結城学長の大学観と大学運営の問題点 『山大職組情報』2010年5月20日付

『山大職組情報』2010年5月20日付

結城学長の大学観と大学運営の問題点

 -「文科省が主役」の大学づくりを批判する!-

はじめに

「学生が主役」の大学づくりを掲げる結城学長ですが、その実は「文科省が主役」の大学づくりをめざしている--そのような動向がこの間の大学運営や最近の結城学長の発言から明確になっています。山形大学の将来に関わる重要な内容ですので検討しましょう。

Ⅰ 結城学長の大学観-JST講演から-

結城章夫氏は、2010年1月に科学技術振興機構(JST)主催「地域大学サミット2010 ~法人化を契機とした地域大学のあり方~」で「地域の中規模総合大学のこれから」と題する基調講演をおこないました。JSTから入手した講演録全文を読むと、結城氏は自らの大学観を本音で語っています。注目される点について紹介しましょう(以下、太字の引用が当日の学長の講演)。

1 大学の組織体制を「官庁方式」にした

    -大学の特性を無視したトップダウンの体制づくり-

「学長と5人の理事、副学長がいるわけですけれども、その関係をどうするか。理事、副学長と本部の事務組織の関係をどうするかといったことを考えたわけであります。私は思い切って、これは役所方式、官庁方式にしようと思いました。官庁といっても、今の役所は大分様相が変わってきておりますけれども、昔の縦割り型の役所方式にしていこうと思ったわけであります。つまり、学長がいわば大臣、事務次官であって、大方針を示す。そして、そのもとに理事、副学長はいわば局長であると。その局長がすべての仕事を分担しているわけでありまして、日々のことは局長が全部こなしていくと、具体的な執行はやっていくと。」(講演録)

 結城氏は学長就任以来、「意思決定のスピードアップ」(講演レジュメ)を標榜して本学の事務組織の改編や学内諸規則の改定を通じて、学長-理事(副学長)に権限を集中させた、いわばトップダウンの体制づくりを一貫して進めてきました。そのもととなった発想がここに吐露されています。本学の学長-理事を省庁の大臣・事務次官-局長になぞらえ、「官庁方式」すなわち官僚機構と同様の方式にすると。文科事務次官出身である結城氏ならではの発想です。

「そして、理事、副学長のもとに事務組織をつける。これはいわば局の課や室ということになるわけでありますけれども、そういう関係をつくりました。」(講演録)

各理事-各事務組織の関係を省庁の局長-課-室と同様にすると述べています。本学では2010年4月に、従来の複数理事と複数事務組織が多元的に対応した関係から、各理事の下にその理事の担当分野を管轄する事務組織が一元的に位置づく関係へと改組されました。結城氏の先の言葉でいえば「昔の縦割り型の役所方式」の実現です。ここに、本学の事務組織を学長(大臣・事務次官)-理事(局長)-本部事務組織(課・室)としてピラミッド型に編成し、権限関係の明確化と一元的な命令系統による上意下達の官僚機構が整備されたとみられます。

「学内にあったたくさんの会議を極力整理・統合し、廃止をし、国立大学法人法で法定されています役員会、経営協議会、及び教育研究評議会、この3つになるべく集約をしていくという見直しを行いました。」(講演録)

結城氏は、一方で一般の教職員が参加する全学の諸委員会(運営会議)の整理・統合を進めました。存続された場合も規則改定により審議権が縮小されました。「集約」したと位置づけられた3つの会議のうち学部長が参加できる教育研究評議会についても、法人法で審議事項と規定された「教育研究に関する重要事項」が、後にふれるようにきちんと協議事項としてかけられていない実態となっています。

本来、大学事務は、教員による各部局の活動を補佐し、研究教育の創造的な発展のために現場が求める施策を具現化するボトムアップ的な組織づくりが求められます。しかし、結城氏はこの大学の特性をふまえず、教員の審議権を形骸化し、「官庁方式」にした本部事務を通じて本学の意思決定と運営をおこなう体制をめざしているといえます。

また、結城学長となってから、本部には文科省出身者が増加しました。財務担当理事をはじめ、総務部や財務部の部長・ユニット長、研究プロジェクト戦略室の教授などの一部に、出向など同省出身者が配置されています。結城氏の手法は、本学に官僚機構を整備し、要所にかつての部下を配置して運営の中枢を掌握していくものです。本来の大学のあり方とは相容れない、官僚的なトップダウンがますます強められていく危険があります。「天下り官僚学長」の本性が露骨に発揮されてきた、というべきでしょう。

2 合併統合時代の大学経営のモデルとなることをめざす

   -「統合ありき」の各キャンパス経営の強化策-

「将来は、国立、公立、私立の壁を乗り越えるような再編統合や、あるいは国立大学同士の統合であっても、県境をまたぐような大きな再編統合があちこちで起こってくるのではないか、また起こらざるを得ないのではないかと考えています。」(講演録)

「私は、山形大学の教員、職員には、今の山形大学のキャンパスがなくなることはないと思うけれども、山形大学という名前がなくなることはあり得ることだということを申し上げています。」(講演録)

「将来大学の合併統合時代が来るとすれば、大学が統合されれば結果的に分散キャンパスの大学ができ上がるということでありまして、全国各地に分散キャンパスの大学がたくさん生まれてくる、それが当たり前になるということだと思います。これからは、こういった分散キャンパスの大学のマネジメント手法を開発し、確立していくということが大変大事なことではないかと思っています。山形大学がそのモデルになれればいいなと思っているところであります。」(講演録)

結城氏は昨年度、大学本部のスリム化と経営資源を極力現場に投入していくことを標榜して各「キャンパスの経営力」を高める施策を進めました。具体的にはキャンパス長の設置やキャンパス単位の予算制度の確立、「全学センター」の各キャンパスへの移管などです。「学則の効力停止」など学内合意手続きを無視した「全学センター」の強行移管は学内世論から大きな批判を浴びました。このキャンパス経営力の強化策が本学全体の長期的な将来構想と如何なる関係にあるのかは、これまで教育研究評議会でも明確に提案・議論されたことはなく、そのために部局長レベルからもその必要性について疑念が出されていました。しかし、上記の講演から、それが合併統合時代の大学経営のモデルづくりを実はめざすものであったことがあきらかとなります。「県境をまたぐような大きな再編統合」の準備がそこでは意図されています。

一方、講演では結城氏は、合併統合を避け本学が独自に発展していく方策については一切積極的に語っていません。結城氏の場合、はじめから「統合ありき」--合併統合を前提にした議論のスタンスとなっていることが指摘できます。

3 法人化という「革命」は「いまだ道半ば」

    -法人化の制度設計を賛美-

「平成16年4月に全国の国立大学は一斉に法人化をされました。これはほんとうに、まさに革命的な出来事であったと思っています。なぜこんなことをしたのか、そのねらい、目的というのは3つにまとめられると思っています。1つは、大学経営の権限と責任を学長に集中させるということであります。2つ目は、毎年の単年度予算で動いていたわけでありますけれども、これを6年間の中期目標期間というものを定めて、その間は大学に自主自立の経営を行わせる。(中略)3つ目は、6年ごとにいわばチェックポイントを設けて、文部科学大臣が国立大学の事業や組織を見直す。そして、次の6年間の大学のあり方を決めると。(中略)これは、各大学に自主自立の経営を行わせ、創意工夫を引き出しながら、また同時に、不断の改革の努力を厳しく求めていくと、そういう制度のつくり方、制度設計になっていたわけであります。」(講演録)

「法人化されて、従来からあった学問の自由に加えて、各大学に経営の自由が与えられたということだったと思っています。」(講演録)

「せっかく法人化をしたメリット、これは経営の自由が与えられたということでありますけれども、それを生かし切れていないのではないかと。国立大学の改革はいまだ道半ばだと私は認識をしています。」(講演録)

結城氏は2007年学長選における「学長候補公開討論会」でも「法人化のメリットがいまだ活かされていない」と主張していました。この講演でも同趣旨が繰り返されています。国立大学法人の制度設計の特徴を、学長への権限と責任の集中、大学による「自主自立の経営」、実績評価をふまえた文科省による国立大学の事業や組織の見直し、の3つにまとめ、それらを肯定的に意義づけています。ここには引用しませんでしたが、講演の冒頭で運営費交付金の1%削減にふれてはいるものの、学長はこの予算削減を法人化の重要なねらいとはみていないようです。「せっかく法人化をした」と表現しているように、法人化とその制度設計を全体として支持し期待する議論となっている点が注目されます。この議論は、予算削減をねらう財務省に抗した文科省の立場からする法人制度理解ととらえられますが、結局政府・財務省に屈した文科省の自己弁護論として一般にはとらえられているものです。

そして、法人制度下における「経営の自由」化が大学における本来の学問研究や教育においてプラスとなったのかどうかについて掘り下げた考察がないままに法人化支持ないし賛美論が語られていることは大きな問題といえます。法人制度における「経営の自由」とは、すなわち現実には競争原理の導入による研究教育の短期的な成果評価と資金配分および後にふれるように業務の民間委託化の推進、をさします。このあり方は、全体としては研究教育の長期的な創造的営みを破壊し現場を「荒廃」させつつあるのではないでしょうか。その認識が欠如したままでの法人化賛美論は極めて危険なものといえます。

また、「6年間の中期目標期間というものを定めて、その間は大学に自主自立の経営を行わせる。」と結城氏は述べていますが、法人化後の経緯からあきらかなように、文科省は中期目標期間中においても各大学に対して不断に通達や財政的な誘導をともなう「関与・介入」をおこなっているのが実情であり、「自主自立の経営」とは「戯画」にすぎません。

この点は、結城氏が「学問の自由」「経営の自由」には注目するが「大学の自治」には一切言及せず、文科省による大学の事業・組織の見直しという強大な権限行使を法人制度のメリットとしていることにも関わります。大学の「自主自立」を、国家権力(中央省庁はその中枢機関である)に対してという観点から位置づけるスタンスが結城氏の場合、ほぼ欠落しています。アジア・太平洋戦争中の大学への国家統制・戦争動員の反省から「学問の自由」と「大学の自治」がワンセットで尊重されてきた戦後の歴史に関する認識が結城氏においては希薄であると言わざるをえません。新自由主義的な国家統制を強めた教育基本法改正の推進本部事務局長を務めた結城氏の立ち位置が透けて見えます。

Ⅱ  「文科省が主役」の大学運営-現状からの批判-

1 結城氏と「遠山プラン」路線

    -文科省大学政策の忠実な実践-

結城氏は本来科技庁の役人でしたが、2001年1月の中央省庁再編により文科省大臣官房長に就任した異例の経歴の持ち主です。その意味では文教畑で育った方ではありません。小泉構造改革の圧力のもと、同年6月の「遠山プラン」や翌2002年の国立大学等の独法化に関する調査検討会議「新しい『国立大学法人像』について」など、文科省誕生直後に次々と打ち出された諸提言は国立大学法人の骨格を決定づけるものとなりますが、結城氏は大臣官房長としてこれらの諸提言のとりまとめに接していました。実際の実務は文部省生え抜きの課長以下のクラスが担ったとしても、結城氏の大学観の形成にこれらの諸提言が大きな影響を及ぼしたことは、元来文教政策に精通していなかった方だけに指摘できると思われます。

政権交代後、最近文科省が実施した「国立大学法人の在り方」に対する意見募集に関わって、結城氏は本学の学部長などに遠山プランの路線を支持する発言を述べたと言われています。本年2月の山大職組の学長交渉においても、結城氏は当時の政治情勢において遠山プランは民営化を防いだ意義をもったと賛美し、文科省の立場からその重要性を強調していました。

遠山プランなど当時の諸提言は、①国立大学の再編・統合の大胆な実施、②民間的経営手法の導入、③世界最高水準の研究拠点の育成、④第三者評価による競争原理の導入と評価結果にもとづく資金の重点配分、を基本に、⑤各国立大学の「個性化」=機能分化(種別化)の推進、⑥学長の権限強化=トップダウンによる大学運営の実施(意思決定の迅速化と効率化)、⑦改革の妨げとなる「教授会自治」の形骸化・排除、⑧外部者の登用と能力主義・業績主義に立った人事システムの導入、⑨大学発の新産業創出の加速化と企業人の大学院受け入れ強化、⑩大学運営における事務職員の権限強化と能力育成・採用人事の改革(帰属意識をもった人材育成)、⑪大学の運営における学生・産業界・地域社会などのデマンド・サイドからの発想の強化(とくに学生の立場に立った教育機能の強化)、⑫社会・雇用の変化に対応できる人材の育成(社会人キャリアアップ、e-ユニバーシティ、サテライトなど)、⑬国や社会に対する説明責任の強化、などを提起していました。法人化後の高等教育をめぐる情勢の変化により修正されたものもありますが、現在に続く文科省大学政策がほぼ出揃って提言されていると把握できます。

結城学長就任後の本学における諸施策はいずれもこれらの提言を忠実に実行し、その延長上に位置づくものとみられます。例えば、先のJST講演からあきらかなように、キャンパス経営力の強化策は分散キャンパスをとる本学の特徴をふまえた①の準備と位置づけられます。また、結城氏が目玉としている「学生が主役」の教育改革(基盤教育・学士課程教育)も⑪をふまえたもので、大臣官房長時代の2001年4月に文科省が中教審に諮問した「今後の高等教育改革の推進方策について」から2008年12月の中教審最終答申「学士課程教育の構築に向けて」に至る諸議論のなかで検討されてきた路線といえます。山形大学先進的研究拠点の育成とそのための学内予算の戦略的傾斜配分も③④に連なるものです。そして、JST講演で結城氏が「法人化される前は、文部科学省の人事で全国を異動する幹部事務職員が大学運営の中核を担っておりました。けれども、これからは徐々に自前採用、自前育成のプロパーの事務職員が主役になっていくべき」であるとし、去年から山大卒業生を対象に「山形大学を心から愛し、山形大学に骨を埋めようという覚悟を決めた多様な人材を各学部から幅広く採用したいと思っています。」(講演録)と述べた本学事務職員の採用人事の改革も、一見独自にみえますが、その原型は⑩で既に出されていたものです。さらに、JST講演で結城氏は大学の機能分化にふれて、山大は教育と地域貢献に特化する大学として位置づけていますが、これは「個性輝く大学」の美名のもとに大学の種別化=格差化を強化しようとする⑤をふまえた生き残り戦略と位置づけられます。YU-COE、YU-GPなど、YU-〇〇という学内プロジェクトが増えていますが、これらも文科省のプロジェクトのいわば模倣であり、その学内版といえます。先に指摘した「官庁方式」によるトップダウンの強化も⑥⑦をふまえたもので最も強力に推し進めているといえます。「結城プラン」の中身も、遠山プラン以来の文科省大学政策を山大版として練り直し、年次行動計画としたものといえます。

このように、結城氏による本学の運営方向は実際には文科省大学政策の受け売りといえます。むしろ結城氏の経歴をふまえるならば、法人化前後に自ら文科省で検討した諸施策を次々と本学で実行しているととらえられます。「学生が主役」の大学づくりと言いつつ、その中身は「文科省が主役」あるいは「学長(結城氏)が主役」の大学づくりであると言われても仕方がありません。大学教員としての現場経験がない元文科事務次官に対して、文科省の施策を相対化し、研究教育に内在した創造的な発展にもとづく独自な大学づくりを望むことは、はじめから無理であったと言えましょう。文科省大学政策に忠実であることは、短期的には本学の評価を高める結果を生むかも知れません。しかし、文科省政策自体も変化し、教養部解体や教育学部再編統合問題で本学が経験したように、長期的には文科省に振り回されて大学独自の内在的な発展が妨げられる結果になることが多いと思われます。

結城氏にできることは優秀な官僚よろしく、文科省発の大学政策を本学において忠実かつ典型的に実行することといえます。「せっかく法人化をしたメリット(中略)を生かし切れていない」という、学長選以来の発言にあらわれているように、氏にとって法人化は是とすべきものであり、文科省で自ら制度設計に携わった国立大学法人の「成功」を本学において実践し法人化が正しかったことを証明することが、氏の学長就任の主な動機の一つとなっていたと考えられます。しかし、本学が元文科省トップ官僚の立場からの「実績」づくりの場に利用されることは、決して許されることではありません。と同時に、結城氏の大学観においては、国立大学法人制度が抱える本質的な矛盾に関する認識が希薄であることが重要な問題点として指摘できるように思います。

2 矛盾にみちた結城路線の危険性

    -全学機能の衰退と市場化テストの導入-

結城学長就任後の大学運営で最も学内世論の批判を浴びたのが、先に指摘した各キャンパス経営力の強化策です。JST講演にみるように、それが合併統合後の大学運営モデルの提供を意図しているのならば、「国立大学の再編・統合を大胆に進める」(遠山プラン)とした文科省政策を準備する実験校として本学が位置づく危険性を指摘できます。その意図は、文科省の立場からする合併統合後の分散キャンパス・モデルとして本学の全学機能をキャンパス単位へ「解体」(分割移管)することにあると把握でき、山形大学(全学)としての自生的内在的な発展をはかる立場からすれば危険な内容といえます。

例えば、この施策に関わり、各キャンパスに図書館を「4分割」した昨年度の附属図書館改組は、中央図書館を解体しました。これは、中央図書館機能の強化により分館支援をはかる全国の多くの大学図書館の趨勢と全く逆の方向です。そのため、昨年の国立大学図書館協会の会合で本学の図書館改組が話題となった際に、当然のことながら多くの図書館長は驚き理解に苦しんだと伝えられます。山大職組も学長交渉の際に図書館「4分割」の理由を問いましたが、結城氏は医学部分館が脆弱な現状を改善するためと回答しました。しかし、これだけでは中央図書館解体の理由づけにはなりません。

図書館のみならず、国際センターなど「全学センター」の各キャンパスへの移管と改組は、各々の機能を著しく衰退させています。本来全学的な部局・センターとして設置された諸機関が各キャンパス管轄下に移管されたために、全学とキャンパスの関係が転倒し、組織運営系統上も無理が生じ混乱が続いているのが実態です。昨年度設置された基盤教育院も、基盤教育を担う全学機能の機関であるのに小白川キャンパス管轄とされ、同様の問題が生じています。

このようにキャンパス経営力の強化策は、全学の研究教育に必要な中央機能(全学機能)を衰退・混乱させています。これらを犠牲にしても「将来大学の合併統合時代」の経営モデルづくりを優先させる施策は、文科事務次官の発想にもとづくものであり、本学学長としてはその資質が疑われるもの、と言われても仕方がありません。

また、キャンパス経営力の強化策は、元来法人化の主眼の一つである公務・公共サービスの「官から民へ」の委託推進策と結合されつつあることが、最近の動向から判明しました。例えば、「4分割」後の工学部図書館では民間派遣労働者を使用し業務委託を進めました。この業務改革は「装備業務、利用者対応業務、配架業務、閲覧環境整備業務、貸出業務、蔵書点検業務、資料補修業務を包括化して外部委託を行っている」と報告(2010年2月内閣府官民競争入札等監理委員会国立大学法人分科会資料)され、いわゆる市場化テストの導入をはかったものとして評価されました。ここで報告された業務が、定型業務にとどまらず教員・学生・市民へのレファレンスを含む中核業務を包括したものである点が注目されます。本来研究教育と不可分で専門性が求められる図書館の中核業務が民間派遣の職員に委ねられる方向が示されたといえます。頻繁に交代がありうる民間派遣労働者の使用は、職員の習熟度や専門性の向上をはかる観点からはマイナスであり、研究教育を支える図書館機能の衰退に結果するものです。

「4分割」後の工学部図書館に民間委託方式を導入する方針は担当理事(小山氏)が改組前から周囲に漏らしていたと伝えられます。小山氏が図書館業務を民間に切り売りすることに積極的であることは、同理事のブログで先の内閣府報告にふれ民間委託化が「高く評価されている」と自画自賛していることからも裏づけられます。図書館「4分割」はその業務の切り分けにより理工系図書館からこの方式を導入しやすくする前提でもあったととらえられ、今後ますます市場化テストの導入が強められる危険性があるといえます

ここまでの経過からすれば、結城氏が提唱したキャンパス経営力の強化策は、二重の意味(全学の研究教育に必要な中央機能の衰退、研究教育と不可分な業務の民間委託化)で本学の研究教育の基盤を掘り崩す危険な施策となっているのが実態であると指摘できます。

最近、各学部事務にも、定時・短時間勤務の非常勤職員のほかに、さらに民間派遣の職員も増加してきています。非常勤職員の3年雇い止めはもちろん派遣職員の増加は当然に職員の流動性=不安定性を高め、学部運営を支える事務の混乱・停滞が引き起こされる危険があります。結城氏が経営資源の現場投入をキャンパス経営力の強化策のねらいとして掲げるならば、これらの点の改善からまず手をつけるべきではないかと考えます。

3 意思決定からの教員の排除

    -学長指名メンバーによる「専制政治」-

結城学長就任後の本学運営の問題点は多岐にわたりますが、全学の意思決定がトップダウン方式となったことが最大のポイントとして指摘できます。これは、法人化後もソフトランディングをめざしてボトムアップの意思形成を尊重した仙道前学長の手法とも異なる点です。

例えば、「4分割」以前の附属図書館運営会議では、全学の各部局から選出された運営委員のほぼ全員が中央図書館解体や附属図書館長職の廃止に反対し、図書館「4分割」がどうして必要なのかを担当理事(小山氏)に糺したところ、理事は「わたしも必要があるとは思っていない。学長が決めたことだから仕方がない」と回答しました。当時の3分館長(医・農・工)を含む運営会議の反対意見は、結局その後然るべき上級審議機関で取り上げられず「4分割」が強行されました。担当理事が学長を楯に無力を演じた結果、現場の総意が無視されたこの過程は、総じて学長への権限の集中=トップダウンを象徴したといえます。

つぎに、各年度の全学基本方針として事実上位置付いている「結城プラン」は役員会でのみ審議・決定しており、経営協議会や教育研究評議会では報告事項で済まされています。「結城プラン」には中期目標計画の事項などとして別の機会に審議された項目も含まれていますが、全く審議されていない項目も入っているため全体として協議事項にかける必要があります。

各年度の全学予算方針については役員会・経営協議会で協議事項として審議・決定していますが、教育研究評議会ではやはり報告事項の取り扱いで終わっています。

経営協議会の委員が役員会(学長+理事。理事は学長指名)と外部委員(学長指名)から構成されていることをふまえれば、各年度の全学基本方針(結城プラン)と全学予算方針という本学運営の最重要事項がいずれも学長と学長指名の理事・委員からなる一握りのメンバーで決定されていることがわかります。本学予算においては、一般教員の研究費は削減される一方、戦略的研究教育経費への傾斜配分が強化される傾向にあり、一般の研究室は経済的に追い込まれているのが実態です。この予算協議に各部局の代表たる学部長が実質的に加われないことに、教員は強い不満を持っています。学長交渉の際に職組がこの点を糺したのに対して、総務担当理事(北野氏)は各部局予算については学部長懇談会で説明しているから手続きは踏んでいると回答しましたが、学部長懇談会は正式機関ではなく、かつ「説明」が主であり、学部長クラスもこれらの手続きには不満を表明しています。国立大学法人法では「教育研究に関する重要事項」は教育研究評議会(役員+部局長)の審議事項として規定されており、当然教育研究に関連する全学方針や全学予算は評議会の協議事項に付されるべきです。それをしない審議の実態は、法人法の規定をも逸脱した大学運営である、と言わざるをえません。

 さらに、本年度より「官庁方式」に事務機構が整備されたことにより、学長-理事-本部事務組織の権限関係と命令系統が一元化され、学長のイニシアチヴはますます強化されると思われます。これらの実態は「専制政治」と渾名され揶揄されても仕方がありません。この大学運営においては、部局長以下の教員は運営主体としてよりは事実上「客体」として位置づけられているにすぎません。この体制において一般の教員からどのように「創意工夫を引き出」していけるのか、全く疑問であると言わざるをえません。

学長交渉の際に、結城氏は「学長オフィスアワー」を各キャンパスで開催しているので教職員の意見は聞いていると述べましたが、個別の面談の次元と、教育研究評議会や教授会、諸運営会議を通じた組織的なルートによる意見提出・協議の次元とは、本学運営の意思決定に関わるかどうかという観点からいえば全く次元が異なり、この結城氏の発言は議論のすり替えに他なりません。また、「学長オフィスアワー」で相談しても、結城氏からは「担当理事に伝えておきます」などの回答で終わるケースが多く、また申し込みが少ない場合は無理に相談者が「用意」されることもあるとのことで、一般の教職員からはその実効性が疑われています。かつて教育基本法改正の世論づくりのために文科省が開催した「やらせタウン・ミーティング」が政治問題化した際の同省官僚の最高責任者であった結城氏は、対話を演出する類似した手法を今回も駆使していると言われても仕方がありません。

また、学外のプロジェクト予算の獲得により学内の教育研究を「誘導」していく手法も多用されています。例えば、本学では文科省「戦略的大学連携推進事業」(平成20年度)に採択された「大学コンソーシアムやまがたを基盤とする地域教育研究機能」プロジェクトを契機に「最上川学」などの研究教育活動が多面的に展開されています。また、文科省「大学教育推進プログラム」(平成21年度)に採択された「到達目標を明確にした自己実現学習システム」プロジェクト(eポートフォリオ)を契機にYU-GPを軸にした教育改革が進められつつあります(その他は省略)。これらの取組には注目すべき成果もありますが、いずれも学長・理事の直接的な管轄のもと、大学連携推進室や教育企画室、あるいは研究プロジェクト推進室などに所属する文科省出身者を含む本部事務を中心に企画・申請がなされ、採択されてから関連教員に協力が要請されるという手順がとられることが多いといえます。教育研究の現場で自主的創造的な活動をおこなっている教員からすれば、採択後のプロジェクトへの半ば強制的な動員は「押し付け」であり主体的な参加とはなりにくいため、結局プロジェクトが終了すればその活動は本学に定着せずに終わってしまう危険があります。採択後に任期付教員が採用され当該プロジェクトの中核を担う体制がつくられることも、その成果が長期的には定着しない要因となっていると思われます。一般教員の自生的な共同研究を基盤にしないプロジェクトは結局成果が残りません。結城氏の手法ではボトムアップ型の意思形成が希薄であるが故に、一般教員の創造的な提案と自発的協力を汲み上げられないため、本部事務職員を主体に申請した学外プロジェクト予算の獲得による研究教育の「誘導」という手法を多用せざるをえない、という悪循環に陥っているのが現状です。学外プロジェクトの多くが文科省企画であることも、文科省大学政策に忠実な結城路線を具現するものといえます。

このように結城氏の大学運営は、学長指名メンバーと官僚機構を中軸にした「専制政治」により文科省大学政策を忠実に実行しようとするものであり、それ故に本学教職員の要求に耳を傾けず教員がもつ多用な研究教育の創造的な能力を全学活動に結びつけられず悪循環に陥り、研究教育の現場を疲弊させ、かつその基盤を掘り崩しつつある、ととらえることができます。

その意味で、2007年学長選における学内意向投票において第2位であった結城候補を「逆転選出」した学長選考会議委員の責任は果てしなく重いと言わざるを得ません。

おわりに

   -大学憲章運動から学ぶもの-

結城氏がちょうど大臣官房長であった頃、山大職組は日本科学者会議山形支部と共同して2002年4月に「山形大学憲章案」を作成し学内外に発表しています。国立大学法人化が避けられない情勢となったことをふまえて、社会における国立大学の存在意義を問いなおし、法人制度下でも守り発展すべき大学の特性とそのための制度設計および大学運営の骨子についてまとめたものでした。この試みは、東大をはじめ全国の国立大学における憲章づくりの運動の一環として位置づき、また地方大学としては先駆的な試みの一つであったと評価されています(2002年5月、岡山大学職組『組合だより』35号など)。「山形大学憲章案」の内容は未だラフ・スケッチにとどまるものでしたが、「大学の自治」「教授会自治」を基盤に各部局における教職員の発言権を大切にし、研究教育の現場の声がボトムアップ方式で全学運営に反映されるシステムを法人制度という制約の下でも可能な限り維持し構築しようとする試みでした。その意味では、JST講演にみる結城氏の大学観やこの間の大学運営の方向とは対極にあるもの、と言えます。

東京大学では「東京大学憲章」を定め、「東京大学基本組織規則」でも憲章を引用しながら「大学の自治」を明記しています。そこにおける規則体系は総じて、学長への権限と責任の集中を規定した国立大学法人法の下でも各部局からのボトムアップの意思形成を尊重するものとなっており、2008年度の東大アクション・プランにおいても「自律性の高い部局の連合体としてのポテンシャルを堅持し活用するための基盤強化」と「そのための全学協調の仕組みの確立」などを掲げた「自律分散協調」によるバランスのとれた大学構築をめざすとしています。東大のほかでも、全国の様々な国立大学の運営実態と比較するならば、露骨にトップダウンを志向する結城氏の大学運営の問題点は国立大学法人一般の問題点に全て解消されるものでは決してなく、先にみたように、法人法をも逸脱する特異な性質を帯びていることがわかります。大学の特性を学内規則や「運用」面において可能な限り維持し守っていこうとする指向性が結城路線においては極めて薄弱であるという問題点が指摘できます。

さらには、国立大学法人第一期中期目標期間終了後の文科省や内閣府による評価結果とそれに対する大学人・マスコミの広汎な批判からあきらかなように、国立大学法人制度が抱える諸矛盾はますます深刻化してきたと言えます。それでも法人化賛美論に立ち、法人化のメリットを追い求め、「官庁方式」の導入と「統合ありき」の諸施策を重視し、「文科省が主役」の大学づくりを進める結城氏の運営方向は、本学の独自な長期的発展にとっては障害であり、研究教育のニーズから懸け離れた極めて危険な路線であると言えます。

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