『朝日新聞』2011年3月28日付
知の総力をあげて復興を
東京大学で24日、大学院を修了した人を対象にした学位授与式と学部生の卒業式が開かれた。東日本大震災の影響で、式は大幅に変更になり、浜田純一総長のあいさつも大震災と学問・知識の関係に大きく時間をさく異例の式になった。
例年、東大は、大学院と学部それぞれに分け2日間で、文系理系の2部制の学位授与式と卒業式を開いてきた。もちろん、対象者ならだれでも出席できるが、今回は大学院の研究科と学部代表のみの出席。場所もそれまでの1000人規模の出席が可能な安田講堂から小規模の小柴ホールに場所を替えた。震災や福島原発の影響と多数の人が一堂に集まる際の避難リスクを配慮したという。
大学院修了の学生は修士課程2800人、博士課程706人、専門職学位課程405人。学部卒の学生は3101人。代表として式に出席したのは大学院が31人、学部が12人となった。100人程度が入るホールだが、出席したのはほかに執行部と各研究科・学部長で、席にはかなり余裕があった。
式は大学院と学部の2部に分かれて、実施された。ふだんは学部の卒業式が注目されるので、ここでは大学院の学位授与式を中心に紹介したい。
浜田総長の学位授与式でのあいさつは「知識人」としてのあり方を問いかける次のような言葉だった。
「学術という専門性を身に付けた私たちに求められているのは、これからの被災地の復興に、さらには日本全体の復興に、どうやって私たちの専門的な知識や知恵を生かしていくことができるのか、真剣に考えることであろうと思います。これからの復興は、社会インフラの整備や町づくりなどともに、生活や社会の仕組み、さらには、自然とのつきあい方も含めて、私たちの生き方そのものについても改めて考えていくような復興となるだろうと思います。それは一つの時代の終わりであり、また始まりです。大きな変化の時期にあっては、第二次世界大戦後の60年余だけを振り返ってみても、いくつかの節目に、個々の専門知識を活用するというだけでなく、幅広い知識を基盤に歴史的な視野のなかで時代を見る力を備え、また理念の作用力を信じることによって、時代を前に突き動かす役割をした人びとが存在したように思います。そこで、私は『知識人』という言葉に今日触れようと思ったのです」と話を進めた。
このあと、総長は作家、大江健三郎氏の知識人についての言葉を引き合いに出して、「これまでの社会の枠組みや考え方全般と、建設的な緊張を持ち続けながら次の時代をつくっていく役割が『知識人』という存在に期待されるだろうと考える」と続けた。
さらに、「これほどのすさまじい惨禍をどうして避けることができなかったのか、あるいは原子力をどうしてもっと適切にコントロールすることが出来ないのか、これまでよしとされていたものをもう一度見直してみることが、いま求められているように思います。それは技術の問題だけではなく、社会の仕組みの問題であり、私たちの生き方の問題であり、つまるところ、私たちの基本的なものの考え方の問題にもかかわってくるとこがあります。こうした時代に求められるのが、専門家であると同時に知識人である人たちです。つまり、『今あるもの』にとらわれず、自らの知的意味での全存在をかけて建設的な挑戦を行っていく人たちです。そうした知識人が多くの人びとと協働して大きな変化のうねりを作っていくことが、日本の復興を支える重要な基盤となるはずだと考えています」と、問いかけた。
最後には、「この学位授与式の記憶は、大震災のすさまじい惨禍の記憶とともに残ることになるはずです。その記憶をバネとして、『知識人』として成長し、新しい社会を作るために先頭に立って活躍をする皆さんの姿を楽しみに、私の告辞を終えることにします」と締めくくった。
これまで東大の卒業式では、歴代の総長が何を話すか、注目されてきた。戦後間もないころや大学紛争前の告辞でも、いくつか話題になった言葉がある。東大の存在や性格自体も変わってきた。大学進学率1割ほどの時代と、現在のように5割を超えた時代とは、総長の言葉の世間の受け止め方も違うかもしれない。ただ、今回は大震災の影響でかなり緊迫した事態となっているので、「知識人」としてのあり方を問う言葉は説得力をもった。
その意味では、学位授与式の大学院修了の学生に向けた言葉というよりも、現在の「知識人」として期待される学者や専門家に向けた言葉ととらえることもできる。
大震災の緊急対応や対策はさまざまなところで日々続いている。日本学術会議などでも震災に関連した議論が始まっている。いまはいかに政府や組織が危機を脱する手を打てるかという視点が中心にならざるを得ないが、これまでの社会や慣行を考え直すことも必要になってくる。
そのためには、それほどしがらみにとらわれない立場で発言できる科学者の知恵が求められる。細かな専門領域にとらわれるのではなく、すべての専門領域から多くの科学者が復興をテーマに知恵を絞る円卓会議のようなものが必要になるのではないかと、浜田総長の告辞を聞いて考えた。