危機の医学部・付属病院 『読売新聞』2010年2月10日付

『読売新聞』2010年2月10日付

危機の医学部・付属病院

最新医療や医学研究、医師育成を担う大学医学部・付属病院が医師らの不足や過重な勤務負担から危機に陥っているとの声が強まっている。その現状を2氏に聞いた。(聞き手・編集委員 前野一雄)

高久 史麿(たかく ふみまろ)氏
学生増 長期的視野で

日本医学会会長、自治医大学長、地域医療振興協会会長、東大名誉教授、国立国際医療センター名誉総長。78歳。

――医学部機能の弱体化が指摘されています。

高久 日本医学会は107学会が加盟し、性格上、大学医学部の方が中心ですから、いろいろ影響を及ぼしています。医学部は診療、教育、研究の三つの役割を担っていますが、人員が足りない中、多様な職務が増えてくると、どうしても研究にしわ寄せがいきます。実際、臨床医学系論文数が減っていることが気がかりです。

――研究は大学の社会的役割でもあります。

高久 医学研究には基礎と臨床がありますが、近年、基礎研究を志望する医師が減っています。理工系など医学系以外との研究者の連携は大切ですが、臨床からの発想が基本ですので、このままでは日本の医学研究のレベル低下が心配です。

――国立大学が独立行政法人化されましたが、現状はどうですか。

高久 国から支給される運営費交付金が毎年1%前後減っていますから、その分、大学病院の収入を増やすことで対応せざるを得ない面もあって、結局、臨床の医師が、より忙しくなっています。

――若い年代の意識変化もあるのではないでしょうか。

高久 ゆとり教育の影響か、若い医師や医学生に使命感が希薄になり、楽な方に向かいがちな雰囲気が気がかりです。特に外科系に危機感があります。外科系は勤務時間が長くて、訴訟が多い、習熟に時間がかかる割に早く引退する医師が多く、医師養成の効率が内科系より悪い。外科医不足で、手術を受けるため、患者が海外に出かけなくてはならなくなったら悲惨です。

――国は医学部の入学定員を1・5倍にする方針です。

高久 OECD(経済協力開発機構)加盟国の人口1000人当たり平均医師数が3人。日本は2人だから、1・5倍にするという極めて単純な計算です。欧州の比較的小さな国は医師が多いものの、女性医師の比率が高く、医師の労働時間の制限が厳格といった背景もある。アメリカが2・4人、イギリスは2・3人、カナダ2・1人とそう多い訳ではありません。

――今でも大学は手いっぱいな状態にあるようですね。

高久 教員を増やさず、学生を増やすのは無理です。でも急に教員を集めるのも大変で、教員の質の低下を招きます。設備の拡充も間に合いませんから学生数を急増せず、時間をかけて徐々に増やしていくべきです。

――最近、研修医が大学に残らず、一般病院での研修希望者が増えています。

高久 一般研修病院は指導医が研修医と1対1で対応できるのに、大学の教員は医学部の学生の教育もしなくてはならず、自分の研究もあり、研修医に十分時間が掛けられない事情も影響しています。

――医療機関の役割分担と連携強化も不可欠です。

高久 自治医大では地域の医師会や近くの病院と連絡をとって、大学病院では小手術や、軽症の救急をやらず、他の施設が担うという機能分担を図りました。その結果大学に来る患者さんは減りましたが、収支はかえって良くなっています。住民にどのような医療を提供していくか、まさに地域の問題です。

水澤 英洋(みずさわ ひでひろ)氏
医師・教員不足が深刻

全国大学医師会連絡協議会会長。東京医科歯科大学脳統合機能研究センター長、神経内科教授。東大医学部卒。57歳。

――このままでは医学部が崩壊すると警告されています。その実情をご説明下さい。

水澤 まず医師・教職員数の少なさがあります。たとえば東北大医学部は学生数が約600人に対し教授68人、准教授69人、講師70人、助教267人、助手14人の計488人です。学生数が同規模の欧米の医学部と比べ3分の1以下に過ぎません。米ハーバード大に至っては9300人と日本の10倍以上の教員数です。

――新設大学はさらに少ないのではないでしょうか。

水澤 ほとんどの大学は300人以下です。旧帝大の半分の人員で何百床もの病院医療を担っています。病院には常勤の教員のほか非常勤の医員、研修医がいますが、給与も低く、身分も不安定です。

――看護師ら医師以外の職種も少ないのですか。

水澤 アメリカでは軽症患者らの診察や薬の処方を行うナースプラクティショナー(診療看護師)やセラピスト、技師、クラーク(医療秘書)ら専門職がたくさんいて最新のチーム医療を動かしています。日本も医師以外の医療職の力をもっと借りる必要があります。

――医師数が少ないので勤務時間も長くなりますね。

水澤 東京都医師会のデータでは週平均70時間を超えています。60時間以上は過労死の危険があります。看護師の離職率が高いのも過重な仕事に一因があるので、一緒に考えていかねばなりません。

――患者の大病院志向から軽症でも大学病院に来る傾向も拍車をかけていますね。

水澤 診療所や一般病院、大学病院がやるべきことをすみ分けしなくてはなりません。少ない医師では十分効果をあげられないだけでなく、本来大学病院でやるべき診療や研究ができなくなっています。医療事故が多発した時、医学部教育が十分でないと論議されました。教員数の貧弱さが一番大きな原因ではないでしょうか。それを改善しないで、医学生の数を増やすと、さらに教員の負担が増すわけで、教育の質はもっと低下します。今の状況は危険です。一方、社会や医療、医学研究が変化しているのに、医学部の体制整備がついていっていないのが現実です。

――全国大学医師会連絡協議会を組織しましたね。

水澤 全国の医大・医学部の中で61の医師会があります。これらが協力して2006年に発足しました。大学に勤務する医師は、日々の診療などに忙殺されていますが、健全な医療と医学教育・研究のために我々が声をあげる必要があります。厳しい現状を広く国民に知ってもらわないと、新しい体制、変革は出来ません。ぜひとも日本医学会、日本医師会と連携しながら社会に発信して改革を進めようという趣旨です。

――どのような具体的な活動を考えていますか。

水澤 3者が共同して医学部崩壊を食い止め、医学部の活性化・発展に向けた「2010宣言」を掲げました。活動の3本柱として〈1〉定期的に国民に情報発信し理解を促す〈2〉すべての医師が情報を共有する〈3〉医学部活性化会議(仮称)を創設して国と国民に提言する――というアクションプランを考えています。

[解説]大学の拡充策不十分

文部科学省は全国医学部の来年度定員を2009年より360人増やして過去最多の8846人にする。すでに08、09年度で合計861人が増員されている。

しかし、医学生の急増を受け入れる大学施設や教員の拡充策は不十分だ。とりわけ教員を増やすには、市中病院の勤務医を大学に戻すことになる。これでは地域の医師不足を進め、かえって地域医療の崩壊を助長しかねない。医師養成には長い年月と、膨大な経費がかかる。国は地域や診療科の医師配置のあり方など長期にわたる計画と、地に足が着いた実行が求められる。

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