アカデミアと軍事(5)完 手探り続く研究モラル『朝日新聞』aサロン科学面へようこそ 2010年10月15日付

『朝日新聞』aサロン科学面へようこそ 2010年10月15日付

アカデミアと軍事(5)完 手探り続く研究モラル

              東京科学医療グループ・松尾一郎、小宮山亮磨

「ワイアード・フォー・ウオー」(戦闘準備完了)

米国で昨年、1冊の本が主要各紙の書評で取り上げられ、話題になった。

アフガニスタンやイラクの戦地に攻撃能力を備えたロボットが配備され、米国本土からの遠隔操作で「兵士」として戦う。時には誤って市民の命も奪う。

著者のピーター・シンガー・米ブルッキングス研究所上席研究員はそんな現実をもとに、ハイテクが変えた現代の戦争の危うさを指摘した。米国でも、ハイテクの源泉はアカデミアにある。同書は、マサチューセッツ工科大学(MIT)から生まれたベンチャーのアイロボット社が、軍の委託で開発した機体「パックボット」を、代表的な軍事ロボットの一つとして紹介した。

政府の研究開発予算の6割が軍事に絡むほど、軍とアカデミアの関係が緊密な米国でも、シンガー氏のように両者の接近がもたらす影響を懸念する研究者はいる。

今月上旬、アイロボット社の会見が都内であり、主力商品の掃除ロボット「ルンバ」(奥)とともに「パックボット」(手前)が会場に展示された=東京都千代田区

◇機密の網・学生の利用……懸念の声も

懸念にはさまざまな論点がある。

米スタンフォード大で2007年、国防総省からの約1億ドルの資金を元に「米陸軍高性能コンピューティング研究センター」が学内に設置されることになり、約60人の研究者がこれに疑義を唱えた。

同大の新聞によると、彼らはセンターでの研究に軍事の網がかぶされ、機密扱いにされることを恐れた。成果を公開し、議論を促すことで、科学の発展に寄与するというアカデミアとしての基本的な機能が損なわれるというのだ。

軍事研究に学生を巻き込むことの問題点もある。

例えば、国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)が資金を出し、大学などのチームが参加した車型自律走行ロボットの競技会「グランドチャレンジ」。シンガー氏は著書で、「(出場チームに)1億5500万ドル相当の無償労働を促した」というDARPAの試算と、軍用ロボット企業の重役の「グランドチャレンジの最大の長所は、大学生を低賃金でこき使っているところだ」という発言を紹介した。

学生は研究者と違って、研究開発に与えられる金銭的な対価は限られる。企業がコンテストを利用して、学生の純粋な熱意を軍事技術開発の原動力として安価に吸い上げているという指摘だ。

ただ、とりわけ大きいのは、研究者としての倫理だろう。

人工知能などを研究する米ミシガン大のベンジャミン・カイパース教授は、軍からの研究費の提供を拒否し続けている。ベトナム戦争の余波が残る78年、研究資金を提供してくれた米軍機関の狙いが、高性能の巡航ミサイル開発にあると気づいたのがきっかけだったという。

教授は個人的に「軍からの資金提供は受けない」という誓いを立て、ホームページで公開している。朝日新聞の取材に「軍からの資金は、軍事中心の研究に手を染めるようになる『滑りやすい坂道』だ」とし、宣誓の理由を「他の研究者たちに研究の倫理について真剣に考えることを促したいから」と説明した。

◇注意喚起へルール必要

日本にも、誓いを促す活動がある。

国の原子力委員会の鈴木達治郎委員長代理は99年、「大量破壊兵器の開発にかかわらない」という研究者の誓約を広める運動「ピースプレッジ・ジャパン」を立ち上げた。日本の研究者は戦後、軍事研究への加担を避けようとしてきた。憲法の精神を大切にする倫理は一定の成果を上げたと鈴木さんは評価する。

だが、日本のアカデミアへの軍事資金の流入は避けられない時代にあるとも感じる。思想や哲学に加えて、明確なルールが必要だと指摘する。

「あらかじめ技術の応用目的を知らせてもらい、どんな目的までならOKかという基準があれば、軍からの資金提供を受けて良いかどうか、研究者個人が判断せずに済む。転用を完全には防げない。それでも、注意しようという研究者の意識は高まるだろう」

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「アカデミアと軍事」は今後も随時、掲載します。

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《筆者の一人、松尾一郎から》

「アカデミアと軍事」の連載はここで一休みします。ここまでで紹介できなかったトピックもありますし、取材が継続しているトピックもあります。今後も随時、掲載を続けていきたいと思っています。

日本の大学や研究機関、つまりアカデミアは、様々な面で、欧米のアカデミアを理想としているところがあります。今回、めでたくもノーベル化学賞で日本人2人が受賞を決め、関連報道で「米国の大学は研究資金が豊富だ」という事実を伝えてきています。

しかし、自戒を込めて言えば、豊富な研究資金を提供する最大級の組織は米軍であり、軍産学の連携があるので豊富な研究資金が存在するという事実もあります。

欧米型のアカデミアを目指すのならば、日本のアカデミアが軍事とどういう距離をとり、いかにつきあっていくかということを真剣に考えなくてはいけません。米国のスタンダードのように、大学での研究に軍事研究を取り入れるのかどうか。大学生を軍事研究に巻き込んでもよいのか、研究員から巻き込むべきか。また、日本のアカデミアが国内の国防産業、国防行政とどうかかわるのかというのもいずれ向き合わなくてはならなくなるテーマでしょう。

果たして日本のアカデミアはどうあるべきなのでしょうか。今後の掲載記事ではそのあたりも含め、より深くわかりやすく報じ、皆さんと考えていきたいと思います。

今回、米軍による助成について、「是の意見をお持ちの識者」と「否の意見の識者」による、紙上討論を検討していました。「否」の識者についてはある著名な科学者からご意見をうかがうことができましたが、「是」の意見をお持ちで意見を公にしてくれる識者はなかなかいません。科学者、研究者の皆様で「是」の意見をお持ちの方、ぜひそのお考えをお聞かせください。コンタクトを心よりお待ちしております。

ご意見などはkagaku@asahi.comやFAX03-3542-3217でもお待ちしています。

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