《追悼》『法人化』に反対された井上ひさしさん(その1) 2010年4月21日 国立大学法人法反対首都圏ネットワーク事務局

 

《追悼》『法人化』に反対された井上ひさしさん(その1)

2010年4月21日
国立大学法人法反対首都圏ネットワーク事務局

去る4月9日、井上ひさしさんが逝去されました。

井上さんは小説や戯曲を通じた表現者として活動される一方、多方面で積極的に社会的発言をされた方であることはよく知られています。

国立大学の法人化についても、2003年の国立大学法人法案の国会審議の以前から、またその最中にも、大学の自治、学問の自由の擁護の立場から反対の意思を表明され、大学人の運動と連帯されました。

以下にその記録を再録することによって井上さんの生前のご活動を偲ぶとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。

○『毎日新聞』2003年1月28日付
<大学法人化>反対を訴え 「大学改革を考えるアピールの会」

http://www.shutoken-net.jp/archive-200912/2003/01/web030129mainiti.html

○2003年6月6日 「国立大学の法人化を考える夕べ」(主催:東京大学教員有志)への参加・講演

http://www.shutoken-net.jp/archive-200912/2003/05/030522-66yuube.htm

○『しんぶん赤旗』2003年6月7日付
井上ひさし、神山征二郎さんら講演 国立大法人化を批判 東京大学

http://www.shutoken-net.jp/archive-200912/2003/06/web030607akhata4.html

○『朝日新聞』2003年6月10日付
国立大の法人化に反対 井上ひさしさんら論陣

http://www.shutoken-net.jp/archive-200912/2003/06/web030610asahi.html

○『読売新聞』2003年6月10日付
『国立大学法人法案の廃案を求める第三次意見広告』

井上ひさし(作 家)

戦前戦中の、あのガチガチの国家主義の時代にも「大学の自治」がありました。それは東京帝国大学の例を見ても一目で判ります。大正一二年(一九二三)九月の関東大震災で全建物面積の三分の一を失ったとき、全教授と全助教授が投票で移転先を決めて、その結果を大蔵大臣に提出しました。ちなみに一位が近郊(陸軍代々木練兵場)で一五一票、二位が本郷居据りで一三一票、三位が郊外(三鷹)で一〇三票でした。つまり教授会にそれだけの力があったのです。もっとも近郊移転は陸軍省の猛反対で実現はしませんでしたが。

大正八年(一九一九)には、それまで二十年間つづいていた優等生への恩賜の銀時計の下賜が、教師と学生たちの声で廃止されました。理由は、天皇が行幸になると、大学構内に警備のための警察官が大勢やってくる。そのこと自体が大学の自治を乱すからというものでした。

このような例はまだまだありますが、紙幅がないのでもう一つだけ書きます。昭和二〇年(一九四五)六月、帝都防衛司令部が本郷キャンパスの使用を申し入れてきた。幕僚以下三〇〇〇人の兵士で、ここを使うというのです。当時の内田祥三総長は、「ここでは一日も欠かすことのできない教育研究を行っているのであり、自分たち学問の道を歩む者たちの死場所でもある。動くわけには行きません」と断わった。

――ところがいま、一片の法律で、総長・学長を大臣が任命し、また解任できるという途方もないことが行われようとしています。そんなことになれば、「大学の自治」も「学問の自由」もただの画餅、戦前戦中よりもさらにひどいガチガチ国家主義の時代になってしまうのでしょうか。

(「意見広告の会」ニュース485(2010年4月17日)より転載させていただきました。)

以上

 

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