社説:扉を開こう 出るクイ伸ばす教育を『毎日新聞』社説2011年1月6日付

『毎日新聞』社説2011年1月6日付

社説:扉を開こう 出るクイ伸ばす教育を

 「第3の教育改革」が提唱されて40年ほどになる。

 「第3」とは、明治の近代学校教育制度の導入、第二次世界大戦敗戦による学制改革に次いで、という意味だ。高度経済成長で生活形態や価値観が変化し、団塊の世代が進学率を押し上げるなどして、画一的な学校教育を見直す機運が高まった。

 だが、抜本的な改革は先送りされ、80年代に受験競争の過熱や非行が社会問題化する。中曽根政権は首相官邸直属の「臨時教育審議会」(臨教審)を設け、個性の重視、変化への対応、生涯学習体系を教育政策の主柱に立てた。

 ◇かつてない時代変化

 背景には、当時各分野の急速な国際化や情報社会化、規制緩和の動きがあり、こうした状況に対応できる人材の育成が必要だと強調された。バブル景気のころである。

 これを受けて90年代には公立の中高一貫校、大学の設置基準の緩和、総合高校など多様化が進み、「生きる力」の育成を主眼とした学力観が打ち出される。

 一方、社会の週休2日制を追って学校5日制が段階的に導入され、授業量の縮減と、教科を超えた総合学習などで質的転換が図られた。いわゆる「ゆとり」教育である。

 その現行学習指導要領は2002年から実施されたが、国際学力テスト(PISA)で順位が低下するなどし、「ゆとり」が原因と批判が噴出した。11年度からの新要領では揺り戻すように路線転換し、教科学習を再び増量する。

 これが今に至る流れだ。「第3の改革」はまだ像を結ばない。

 だが、この間に時代状況は変わった。日本が経験したことがない少子高齢社会の進行、人口減少への転換。教育界では大学進学率が5割を超え、志願者がほぼ定員枠に収まる「全入時代」が到来し、受験生集めのために入学試験がかたちばかりになる傾向も生じている。

 こうした中で、今から必要なのは、学校教育全体の質の維持向上とともに、子供や若者の特に秀でた才能を見いだして伸ばし、将来の国内外の各分野で貢献できる人材育成という視点と実践ではないだろうか。

 教育の機会均等は当然ではあるものの、その保障と独創的な人材育成は矛盾すべきではない。ただ、こうした論議は公教育の世界ではあまり広く行われたことがなかった。

 例えば、各地に理系教育に重点を置いた高校「スーパーサイエンスハイスクール」が文部科学省から指定され、大学の指導も受けるなど創造的な学習を試みている。しかし、一般の人たちはあまり知らない。その教育内容などについて発信や情報提供をもっと進めてはどうだろう。

 過去に政府が国策として行った「エリート教育」がある。戦争末期に少年たちを選抜した「特別科学教育」だ。敗色濃厚の中、科学戦を担う人材をと慌ただしく立案した。

 早朝から理数に傾斜した授業を組んだ。当時の物理学の第一人者、仁科芳雄博士は「あまりに詰め込みすぎる傾向はないか。教え方としては原理的な事柄をじっくり教え込むことが望ましい。学習にゆとりを持たせて、夢を描かせることであらしめたい」と語ったという。(日本放送出版協会「近代日本教育の記録」)

 ◇「夢」の追求を支える

 この言葉は示唆に富む。昨年ノーベル化学賞を受賞した米パデュー大学の根岸英一特別教授は、若者たちに繰り返し夢に向かって努力する大切さを語った。根岸さんの恩師で同賞の受賞者でもある故ハーバート・ブラウン博士も「永遠の楽観主義を持ち、夢を追って」との言葉を残したという。人材育成とは「夢」の追求を支援することである。

 少子高齢化に悲観する必要はない。少なくとも私たちの国には過去に「人材立国」してきた歴史があり、多彩で深みある新旧文化、営々と築いた工業製品の信頼、街の平安など世界に認識された財産がある。これを守り発展させる若い世代の基礎的な力と独創性を伸ばす環境を整えるのは、社会全体の責務だろう。

 アメリカなどへの海外留学の減少傾向が「内向き志向で人材が育たない」と重ねて論じられたりする。だが、若者たちを就職難にさらし、長期の「就活」を強いている現実を抜きには語れない。新卒採用の年限を緩めたり、通年採用を図るなどし、少なくとも若者が「就活」で消耗する事態は早急に改めたい。

 小学校から習熟度別に分けた授業をしている学校は多いが、同じ教科内容の進度の違いであり、才能を見いだし、伸ばすのとは異なる。そういう手法は未確立だ。

 確かに、学校は教科学習だけするところではなく、社会性を育成する場でもある。そうしたことを踏まえ、損なわないうえで、秀でた才能をさらに生かし、伸ばす手法はないか。それについて広くさまざまな論議がほしい。

 リーダーとして各分野に新風を吹き込み、国際的にも貢献できる人材はそれ自体が国の平和への力となるが、そうした人材の突出した才能が押さえ込まれないような社会こそ、創造性に満ちた真に豊かな社会だろう。着実に踏み出したい。

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