大学教育 改革は骨太の論議から『北海道新聞』社説2012年11月21日付

『北海道新聞』社説2012年11月21日付

大学教育 改革は骨太の論議から

 大学は過剰なのか―。その設置認可のあり方を見直す検討が、きょうから文部科学省で始まる。

 札幌保健医療大など3大学の開学認可をめぐって騒動を起こした田中真紀子文科相が、有識者に提言を求める。

 在籍する学生がいるにもかかわらず今年、大学の経営が立ち行かなくなった堀越学園(群馬県)のような事例は言語道断だ。

 学生を途中で放り出す無責任体質をまかり通らせてはならない。同じ愚を繰り返さないためには、経営内容を積極的に開示する仕組みが欠かせない。

 四年制私大の半数近くが定員割れを起こしている現状をみれば、田中文科相の危機意識には一理ある。

 しかし、「大学が増えたから教育の質が下がった」「数を絞らないといけない」という発想は短絡的すぎる。検討会の場に限らず、文科省には大学のあり方を根本から問い直す骨太の議論を求めたい。

 文科省は今後、大学の統廃合を念頭に置いている。狭き門にすれば、一定の学力に満たない志望者はふるい落とされるが、それで教育の質を高めることにはならない。

 大学の数は1992年から20年間で1・5倍の約800に増え、大学進学率は5割を超えた。

 見逃してならないのは、日本の大学進学率は経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均にも届いていないことだ。しかも、ここ2年は連続で低下している。

 日本は先進国の中でも家庭の教育負担率が高いことが指摘されてきた。不況下で、負担感がさらに強まっているのは否めない。

 授業料の無償化は将来的な課題ではあるが、せめて授業料の抑制と奨学金制度の拡充を図り、もっと進学希望者に扉が開かれるよう努めるのが本来のあり方ではないか。

 大学の間口を広げることには学力低下の危惧がつきまとう。中学、高校の授業の学び直しから始めざるを得ない大学が少なくない現状が、その深刻さを物語っている。

 門戸を狭めず、なおかつ教育の質を維持していくのは容易ではない。

 大学側が教育力をつけることは言うまでもない。

 高校卒業時に学習到達度を測る試験を課すのも一考だ。それを大学入学資格試験にして入学者を増やし、大学卒業の認定を厳しくしていく方向も考えられる。

 社会人が大学で学びやすくする方策も重要だ。「学力」の定義も知識偏重から、幅の広い、多様な能力に見直す必要がある。

 改革には、既成概念を排した大胆な発想が求められている。

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