《追悼》『法人化』に反対された井上ひさしさん(その2) 4 *井上講演「都市の中の大学」を聴いて*

 

 

*井上講演「都市の中の大学」を聴いて*

横浜市の未来の輝きのために、横浜市大をどう存続させるのか ~
「市大を考える市民の会」代表 長谷川 洋

都市の未来と希望、市民の本当の意味の幸せをどう実現するのか。5年10年の目先の問題ではない。もっともっと先の横浜市の未来をきめる方向、そんな、抽象的な漠然とした問題は、市政のプログラムには乗りにくいかもしれない。しかし、それを考えさせてくれたのが井上ひさしさんの講演「都市の中の大学」である。

井上講演を聴いて、いちばん考えさせられたのは、市大の先生方であろう。もしそうでない先生がいたら、それはよほど立派な学者か、さもなければよほど鈍感な人である。「横浜市大に(市民の重要な問題を考え、分かり易く答えてゆく)その方向性があったか」と問われて、良心的なまじめな先生ほど、考え込むにちがいない。わたしは、市大にはそういう先生が多いはずだと信じている。

そして、もし講演を聴いていたら、もっとも喜んだのは「市大を手放すようなことをいう市長がいたら、次の選挙で落とせばよい」といわれた当の市長ではないだろうか。なぜなら、市長は市大をなくせとは言っていないし、市大は市や納税者である市民のために貢献する大学にならなければならないと言って、市大改革の問題提起をしたのは市長だからだ。

「井上さんは、いったいどっちの味方なの」と少し戸惑ったのは市民であろうか。しかも、いま「一番考えなければいけないのは市民ですよ。市民は立ち上がらなければいけない」と井上さんは言われた。市民はいったい誰のために立ち上がるのか。市大のためでも、市長のためでもなく、われわれ市民は市民自身のために、考えて立ち上がらなければいけないのだろう。井上さんの講演は、世の中の変化によって生じてきた新しい目に見えない知識、概念、判断を学びたいと、市民自身が作ったボローニャ大学とボローニャ市との関係、そしてその後の市と大学の、タウンとガウンの相互発展の歴史が、まさに都市と大学の関係を問われている横浜市大問題を考えるヒントになると示唆している。

「こういう大学になってほしい。いままで、こうこう、こういうことをしてきたから、この線でこれをしてもらえば、税金を払おうじゃないか。おれたちが引き受ける。スポンサーはおれたちだよって、なぜ言わないのか残念です。勝手なことを外部から来て言う学者がいて、それを言わせてしまった横浜市の、市民の問題と、市当局および横浜市大の問題と二つあると思います。どっちも不十分だったのではないか」

問題の本質を井上さんは的確に指摘された。

まず、市民が大学に何を求めるか。それは人材育成にはじまり、先進科学や先端医療の研究から、産学協同、市民の生涯教育、そして大都市横浜の抱える諸問題、横浜の活性化のためのアイデア、さらに市民に代わって考える人権の問題、自由の問題、平和の問題、文化の問題等々、市民が市大にかける期待は大きいはずである。それは今すぐ横浜市民の役に立つことというような狭い問題だけではない。市民はそれをどんどん口に出して言う必要がある。一方、大学は、市民の問題を徹底的に考えて、市民の期待にそって、こう変わります、こういうことができます、こういうこともやっています、と必至になって努力して、市民にわかる言葉でこたえるべきである。これは、大学の改革の大前提である。

この前提が満たされるとき、市長は、市民の意思に従って大学自身が決めたことをサポートしなければならないだろう。市財政赤字の解消策の一つにすぎないような大学改革(の名に値しない大学縮小)は論外となるだろう。しかし、先の前提が、大学側によって満たされなければ大学は死滅だし、前提が満たされる可能性があるのに、市長が大幅な大学縮小を行えば、そんな市長は次の選挙で落とせばいい。

「それだけのことだ」と結ばれた井上さんの講演は、諸刃の剣である。

大学に対する厳しい注文のあとで、「大学というものが自分たちの代わりにすごいことを考えてくれているということを信じないといけない」「市長は、困ったら大学へ行って、この問題どう考えるかと、そういうふうに大学を使わなければいけない」「学生と学者先生のいる町は輝きがちがう」「大きな横浜には五つぐらい大学が要るんじゃないか、ベイブリッジ大学とか」と畳みかけるように話される井上さんの、ジョークを交えた言葉の中に、「都市の中の大学」の意義と大学によって輝きを増すであろう「都市の希望」が見えてくる。「あり方懇」答申には、この視点が欠けている。市長(市当局)と学長(大学)、そして市民のわれわれも、この点をよく考えなければいけない。

「市大を考える市民の会」は、「市大と附属2病院の存続・発展」を目標にかかげて運動を続けてきた。井上さんをお招きして講演をお願いしたのは、市民としての自分たちの運動の意味を確かめたいという気持ちがあったからであるが、その期待は満たされた。大きな反省を迫られ、勇気を与えられるとともに。つまり、「市大の存続・発展」の目標は正しい、しかし自動的に保障されるものではなく、市民の大学に対する期待と理解と積極的な発言の上に、市大自身の改革の努力があって、はじめてかち取られるものだということである。われわれ「市民の会」はこのことを踏まえて市大存続発展のための運動をつづけてゆきたい。ゆくゆくは市大の分校を5つぐらいつくって、演劇科もつくりたいと。

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