1.佐賀大学退職金引下げ無効訴訟
提 訴 声 明
2013年11月7日 同訴訟原告団・弁護団
国立大学法人佐賀大学は、退職金を引下げるべく就業規則を改正し、同就業規則は本年1月1日から施行された。しかし、この就業規則の不利益変更は、法的に無効とされるべきものである。このため、本年佐賀大学を退職しこの退職金引き下げの適用を受けた教職員2名が原告となり、その引き下げ額の支払いを求めて、同大学を被告として、本日、佐賀地方裁判所に提訴した。
今回の退職金引下げの背景には、2012年8月7日に閣議決定され、同年11月16日に国会で可決成立した国家公務員退職手当法改正法が存する。この閣議決定では、本来、国家公務員退職手当法の適用のない非公務員型の独立行政法人の職員についても国家公務員と同様に退職金を引き下げる措置を各国立大学法人に要請することとされたのである。そして、その内閣の要請にそのまま佐賀大学が従ったため、退職金が引下げとなったものである。
しかしながら、国立大学法人の職員は非公務員であり、本来その労働条件は対等な労使間の合意に決定されるべきものである。つまり、国立大学法人の職員には、民間労働者と同じく労働契約法や労働基準法などの労働関連法令が適用されるのである。したがって、職員の給与や退職金の減額を国や政府が圧力をかけあるいは介入することはおよそ許されないことである。また、佐賀大学としても、本来、内閣の要請に唯々諾々として従うのではなく、大学の自主・自律性の確保を尊重し、労使対等決定の法原則に従って対処しなければならない立場にあるというべきである。
このように、国立大学法人の職員については、労働契約法等の法令が適用されるのであるから、国立大学法人において、就業規則を不利益変更して労働条件を一方的に引き下げることは、原則として許されないものである(労働契約法9条本文)。この点、労働条件の変更の必要性が認められ、変更後の内容に相当性が認められる場合など、就業規則の変更が合理的なものであると認められる場合には、例外的に合意によらない就業規則の不利益変更も認められているところではあるが(労働契約法10条)、佐賀大学が今回行った退職手当規定の改正による退職金引下げは、以下に述べるとおり、何ら合理的なものとは認められないものである。
そもそも、賃金・退職金など、重要な労働条件に関する不利益変更については、「高度の必要性に基づく合理性」がなければ拘束力を生じないとするのが判例の見解であるとこと、本件もこの重要な労働条件である退職金を切り下げるというものでるから、これが認められるためには高度の必要性や合理性を要するものである。しかるに、第1に、佐賀大学の財政状況は退職金減額を不可避とするものではない。例えば、佐賀大学は平成23年度において約23億7000万円の純利益が計上されている状況である。退職金の財源が国からの運営交付金からまかなわれ、その減額があるとしても十分補てんが可能である。第2に、すべての退職者の退職金を引き下げるものでありながら、代償措置が一切設けられておらず、教職員に一方的な不利益を課すだけのものである。第3に、佐賀大学は教職員全体への説明を行っておらず、就業規則変更時に変更前に必要とされる過半数代表者への意見聴取義務も履行していない。そして、佐賀大学は、佐賀大学教職員組合との協議も極めて不十分な中、2012年12月26日に一方的に退職金引下げを決定し、2013年1月1日から施行を強行したのである。
よって、いずれの観点からも、退職手当規程の改定は労働契約法10条の要件を満たさず、無効である。
本件においては、単に就業規則の不利益変更の是非が問われるにとどまらず、独立行政法人の非公務員型職員の処遇について、労使対等決定の原則が確保されるのか、それとも国による支配介入を許してしまうのかという問題が問われている。そして、ひいては、学問の自由を真に基礎づけるために国立大学法人の自主性・自律性がいかに確保されるべきかという問題を提起するものである。
原告及び弁護団は、本件訴訟を通じて、労使対等決定の原則という法原則を守ること、そして、国立大学の自主性・自律性を確保することを目指すものである。ついては広く世論の支持を期待するところである。
以上
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2.提訴の目的と意図について
原告 豊島耕一(佐賀大学名誉教授)
私が退職する直前,今年の1月1日に実施された就業規則の変更によって,退職金が本来の額から約6%減額されました.これは労組などとの交渉など適正な手続きを踏むことなく行われ.しかも該当者への通知が実施の数日前という,全く理不尽なものでした.したがって違法なもので,容認できません.
提訴の直接の目的はもちろん,大学当局の不当な行為による私自身の経済的損失を回復することです.しかし同時に,今回の大学の決定の背景にある国立大学と文科省,政府との関係の問題性も同時に明きらかにしたいと思います.つまり,2004年に実施された「独立行政法人」というシステムはとてもグロテスクなもので,「独立」という名前とは反対にむしろ官僚統制を強めるものである,という問題です.この制度は,法に基づかない支配,つまり文科省からの「パワハラ」を一層やりやすくしていますが,まさにそのパワハラによって今回の退職金減額もなされ,また数年前からの賃金減額もなされているのです.
パワハラは,賃金という労働条件の問題だけではなく,「大学のミッション再定義」などと称して大学の研究・教育にまで及んでいます.つまり「大学の自治」や「学問の自由」という民主社会の基本的な価値まで脅かしています.
自分自身に降り掛かった使用者の違法な行為については,教育者としても,また長年お世話になった佐賀大学への「忠誠」という意味でも,二重の意味で見逃すことは出来ません.つまり,自らの権利を守り不正と戦うべしとこれまで教えて来たはずなので,今回の事態を放置することはみずからそれを裏切ることになり学生たちに示しがつきません.また,佐賀大学において正常な労使関係が損なわれることに抵抗し,正常化するための職員の方々の努力に,たとえ微力でも加わりたいと思うのです.
私は法学系の人間ではありませんが,イェーリングの「権利のための闘争」という本は法科学生の必読の古典とされているそうです.その中に「倫理的苦痛」という言葉があります.それは,物理的な身体への侵害における肉体的苦痛と同様に,権利侵害に対する警告として与えられるものだそうです.この警告への感性を私は大事にしたいと思います.
また次のような一節もあります.「権利者は自分の権利を守ることによって同時に法律を守り,法律を守ることによって同時に国家共同体の不可欠の秩序を守るのだと言えるとすれば,権利者は国家共同体に対する義務として権利を守らなければならぬ」と言うのです.現在の法学がイェーリングをどう評価しているか知りませんが,私は大変説得力を感じます.
最後になりましたが,私の問題提起を深く受け止めていただいた弁護団の皆様,そして物心両面での支援を申し出ていただいた佐賀大学教職員組合の皆様に感謝を申し上げます.
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追記:会見に出席された記者の方から,独立行政法人と国立大学法人の違いについて質問がありました.上の文章でも両者が混在しているので確かに分かりにくいかと思います.国立大学法人は「国立大学法人法」という法律で規定され,独立行政法人は「独立行政法人通則法」で規定されています.しかし前者の条文の大半に,後者の条文規定を「準用する」という記述が見られるため,ほとんど類似しています.
もともと国立大学も独立行政法人にするという構想だったのですが,教育機関を「行政」機関のように扱うのが余りにもあからさまなので,一種の「ごまかし」として別の法律を作った,という経緯です.記者の方が「では兄弟のようなものですか?」と聞かれましたが,まさにぴったりの表現です.
国立大学の独立行政法人化をめぐる問題点については,「阻止全国ネット」のページをご覧下さい.
http://ad9.org/pegasus/znet.html