減することもある程度は可能だ。だが、教員養成系大学のように、ほぼ収入源を授業料と交付金に限っている大学も多い。仮に教員養成大学がつぶれれば、地域の教育など大きな波及があるのも見逃せない。

知の基盤の崩壊といっても、ピンと来ない人も多いかもしれないが要は社会への人材輩出源だった大学がそうではなくなるかもしれないという話だ。高校は事実上、義務化されたが、そのあおりで大学進学は高根の花となるかもしれない。

民主党が意図的にそういう政策を掲げてこうなったという話ならば、まだわかる。大学については「くだらん大学が多すぎる」といった批判が多いのも事実だからだ。だが、きちんとした議論もないままに財政上の逼迫を招いた結果、大学が破綻していくのは失策であって、正当化される話ではないことはいうまではない。(安藤慶太・社会部専門職)

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