《追悼》『法人化』に反対された井上ひさしさん(その2) 3 *井上ひさし氏講演「都市の中の大学」(大意紹介)*

 

 

*井上ひさし氏講演「都市の中の大学」(大意紹介)*

●まえがき

「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に…」語り、書くことをモットーとされる井上さんの講演は、内容の深い話でしたが、一時間あまりのあいだ、軽妙なテンポで、ジョークを交えてしばしば笑いを誘い、聴き手を魅了しました。
それは、イタリアの都市ボローニャが、むかしむかし世界ではじめて大学を創ったときから現代に至るまで、大学を中心にユニークな都市づくりを進めてきた話で、井上さんが語るとまるでメルヘンの世界のように面白いのですが、市大改革の問題を考える上で大きなヒントを示してくれるものでした。

以下、洒脱な井上さんの語り口を文字通り再現できなくて申し訳ありませんが、簡略に大意を紹介します。(講演の録音テープにより、井上さんの御了承をいただいて、その大意を6分の1程度の分量にまとめたもので、文意の不備があればすべて長谷川の責任であります)

●講演大意紹介

「中世ボローニャに、パン屋、靴屋などの同業組合(ギルド)があって、徒弟から職人・職人から親方へという三段階の徒弟制度の中で、もの作りのさまざまな技術や知識が継承され、蓄積されていました。

今、大学問題が表に出てきたのは、世の中の仕組みが大きく変わってきているからというのは確かです。ボローニャ大学の始まりについても、同じで、当時世の中が変わって、いろいろな地域から新しい物や知恵が入ってくると、それまでの道徳観や、価値観が揺れ始めました。ボローニャは農産物の集散地として交易が盛んになり、あらたな商取引や、それについての法律の知識が必要になってきました。そのような法律の知識を知りたい勉強したいという青年たちが、知りたいもの同士の組合をつくって、法律に詳しい先生を招き、授業の内容も、知りたい者、つまり生徒の方が提示し、先生は必要な報酬を要求して、話し合った結果出来たのが、ヨーロッパで一番古いボローニャ大学(創立1119年)であります。一方、同じ頃に遅れて出来たパリ大学(創立1150年)のように、先生たちの組合が作った大学もありますが、ボローニャ大学は、その町の人が一番必要としているものを知りたいというので作られたものです。ここが大ヒントになると思います。

それまでのギルドは、靴とかパンとか、具体的な物を作る組合でしたが、ボローニャ大学は、町の人々が関心をもちはじめた新しい概念、知識、判断、そういう頭の中に発生する目に見えないものを、それまでに無かった方法で、教えるためのギルドでした。

これをラテン語でウニベルシタスといい、連合体、つまり商法や刑法などいろいろな教室の結合した「大学団」とでもいうべきものです。このウニベルシタスの最高の意思決定機関は学生総会で、学長は学生です。勉強したい方から学長が出ます。全学生が平等の発言権をもち、学長、学部長、事務局長、すべてボランティアで自分たちの中から選ぶ。外からは入れない。学長の任期はできるだけ短くして当初は一ヶ月、それで権力の集中と固定化を避けました。ボローニャの市議会は、今でもみなボランティアです。市議は、掃除当番なんかと同じように、偉くもなんともない。ここに市議さんがいらっしゃいますが(笑)、ボランティアで実費以外の報酬はない。つまり、ボローニャの場合、そういう約束事は大学から町に滲み出して、大学が町の性格をそのように決めていきました。大学のメンバーは同等の発言権をもつ代わりに、義務も平等です。皆で学則を決め、学則を破ったときの罰金のランク表が出来ていて、払われた罰金が大学の唯一の財源です。だからたくさん罰金を払う人は拍手なんかされる(笑)ここから大学の自治の精神が生まれました。

ボローニャ大学は、町の人たちが日ごろ忙しくて考えていられない問題を常に考えていました。これは、いまなら、たとえば喫茶店のご主人が朝から晩まで人権とは、ここで砂糖をいれるかどうか客に聞くのは客の人権の侵害に当たるか(笑)などと考えていたら商売にならない。そのような市民の重要な問題、人権の問題、自由の問題、平和の問題、戦争の問題、すべて市民に代わって大学が考えているからこそ大学が市民の誇りになります。

ベイスターズが優勝したとき、日本中にベイスターズファンがこんなにいたとは信じられないほどでした(笑)。そのときベイスターズの優勝を横浜市民がどれだけ誇りにしたかわからない。同じように、その都市にある大学が、すごいことを考えたり、そこの教授がすごい本を出したりして、おれたちの大学がいい仕事をしているというのが町の人たちの誇りになります。大学があることによってその都市がどれだけ楽しく、面白く深く、つまりその都市自体がものを考える都市になることでしょう。

横浜市大にその方向性があったかどうかわからない。しかし、これから続けていくには、横浜市の問題を大学が代わって徹底的に考え、市民がこれを知りたいといったら、すぐに市民にわかる言葉で答えを出すようなことをやっていくしかない。こつこつ千年前の横浜はどうだったかを考えている先生がいる……これあんまり効果はないけれど(笑)、そういう先生がいることが大事です。ふつう市民がやりたくても自分では忙しくて面倒臭くてやれないことを、大学で誰かが、なんだかわからないけれど学者の先生がやっている。その関係はタウンとガウン、つまり町と学者の着るガウン、町と大学は密接な関係だということなのです。横浜市には大学が無ければいけない。それをなくそうなんてとんでもない話で、横浜市長は、ちょっと困ったら大学へ行って、この問題どう考えるかという風に大学を使わないといけない。学生と学者がいると、町は、違う輝きを帯びてきます。大きな横浜市には大学が五つぐらい要るんじゃないですか。ベイブリッジ大学とか(笑)。そういう分校が。

市民は税金を払うために一生懸命働いている。病気になったら大学病院に行けばいい。悩み事があったら、大学が考えてくれていて答えをすぐ出してくれる。そのように市民に代わって研究しているのが大学で、しかも大事な問題、人間とは、人権とは、自由とは何か、すぐ答える。それもわかりやすい言葉で答えなければいけない。普通の人が読んで、この問題の本質はこうかと、わかるように易しく書けないと学者じゃない。先生方もそういうことを考えなければいけません。

しかし、一番考えなければいけないのは市民ですよ。市民が立ち上がらないといけない。大学が本当に必要なら、こういう大学になってほしい。いままで、こうこう、こういうことをしてきたから、この線でこれをしてもらえば、税金を払おうじゃないか。おれたちが引き受ける。スポンサーはおれたちだよって、なぜ言わないのか、残念です。勝手なことを外部から来て言う学者がいて、それを言わせてしまった横浜市の市民の問題と、市当局および横浜市大の問題と二つあると思います。どっちも不十分だったのではないでしょうか。大学というものが自分たちの代わりにすごいことを考えてくれているということを信じないといけません。」

このように、井上さんは、ボローニャの町と大学の関係を話され、それをヒントに、横浜市大の問題について、市および大学関係者、そして市民がどう考えてゆくべきかについて重要な示唆を与えてくださった。

さらに、井上さんは、ボローニャ市が、第二次世界大戦後の一時期、中央政府との財政的つながりを自ら断ち、独自の都市造りをすすめ、大学都市として法学のメッカであった上に、ユニークな工業技術の特許を持って、世界に売り込み裕福な市になった話をされた。

井上さんは、最後に、そうして金持ちになった市民が、精神的な満足をもとめて大学に相談し、大学の先生の提案によって、自分たちの市を世界有数の演劇都市として活気づけた経緯を以下のように話された後、横浜市と市大の問題に触れ、盛大な拍手のうちに講演を終えられた。

「1970年代の初め頃、ボローニャの市民は、金持ちになったけれど、なにか物足りない。そこで大学に相談すると、ボローニャ市民の意思を表現する方法として、ボローニャ大学のウンベルト・エーコという『薔薇の名前』(世界的ベストセラーになった小説)を書いた先生が、ローマから演出家・脚本家で、主演の役者もやるダリオ・フォーという若手演劇人を連れてきて、ボローニャ市民の気持ちを伝える芝居をやらせることにしました。ダリオ・フォーは、毎 晩中央政府の政治家を茶化すコントをやり、それがイタリアの国営放送の中継で人気番組となり、ヨーロッパにも流れます。このようにボローニャ大学が考えて、それで結局、ボローニャ市は、演劇の町になります。当時、人口50万たらずの町に劇場が40ぐらいあります。それを市民が楽しんで、ダリオ・フォーは1998年にノーベル文学賞をもらいました。これ、みんなボローニャ大学が絡んでいます。そのように市の中心にシンクタンクというか、市民が考えることを先行して考えたり、市民の注文によって考えたりする巨大な存在として頭脳として大学があるのです。

つまり納税者、主権者は、自分たちのために徹底的にものを考えてくれる学者の集団を、どこかで持っていなければいけない。それが横浜市の場合、横浜市立大学であり、これを、もし手放すようなことがあったら、横浜市民の大きな損失で、歴史に残る汚点でしょう。これは、市民の実力が試される機会がきたとぼくは思います。市大の先生と、市民が必至になって闘えば必ずついてくる人がいるはずで、そんなこという市長がいたら、次の選挙で落とせばいい(拍手)それだけのことだとぼくは思います。人間のつくったものは人間の手で変えられる。人間はその前で立ちすくむ必要は全然ないのです。」

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