『毎日新聞』2011年2月1日付
基礎科学:投資、国の発展に不可欠 研究の多様性保つ資金配分を
来年度予算案で科学技術分野への投資が増額され、科学振興への期待が高まっている半面、若手研究者の減少や国際競争力の低下など課題もなお多い。日本学術会議で基礎科学分野の分科会を取りまとめる広川信隆・東京大特任教授と黒岩常祥・立教大特任教授に、基礎科学が直面する課題と打開策を聞いた。【聞き手は青野由利・毎日新聞論説委員、まとめ・永山悦子】=文中敬称略
◇若手研究者の生活保障を--広川信隆・東京大特任教授
◇国費減り、研究環境が劣化--黒岩常祥・立教大特任教授
--お二人は、基礎科学の対象を、どのようにとらえていますか。
広川 自然や宇宙、生命などの仕組みを明らかにし、知を創造するのが基礎科学、直接社会に役立つ成果を目指すのが応用科学です。
黒岩 今ある応用科学は、基本的に基礎科学の発展の上に成り立っているということを忘れてはいけません。
--最近、若手の研究者が減っているというデータが出されていますが、基礎科学にどんな影響を与えていますか。
広川 学生の基礎科学への関心は明らかに低くなり、応用志向が高まっています。全国の医学部卒業生で基礎医学の研究を志す人が、1980年代をピークに激減しています。
黒岩 理学も同じ状況です。修士課程まで進む学生はいますが、多くの大学院の博士課程が定員に満たない状況です。さらに、国から国立大に入る基盤的経費「運営費交付金」がこの10年減り続け、教員1人あたりの研究費が年10万円というケースも出ています。大学院に進んでも薬品も買ってもらえず、修士課程に進むと就職活動が大変で、研究に没頭する期間は半年しかない。まともな研究環境がないことが、悪循環の一因です。国が破綻しては基礎も応用もありませんが、大学など教育・研究の現場がないがしろにされたままでは、将来の日本の国力が衰退してしまいます。
■任期制見直しも
--そのために何が必要でしょうか。
黒岩 現状では、博士号を取っても、任期付きのポストしかありません。2~3年雇われても、すぐに次の職探し、という繰り返し。任期制が若手研究者の精神をかなり圧迫しており、私は任期制ではない助教のポストを増やすとともに、3~5年という任期は倍に延ばすべきだと考えています。
広川 若手研究者の生活保障は本当に大切です。基礎科学離れの背景には、研究者を目指す若手に対する経済的支援の貧困さがあります。たとえば医学部を卒業し、臨床研修を受け、大学院へ入ると26歳。大学院は無給で、授業料も払わねばなりません。米国には、医学部出身の研究者を育てるプログラムがあり、全米で約900人が年3万5000ドル(約290万円)の支援を受けています。同様の取り組みは韓国にもあります。優秀な人材を研究者にしよう、という国の姿勢が明確です。
--第4期科学技術基本計画が来年度から始まります。ライフサイエンスやグリーン(環境)分野を柱に据えつつ、解決すべき重要課題に取り組むとの内容ですが、計画をどう見ていますか。
広川 日本の高等教育への公的支出は、対GDP(国内総生産)比でみると先進国最低の0・5%です。まずこれを抜本的に改善することが求められます。重要課題解決のための研究とともに、基礎科学を「車の両輪」と明記し、20年までの政府の研究開発投資を対GDP比1%にすると目標に掲げた点は評価しますが、投入する資金のバランスが問題です。基礎科学への配分は、従来少なすぎました。重要課題を決定する過程の透明性確保も必須です。
■真摯な努力必要
--来年度予算案では、科学技術への支出が増え、運営費交付金は下げ止まるなど、政府は科学技術に前向きの予算と説明しています。一方、日本の財政状況は厳しい。社会全体を見渡した上で、基礎科学への投資をどうすべきですか。
広川 日本の発展には、科学技術創造立国を推進するしかありません。その基盤となる基礎科学への投資は極めて優先順位が高いといえます。科学技術の発展なくして、社会保障の充実もないと考えるからです。先進国では、大学など高等教育への公的支出が高い国に北欧各国が並びます。北欧は社会保障の充実でも有名で、この事実は示唆に富んでいます。
黒岩 日本の科学者は約84万人と推計されますが、毎年の科学研究費補助金(科研費)の申請者は約10万人です。残り74万人の新たな挑戦を支援するため、1件あたりの額は少なくても採択率が高いものを科研費に作ってはどうでしょうか。いい研究は多様な中から生まれる例が圧倒的です。多様性を保つ研究に資金を配分することが必要でしょう。
「研究分野で日本が中国に抜かれた」と話題になっています。中国は急速に発展し、市内を走るのは自転車から外車に変わり、何もなかった知人の研究室には最新の研究機器が並んでいました。しかし15年前と変わっていないことがあります。自習室で真摯(しんし)に猛勉強する学生たちの姿です。そういった姿勢を日本の若手研究者が持てるよう政府もぜひ支援してほしいと思います。
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■人物略歴
◇ひろかわ・のぶたか
71年東京大医学部卒、78年医学博士号取得。東京大助手、米ワシントン大医学部准教授、東京大医学部教授など経て09年から現職。日本学士院会員。細胞内で物質の運び屋となるたんぱく質群を発見。記憶力や「心臓は左」といった体の形成などを担うことを突き止めた。上原賞、武田医学賞、日本学士院賞など受賞。64歳。
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■人物略歴
◇くろいわ・つねよし
66年東京都立大理学部卒。71年東京大大学院博士課程修了。岡山大助教授、基礎生物学研究所教授、東京大教授など経て、03年立教大理学部教授。07年から現職。日本学士院会員。細胞増殖の基本となるミトコンドリアと葉緑体の分裂、遺伝の仕組みを発見した。紫綬褒章、米国植物科学会賞、日本学士院賞などを受けた。69歳。