揺らぐ指針:中電浜岡ショック/1 「原発」寄付講座に逆風 /静岡 『毎日新聞』静岡版2011年6月7日付

『毎日新聞』静岡版2011年6月7日付

揺らぐ指針:中電浜岡ショック/1 「原発」寄付講座に逆風 /静岡

 ◇福島事故後、衝撃の教授会否決

 三重大教育学部(津市)が先月11日に開いた教授会。担当教授が「賛成38、反対40、白票9」と投票結果を読み上げると、八木規夫学部長(57)ら一部教授からため息が漏れた。

 議案は、新講座「エネルギーと環境学」創設について。国の学習指導要領に今年度から原子力発電の知識習得が盛り込まれたのを機に、中部電力が来年4月から年3000万円を拠出して講師を派遣する「寄付講座」で、同学部初の本格的な産学連携の試みだった。

 講座開設を主導してきた内田淳正学長(64)=医学部出身=は「エネルギー問題の正確な知識を身につけることは10年、20年後の日本に極めて重要」と教授会の決定を残念がり、「将来、小中学校の教壇に立つ学生に最初から原子力アレルギーがあるのはよくない」と重ねて強調した。

 寄付講座の開設は当初3年間の計画。一部の教授によると、中電との間では10年継続の了解があったという。独立法人移行後、国からの予算削減に苦しむ大学にとって、計3億円の運営費が転がり込む提案は「干天の慈雨」と言えた。

 だが、東京電力福島第1原発事故で風向きは一変。複数の教授から「『原発宣伝講座』と受け取られかねない」「大学自体が原発を推進していると誤解を招く」と慎重論が噴出した。

 大きな伏線は2月末に発表した「経営ビジョン」にあった。この中で同社は、総発電量に占める原子力の比率を50%超に引き上げ、30年までに原発を2~3基新設する方針を示した。唯一の原発である浜岡原発(静岡県御前崎市)に、計画中の6号機以降の増設余地がないのは周知の事実だ。

 毎日新聞は、同社が三重県南部沿岸部を最有力候補地と位置づけ、松阪市に「環境・立地本部」の拠点を置いたことを報道。講座開設で窓口だった中電幹部が同本部所属だったこともあり、地元の不信は晴れなかった。

 議案の採決があったのは、同社が政府の要請を受け入れ浜岡の全号機停止を表明した2日後。内田学長の指示で講座開設の準備に当たった教授の一人は「(採決がこの時期になったのは)6月末の株主総会に決定を間に合わせたい中電の意向だった」と明かす。

 中電側の責任者だった宮池克人副社長(環境・立地本部、三重県担当)は教授会の決定について「学校の先生にもエネルギーのことを理解してほしいという以外の目的はないのだが」と冷静に語る。だが、原発への「理解活動の一環」(幹部)まで門前払いを受けた衝撃は極めて大きかった。

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 中電の全電源に占める原子力比率は10年末時点で約15%。原発を持たない沖縄を除き、全国の電力会社で最低水準だ。同社は1960年代、三重県南部沿岸部に「芦浜原発」建設を計画したが、漁業者らの激しい反対で00年、断念に追い込まれた。原発の新規建設は同社の悲願。しかし、唯一の原発である浜岡も政府の異例の要請を受けて全号機停止に追い込まれた。「原発がない電力会社」となった中電の苦悩と今後を検証する。=つづく

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 ■中部電力の原発事業の歩み■
1964年 7月 三重県南部の芦浜地区を原発建設候補地に決定
  71年 3月 浜岡原発1号機の建設着工
  75年10月 石川県珠洲市議会が原発誘致を決定。中電も検討開始
  76年 3月 浜岡1号機運転開始
2000年 2月 北川正恭三重県知事(当時)が芦浜原発計画の白紙撤回表明。中電が計画断念
  01年11月 浜岡1号機で緊急炉心冷却装置系配管で国内初の破断事故
     11月 三重県海山町(現紀北町)で原発誘致の是非を問う住民投票。反対多数で誘致を断念
  03年12月 中部、関西、北陸の電力3社が珠洲市での原発計画を断念
  05年 1月 浜岡5号機運転開始
  08年12月 浜岡1、2号機の廃炉と6号機新設計画を発表
  09年 1月 浜岡1、2号機が運転終了
  11年 2月 原発の新規立地を目指す長期経営ビジョン発表
      5月 菅直人首相の要請を受け、浜岡原発の運転を停止

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