大学に「空地」は必要か、中教審大学教育部会 『朝日新聞』2011年8月25日付

『朝日新聞』2011年8月25日付

大学に「空地」は必要か、中教審大学教育部会 

 大学に「空地」は必要か。こんなテーマをめぐる議論が、中央教育審議会大学教育部会で続けられていた。

 空地とは空き地や広場。特に用途が決まっていなくとも、学生はもちろん多くの人が集まり利用できる公共性の強い空間と言ってもいいかもしれない。

 では、なぜ、小難しそうな文部科学省の審議会で議論になるのか。それは、大学の本質的なあり方や、政府の規制緩和の考え方と深くかかわっているからだった。これまでの経過を簡単に紹介する。

 大学の認可の要件を決める大学設置基準(1956年の省令)によると、大学の校地は、教育にふさわしい環境をもち、敷地には学生が休息その他に利用するのに適当な空地を有するものとすると定められ、さらに運動場は、教育に支障のないよう、原則として校舎と同一の敷地内またはその隣接地に設けるものとするとなっている。

 わかりやすくいえば、大学のキャンパスや建物は若者を育てる教育研究機関なので、事務机と会議室と廊下が無駄なく並んでいるオフィスビルとは、違う。スポーツもするし、説明会も必要だし、何かあれば集う空間がとくに人を育てるために必要だという「質保証」の趣旨で規定がつくられた。

 ところが、長年、時間がたち、さまざまな人が多種多様の大学をつくりたいと思うようになってくると、この「質保証」の規定が規制に転じてくる。新規参入する大学の設置主体が目的に応じて大学をつくりたいのに、必ず「空地」が必要だと言われると、土地の取得費用などのコストや手間もかかり自由につくれない。むしろ、この規定を無理に守るのではなく、何らかの代替措置があれば趣旨にもかなうのではないか。つまり代替措置があれば、空地や運動場がなくとも大学は設置できるようにしたいという方針が政府で打ち出された。自民党の小泉政権時代だった。これは構造改革特区という形で制度化された。教育の世界では教育特区とも呼ばれている。

 これを受けた2003年の省令では、空地の効用と同等以上の得られる措置を大学が講じている場合に限り、空地がなくても設置ができることになった。運動場も同じ趣旨で、代替措置があれば、設置が可能になった。これで、教育特区を利用して大学を設置しようとする主体の負担は軽減されることになった。

 では、この教育特区を利用した大学の状況はどうか。文科省の資料によると、通信教育に特化した大学を除けば、2011年4月で特区利用の大学は四つ。09年度の特区評価の際の調査結果で、学生アンケートとして「休息スペースがなく息苦しい」「狭い」「大学生活を送っているような気がしない」「課外活動が阻害される」などの意見があったという。

 一方で、効果を重視する評価としては都市部での教育機会の提供などの効果が大きいという考え方もあったとされる。代替措置とは何かという問題が出てくるが、運動場を設けなくても、近隣の公共スポーツ施設で代用することや空地でなくとも応接室でも済ますことも理屈の上では可能だ。突き詰めれば、学生の評価こそが大事な気がするが、それをうけてどれだけ改善するかは、大学次第だろう。まさに公共性が問われる。

 以上、経過を述べてきたが、なぜ、この時期に大命題の「大学に空地は必要か」という議論になったのか。それは民主党政権時代の2010年に、それまで特区のなかで特例措置として認めてきたものを、2011年度に全国で利用可能にすべきだとの政府方針が打ち出されたからだった。つまり、全国展開には設置基準の改正が必要になり、さらに特例措置の普遍化をめぐり、中教審大学教育部会で取り上げざるをえなくなった。

 この議論はすでに政府が全国展開を方針決定しているので、決着済みといえばそれで終わりかもしれない。しかし、大学教育部会の委員からは空地や運動場が必要という「質保証」という立場にたって発言した人が大多数だった。

 「学生の成長プロセスの環境保証として空地や運動場は必要。大学の情報公開のなかでも必要不可欠な項目」「キャンパスのあり方、教育研究機関のあり方として、社会空間、公共空間としても必要な要件」「大学と言っても、学部や大学院の用途によるが、学士課程としては重要な要素」「学生が主体的に人格形成するためにも必要」と、本来の空地のもつ人材育成機能や公共空間という性格に戻り、大学教育の目的を重視する発言が相次いだ。

 こうした意見は、当然、当時の教育特区の特例措置そのものや規制緩和、政府決定(政策決定プロセスの妥当性)ともぶつかってくる。政権交代したうえで全国決定したことを受けて、ある委員からは「もとに戻すことを考えてはどうか。政府決定を変えるために中教審が提言することもあっていい」という意見も出た。

 大学をはじめ教育機関にとって空地は重要な意味をもっている。さまざまな人が集まり意見を述べて対面でやりとりして若者は何かを得て何かを創造する。一方で、震災をとってみてもわかるように、地域の人との交流など物理的な空間が開けていないとその機関は支持が得られない。ましてや、「熟議」などという美しい言葉を使っている民主党の時代には、自由な議論の場を保証する空地こそ不可欠なものに違いない。廊下と会議室とちょっとした待合室、エレベーター。そんな大学には文化としても愛着はわかないだろう。もちろん大学院によって運動場は必要ないというところもあるかもしれないが、それでも地域を意識すれば空間は必要となるだろうし、そもそも自由に議論できる空間は建物にも必要になる。教育や研究は時間決めの会議室では無理がある。そのうえ、政策の決め方としても、「審議会として政府決定を変える提言を出してもいい」という意見は貴重だ。審議会は政府方針の後追い、理論的な追認では信頼を失うときがくるだろう。

 大学教育部会では、3~4回にわたり議論を続けたが、最終的には全国展開をするにあたって、例外措置を必要最小限にすること、学生が入学してみたら広場や運動場がないなどのトラブルを避けるため情報公開を徹底すること、特例措置はあくまで例外的なものだとする報告をまとめ、24日の中教審大学分科会で承認された。

 ただし、これに基づいた文科省による全国展開する設置基準改正イメージ(案)をみると、委員の強い意見を丸めたせいか、十分反映されたとはいいがたい。案文では、たとえば、空地の代替措置については、(1)できる限り開放的であって多くの学生が余裕をもって休息、交流その他に利用できるものであること(2)休息、交流その他に必要な設備が備えられていること、が明記されるにとどまった。ほかに情報公開の徹底も示された。

 今回の決定で、活発な議論は打ち止めとなったが、一方で政府決定に従わざるをえない役所の事情や審議会のスケジュールも表に出た。この件にかんしてはだらだらと続く審議会でなかったことだけは確かだった。

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