危機の時代に挑む大胆な大学改革を『日本経済新聞』社説2011年4月24日付

『日本経済新聞』社説2011年4月24日付

危機の時代に挑む大胆な大学改革を

 東日本大震災と原子力発電所の事故は、日本の社会や経済の大きな転機となるだろう。国の将来を左右する人材を育てる高等教育の仕組みもまた、見直しを迫られる。

 いま、国の復興と地域や産業の再建に力を発揮する人たちを元気づけ、新たに育てていくことが、かつてないほど国家的な急務になった。グローバル経済の奔流は傷ついた日本の回復を待っていてはくれない。世界と競える能力も以前に増して日本に求められている。

文理の枠を超えて学ぶ

 私たちは震災前に掲載したこのシリーズの冒頭、政治や経済、科学や文化などをひっくるめた「国の力」の根幹にあるのは一人ひとりの人間の能力であると主張した。

 明日の日本を築くのは国民の「個の力」である。いま、それは一段と重みを持つはずだ。とりわけ、政治や経済、科学などの分野で、危機に際して指導力や専門知識を生かし、組織や社会が目指す方向を適切に判断できる人たちの力が大切だ。

 そうした力を育てる日本の高等教育は十分に機能してきただろうか。大学を中心にした高等教育のシステムは、戦後も幾度か改革の試みがあったが、これからはもっと大胆に見直さなければならない。大学の淘汰や再編も避けられないだろう。

 まず、大学の1、2年は、文系と理系の枠を超えて幅広い教養を学ぶ機会とするのが望ましい。

 若いときに歴史や自然科学など多様な知識に接することが「個の力」を強め、信頼される人材を育てる根幹にもなる。若者が様々な学問に接してから進路を決め、学部や大学を自由に移れるようにしたい。

 かつて、大学は学問で結ばれた者たちの共同体だった。それゆえ大学間のライバル意識が強烈な一方で、学者による学者のための閉鎖的な仕組みを内部に残してきた。これを学生中心の開かれた組織に再生しなければならない。

 学生中心とは、学生を甘やかすこととは違う。授業料に見合った知識や技能を与え、学生が未来を切り開く力を獲得することに大学が責任を持つということだ。

 そのためには大学のなかに様々な専門職が要る。大学教員が入学試験など学内業務に多くの時間を費やしているのが現状だが、これでは本来の教育や研究がおろそかになる。

 社会との関係も、大学はもっと深めるべきだ。研究の成果や知識を一般社会に説明する機会を普段からつくり、学問が大切にされる文化の醸成に努める必要がある。大震災のような危機にあたっては、国民の安心と安全のために大学が持つ知を総動員する責任がある。

 戦後の若年人口の増加と学歴志向の高まりで、大学は長らく右肩上がりの成長を楽しんできた。1992年に18歳人口がピークを超えた後も、学生数を増やしてきた。引き換えに学生の質の劣化を招いたが、そうした時代ももう続かない。

 若者はさらに減る。定員割れで募集停止や学部統廃合に追い込まれる大学が出始めた。それが日本の高等教育の衰退につながっては困る。

 海外にはグローバル競争を背景に、急速に大学進学率を高めている国がある。経済協力開発機構(OECD)の調べでは、日本の大学進学率48%に対し英国は57%、韓国はじつに71%に達する。もはや日本だけが「教育大国」ではない。

学長に大きな権限必要

 新たな知識や先端的な技術を生み出す拠点として、大学院の拡充が必要だ。ただし従来のようにやみくもに増やすのではなく、世界と競う研究拠点を戦略的に築かねばならない。横並びをやめ、先端の知を追求する研究主体の大学と、教育主体の大学に分かれていくのが望ましい。

 現場がそれぞれ特色のある教育や研究で競い合うため、文部科学省は大学に大きな裁量権を与えるべきだ。文科省は国立大学を法人化したが目的は行政改革で、真に高等教育の改革を目指したとは言えない。

 国立大学法人の学長は事実上、人事権も予算配分の権限も持たない。学長に権限を与え、教育に見識があり経営にも通じた人物を、例えば産業界や海外から招き、個性が光るような大学経営を促したい。

 文科省は交付金と天下りで国立大学を保護し、統制してきた。文科省も大学も、こうしたもたれ合いの関係から脱するときだ。

 大学教員は昔ながらの仕組みにしがみついていてはならない。学生は意欲的に学び、可能性を広げる努力をしてほしい。就職のためだけでなく、社会のためにできることを自らに問いかけたいものだ。新しい大学づくりに挑戦する教員や意欲ある学生を、時代は求めている。

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