松川事件の資料室 研究員の確保難航 『河北新報』2009年10月14日付

 

『河北新報』2009年10月14日付

松川事件の資料室 研究員の確保難航

福島市松川で1949年、列車が転覆し3人が死亡した松川事件。被告20人に死刑などが言い渡され、最高裁で全員無罪となった冤罪(えんざい)事件を風化させまいと、約20年前に設立された福島大の「松川資料室」の存続が危ぶまれている。膨大な裁判記録などを保存しているが、長期的に管理するスタッフの確保が難しくなっている。資料の散逸を懸念する声は強く、福島大で今月開かれる松川事件60周年の全国集会では、存続を求めるアピール採択も予定されている。

福島大に松川資料室が開設されたのは88年。元被告の手紙や裁判の記録など約10万点を所蔵し、今も年間200~400人が訪れる。唯一の研究拠点として高く評価され、学者や法律家、社会運動家からの問い合わせも多い。

資料を収集・管理してきたのは、労働経済論などが専門の福島大名誉教授の伊部正之さん(67)。定年後も研究員として大学に残って資料室を担当しているが、任期は来年3月まで。福島大ではほかに、松川事件に詳しい研究者は見当たらないのが実情だ。

資料室を管理する福島大地域創造支援センターは「ただ資料を置いてあるだけでは、資料室として機能しない。専属のスタッフは必要だと考えている」と言う。だが、独立行政法人化後、大学経営も厳しさを増し、伊部さんの後継者となる人材のめどは立っていない。

松川事件60周年記念全国集会実行委員会の石川信事務局長補佐は「事件を次の世代に伝えるためには、専門の研究員がいる資料室の存続が必要だ」と訴え、「資料室の資料は国民の共有財産。学術的な価値を考えれば、文部科学省が支援を検討してもいいのではないか」と提起する。

全国集会は17、18日に福島大であり、伊部さんや松川事件の主任弁護人を務めた大塚一男弁護士(東京弁護士会)らが講演、参加者が事件現場を訪れる。一般の参加も可。連絡先は実行委024(522)7368。

[松川事件] 1949年8月17日、東北線松川―金谷川間でレールの継ぎ目が外され、上り列車が脱線転覆、乗務員3人が死亡した。旧国鉄などの労組員20人が起訴され、一審で全員有罪(うち死刑5人)、二審で17人有罪(死刑4人)の判決を言い渡された。被告のアリバイを示す団交記録が見つかったことなどから、最高裁は有罪判決を破棄、仙台高裁での差し戻し審で全員に無罪が言い渡され、63年に確定した。下山、三鷹事件とともに「謎の戦後三大事件」とされる。

 

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