『読売新聞』 2013年12月14日付
農業を強くする
(1)「農学部」福島で支援の輪
農業が揺らいでいる。農家の高齢化や後継者不足など長年にわたる社会構造的な問題に加え、差し迫った難問も山積する。
東日本大震災後の福島第一原発事故による土壌汚染、貿易自由化に備えて国が始めたコメの生産調整(減反)制度の見直し……。岐路に立つ農業の足腰を強くするために、では大学は何をしているのか。
県外の大学から
農業就業人口(2010年)が全国3位の農業県・福島。県が設けた農業総合センター農業短期大学校はあるものの、県内の大学には農学部がない。震災後、農学部の教授らは県外から被災地に入り、土壌の放射能汚染に立ち向かい、農業再生に奔走する。
11月中旬の二本松市。氷雨の中、地元農家の畑で新潟大学の学生と教員計4人が大豆を収穫し、肥料の有無などで袋に分け入れていた。「数値はどうなったかな」と学生たち。土壌や地下水、農作物のセシウム濃度を計測し続けているのだ。
活動のきっかけは2年半前、震災直後に駆けつけた野中昌法・同大農学部教授(60)に、有機農業によるふるさとづくりを進めていた農家の人たちが口々に訴えた切実な言葉だった。目に見えない放射能で、土は、水は、作物はどうなっているのか。これからどうなるのか――知りたい、何としても知りたい、と。
以来、農地や山林で除染の実験や調査を続け、データを公開する。参加した教員や学生は延べ100人以上、中には20回近く足を運んだ学生も。その一人、修士1年の本島彩香(さやか)さん(25)は「役に立ちたい」とセシウムを吸収させない栽培法の研究に力を入れる。
昨夏からは、東京農工大学の横山正教授(60)のチームも合流した。現実即応を重視する新潟大に対し、農工大は長期的視野で臨む。同大で開発したブルーベリーの年中栽培技術を応用し、真冬でも出荷できる高級サクランボの開発に挑戦する。市内の農業男性は「放っておかないよ、という大学のメッセージが本当にありがたい」と言う。
除染データ公開
全域で避難指示が出された福島県飯舘村の水田でも、大学と村民、市民団体「ふくしま再生の会」が協力して水田や山林の放射線計測と除染実験を続け、先月末まで毎日24時間、計測データをインターネット上で公開し続けた。
システムを作ったのは、毎週末に現地入りする溝口勝・東京大学教授(53)。汚染土を深さ50センチの素掘りの穴に埋めると地表面の放射線量が1%以下に減衰したデータなど、試行錯誤段階の数字も公開する。「もっと良い方法を思いつく人がいるかもしれないから」と溝口教授。原発事故からどう立ち直るかが世界的に注目されるだけに、安全性確保の方法が確立すれば、農産物も「福島ブランド」として認められるのでは、と考える。
10月初め、試験的に作付けした田んぼで稲刈りしていた溝口教授に、地元のお年寄りが「先生、その手つきじゃダメだ」と笑いかけた。「オレだって、農家のせがれなのに」と照れる様子に茨城大や京都大など全国から集まった同じ志の教員らが笑い声でこたえ、冬支度を始めた農村がわいた。
東京農業大学の横井時敬・初代学長はかつて「農学栄えて農業滅ぶ」と、学問の進歩が必ずしも実質的な農業振興につながらない風潮に警鐘を鳴らした。バイオ、醸造、農業経済……。学問領域が多様化した今の農学系学部にとって、福島の「現場」が、実学としての農学を見直す好機となるかも知れない。
名称変更進む
「農学部」の看板が減っている。文部科学省によると、全国約800大学で「農学部」があるのはわずか32校だ。
田中耕司・京都大学名誉教授によると、看板の掛け替えが始まったのは1980年代後半。農業の衰退や少子化の進展を見据え、「農学部」では学生を集めにくいと、一部の国立大農学部が名称変更に踏み切った。
さらに91年、大学設置基準が緩和され、大学が学部の名称を自由に付けられるようになると、多様な名称の新学部設置がブームになった。農学部は次々と「生物資源」「応用生物」などに改組された。
こうした風潮を、田中名誉教授は「何を研究するのか、名称だけでは分からないような学部が増えた」と批判的に見る。学部の名称変更に合わせて研究分野も細分化し、多くの教員が「大豆のデオキシリボ核酸(DNA)はわかっても、植物としての大豆を知らない学生は珍しくない」と指摘する事態が広がっている。