『毎日新聞』2010年8月7日付
学生運動で役人志望やめた=東京大学第29代学長・浜田純一さん
東大に入学した年は学生運動が最も激しいころでした。(1、2年生が通う)教養学部も7月に無期限ストになり、その後、翌年1月の安田講堂事件までクラスの仲間と議論したり、よくデモに参加したりしていました。安田講堂に立てこもるほど過激ではありませんでしたが。
当時は僕も、このまま革命が起きるのでは、日本がひっくり返るのでは、と思っていましたし、期待する気持ちもありました。ただ、その後に何ができるのかという具体的なイメージがあったわけではありません。
安田講堂事件のころが学生運動のピークでした。多くの学生はそれまで訳の分からない高揚感があったため、脱力感で、これからどうすればいいのだろう?という思いを抱いていました。大学も授業は再開したけれど、リポートさえ出せば単位はもらえるという状況でしたし、僕もなかなか勉強するという気分になれませんでした。
本格的に勉強を始めたのは大学院に進もうと思ってからです。東大に入った時は公務員試験を受けて国の役人になるつもりでしたが、学生運動をして政府に抵抗してきたのに、そこに入るのはいかがなものかと思ったのです。それに学生運動を経験して人権問題などに興味を持ち、法律をもっと勉強したいという思いが強くなりました。
大学院ではとにかく勉強しました。助手になって給料をもらえるようになるまで、学部時代の風呂なしトイレ共同のアパートに暮らしたのですが、アパートでもひたすら勉強していました。
僕らの学生時代は世の中を斜に見ているところがありましたが、今の学生は今の時代を素直に見ていますね。だからといって昔よりひ弱だとは思いません。ただ、社会に余裕がなくなり、何かへまをすると後々どうなるか分からないという不安があるのでしょう。僕らの学生時代は社会が伸び盛りで、この先どう落ち着いていくのかも見えていなかったので何をやっても後々困るという意識がありませんでした。今は大胆になりにくく、リスクのある生き方がしづらい。若者たちにとってはかわいそうな時代ですね。【聞き手・井上俊樹】
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■人物略歴
◇はまだ・じゅんいち
1950年兵庫県明石市生まれ。私立灘中・高校を卒業後、68年に東大入学。72年、法学部卒業後に東大大学院に進み80年法学博士。09年4月、初の戦後生まれの学長に就任。