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独行法反対首都圏ネットワーク

☆   「教授、論文1本2点ですーー採点される国立大教員」
 
.[he-forum 3322] 朝日新聞大阪版 01/23 ( No 3272 の差し替え)
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No 3286 の理由で、No 3272 を以下と差し替えます。  辻下 徹

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         朝日新聞地方版(京阪神)2002.1.23

    「教授、論文1本2点ですーー採点される国立大教員」

文科省の大幅な改革構想に揺れる国立大学で、教授たちを採点、評価する動き
が広がっている。すでに評価に比例して研究費を配分する大学もあり、評価の
公正さなどをめぐり、論議を呼びそうだ。(阿久沢悦子)

学術論文1〜2編2点、特許特許及び実用新案取得数1件2点、2件3点、ーー
国立京都工芸繊維大学が今年度から導入した「教育研究活性化経費配分要項」
だ。研究、教育、社会貢献、管理運営の4分野の計48項目で、各教員の実績
を100点満点で点数化する。

個展1回4点、2回以上6点、公表1作品4点、2作品6点といった基準に
「質を問わずに数打ちや当たる、ということか」と批判も出たが、昨夏から実
施された。

同大が点数化を始めたきっかけは、国庫から支給される教育研究基盤校費質の
配分が昨年度から各大学の裁量にゆだねられたこと。今年度、同大では上位2
割の教員には年間150万円が下位1割は90万円にとどめることになつている。

里深信行副学長は「評価は学問の自由を侵す、と反発されると思ったが、昨年
8月の締め切りまでに、海外出張中を除く全員が自己申告書を提出してくれた。
ゆくゆくは給与基準や昇格の目安とすることで、大学人事を活性化を促したい。」
と語る。

こうした精ちな教員評価制は北見工大、長岡技科大など他の単科大だけでなく、
総合大学にも広がっている。この23日には岡山大学が正式に導入を決める見
通しただ、千葉喬三副学長は「地方大学は改革に前向きな姿勢を見せないと沈
むばかりの泥船になってしまう」と話す。

岡大が評価で特に重視するのは教育面。岡大にはしっかりした教育があると評
判になれば、優秀な学生、教員が集まり、研究実績も底上げされるとみるから
だ。研究分野ごとに序列づけた上位30大学に予算を重点配分する文科省の
「トップ30」に、最低4分野で食い込むことを目指す、と千葉副学長はいう。

自己申告書の「教育」分野では、授業のコマ数、登録学生数、出席率などを書
かせた上で、学生の授アンケート結果を加味して、学部長が評価する。5段階
評価で最低のEがついた教員には、学部長から「勧告」を出す。県職員、財界
などからなる大学運営諮問会議にも、学部ごとの評価分布を公表する。大学版
「問題教員」に奮起を促すのがねらいだという。

異論もある。ある教授は「教育の客観評価は難しい。例えば、登録学生数は憲
法とローマ法では著しい聞きがある。受購生が多い方が評価が高いのでは浮か
ばれない」と心配する。慎重審議を呼びかける教職員組合の幹部は「自己評価
は研鑽につながろうが、学部長評価によって組織の中の自分の位置を自覚せよ
といわれても困るだけ」と批判する。しかし、「評価されること自体は仕方な
い」という意見が教員の大勢を占める。

国立大の独立行政法人化に反対するメールマガジンを発行している北海道大の
辻下徹教授は「4,5年前から教員に業績を自己申告させ、大学外にPRしよう
とする動きが全国で相次いだ。それが国立大の独法化をにらみ、個々の教員評
価に結びつきつつある。評価は数年で全国に広がるだろう」と指摘している。

■「今の評価制度は大問題」佐和隆光・京大経済研究所長

現在の大学改革の動きを批判している佐和隆光京都大学経済研究所所長は「大
学改革の最大の問題は評価」と言い切り、問題点として、(1)専門分野の知
識を持たない学部長、国、産業界が教員評価する(2)自己申告書の作成や会
議など評価のための膨大な事務作業に研究の時間をさかれる(3)研究、教育、
管理運営、社会貢献なのすべてをこなさないと評価されないーーなどを挙げる。

佐和氏は「専門分野ごとの学会誌による個々の教員への業績評価は必要だ。し
かし、今論じられている制度では個人と組織の評価が混同されている。目標を
低く設定し、達成度を高く申告する教員が有利になったり、同じ学部にノーベ
ル賞受賞者がいれば、年賀状と名刺しか刷らないような教員も高く評価された
りする現状では、評価は学問の活性化にはつながらない」と話している。

---記事終-------------------------------------------------------------

■コメント  

電話での問いあわせのときに、独立行政法人に移行すれば業績評価は行われる、
という指摘をしましたが、それは「評価は数年で全国に広がるだろう」と表現
できるのかどうかわかりません。また、記者には、このような評価が広がれば
大学システム全体の品質を低下させてしまうことは、諸外国でも実証済みだし、
大企業で大失敗した例も記憶に生々しいことも強調したのですが、それは取り
上げられなかったようです。直前に独立行政法人に反対している、という説明
を入れることで、意図は伝えられると思った、という意見でした。

 また、「「評価されること自体は仕方ない」という意見が教員の大勢を占め
る。」という部分の根拠は、岡山大学の教員数名に聞いた学内の印象だそうで
す。説明して頂いた意見の概要から察すると、「仕方がない」のは評価ではな
く、評価を「成果 主義」に結びつける流れが大学の機能を低下させることを
認識しつつも「政治的に抗 しようがない」という意味の「仕方がない」と言
う発言だったようです。

 なお、教員有志の抗議の要望書提出があったことについて触れていないのも
問題があると思います。

 こういった点で、この記事は読者に状況認識を過たせる懸念がかなりあるよ
うに感じます。しかし、この記事に込めた記者・編集者のメッセージは「こん
なことをして 本当に良いのですか?」というものだったそうです。私には、
それが余り成功したよ うに感じられないのですが、その認識と意図はとても
貴重なものと思います。今後の 報道活動に期待したいと思います。

この記事が取り上げた国立大学の教員評価を、「成果主義の導入」という文脈
で考えるとき、当然ながら、成果主義導入のリスクが問題となるはずです。

大学がこれから真剣に取組まなければならない真の課題は、社会との広汎な絆
を模索することであり、それにはまず広い意味のアカウンタビリティが求めら
れます。しかし、今回の報道にある教員評価は、公務員改革の柱となることが
予定されている成果主義を先取りしようという大学経営陣の近視眼的意図によ
るもので、大学と社会の絆を深めることの障害になるものです。それだけでな
く、成果主義が創造性を要する活動を阻害することを示す心理学実験は少なく
なく、大学の主要使命である研究・教育の質の劣化を招くリスクは極めて大き
なものがあります。

今回のような安易な成果主義を、「沈むばかりの泥船」と行政から扱われるこ
とを避けるための「姿勢」として導入することは、大学にとって命取りでしょ
うし、 日本の大学全体に導入すれば、日本社会にとって大きな(しかし、遅
効性の)ダメージとなることは確実だと思います。

 この点がなぜ取り上げられなかったか、という点については、一つの疑念が
あります。

■ 成果主義批判はタブー?

 成果主義は、富士通の大失敗(*1)により日本社会で信用を失いました。
成果主義批判が取り上げられなくなっているのは「ある人達」が非常に焦った
ためではないかと推測しています。さらに、成果主義の信用回復を狙うかのよ
うな動きが目立ちます。今回の記事における佐和氏の意見も、成果主義そのも
のを批判するのではなく、成果主義の誤用を問題にしているだけです。また、
ベストセラーとなった「成果主義と人事評価」(内田研二著)(*2)も、よ
く読むと、成果主義の失敗は被雇用者のズルサと経営者の浅慮な導入が原因で
あって成果主義そのものは重要だ、という趣旨の主張がさりげなく繰り返され
ています。

 このような言論界における議論の偏向は「情報操作」を疑わせる不自然さが
あります。


■ 記者クラブと情報操作

2002年1月23日に、「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見
解」(*3)が発表されました。記者クラブの門戸開放を謳っていますが、フ
リーランス記者には例外を除いて門戸を閉じたままです。また、公的機関の発
表内容を広い文脈に置く努力のために必要な時間も人手もなく「垂れ流し報道」
を続け、多くの大新聞が政府広報機関化している状況の深刻さにも触れていな
いようです。

 日経新聞入社後、記者クラブ批判をインターネット上で展開して追われるよ
うに退社した20代の元記者が、昨年3月に、日経新聞社を相手取って「表現
の自由侵害訴訟」(*4)を起こしました。報道管制が敷かれているのか報道
されていませんが、こういった、記者クラブ批判のうねりは次第に大きくなっ
ており、それに危機感を感じての見解発表のように思われました。

 この記者のサイトにある「メディアの情報操作 --狂った評価指標--」とい
うページ(*5)には、「日本の大新聞・テレビは、記者クラブを通して完全
に権力と癒着している。いかに官僚から情報をリークして貰うかが記者の評価
指標となっているため、官僚に“夜回り”をかけ、官舎の前でお帰りを待つと
いう有り様だ。嫌われたらおしまいなので、権力をチェックするどころではな
い。その結果、官僚が実現したいことを中立を装いつつ巧妙にPRし、既成事実
化することに一役買うのが常態化している。それは“省益”になるかもしれな
いが、国益にとっては有害かもしれない。しかし、情けないメディアはそんな
議論はしない。やはり官僚の言いなりで、記者クラブで配付されたぺーパーの
通りに忠実に記事化するのである。・・・ 」と記載されており、種々の情報
操作が日常茶飯事のように行われていることが推察されます。

 このことは、文部省記者クラブを考えると良くわかります。独立行政法人化
問題が現実化し始めた3年前から一貫して、文部省が流す情報をほぼそのまま
報道するだけでなく、独立行政法人化は既定事実であるとする世論醸成に力を
入れてきましたし、今もそうであると感じます。このことは、多くの人が関心
を持つ機会を奪っている点で、明白な「情報操作」になっています。

最後に、以前紹介した本、ウォルフレン「人間を幸福にしない日本というシス
テム」(新潮OH!文庫)の一部を引用しておきましょう(*6):

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第3-3章 制度との戦い

p307 日本の市民社会の悲劇は、乗っ取られたことだった。市民社会が繁栄す
る見込みは、独立した労働組合がつぶされ、戦後に短期間ながら独立していた
司法機関がふたたび官僚の支配下におかれたとき、すでに大きく損なわれた。
だが、日本の市民社会を最終的に乗っ取ったのは、大新聞だった。大新聞は、
批判的な政治分析を妨害し、官僚の権力を支持し、世論を反映するのではなく
捏造し、巨大な偽りの現実をかかげて、市民社会を乗っ取ったのである。

新聞の読者は、新聞の質に多くの影響をおよぼすことができる。まじめな新聞
社なら、読者から送られる意見や批判に−−内容が一貫しており、書き方も丁
寧であれば−−編集者が敏感に反応する。この方法で、日本の市民は自分たち
が思っているよりはるかに大きな力を発揮できるのだ。...みなさんがすべ
きなのは、..編集者達の心のもちようを変えることなのだ。

まず何度でも指摘してはっきりすべきなのは、社会秩序維持はジャーナリスト
や編集者の任務ではないということだ。..彼等の任務は、自己の能力と手段
のかぎりをつくして、市民が知るべきことをできるだけ正確にかつ完全に読者
に伝えることなのだ。

記者クラブについて

p328 日本における真実の報道は、ある不愉快な制度によって組織的に妨害さ
れている。この制度には改善の見込みはないから、取り除くしかない。つまり
「記者クラブ」のことだ。

この制度こそが、ニュースと情報の管理に主要な役割をはたしていることを知
る必要がある。記者クラブは、一九四五年以前、軍人と社会統制官僚が支配力
をもっていた時代に、戦時の宣伝と検閲の道具として発足した。以来ずっと、
自己検閲システムの最も有効な手段となりつづけている。

自己検閲は、何を報道し、何を報道しないかを合議で決めることによって成り
立つ。自己検閲の度合いは記者クラブによって異なる。しかし、記者仲間から
の庄力がそれほど強くない場合でさえ、この制度は良質のジャーナリズムを育
むのに欠かせない報道における自主独立の姿勢を損なっている。

記者クラブは民主主義国にふさわしくない。多くの官僚組織と記者たちとのあ
いだにしばしば馴れ合いの関係が生まれ、記者の批判精神がむしばまれてしま
う。たとえば、警察の言動に関する記事はまったく信用できないものだ。日本
の権カシステムのなかのこの強力な組織たる警察については、自主独立の報道
がまったく存在しないからだ。だが、記者クラブは日本の権カシステムに深く
組みこまれているので、審議会と同じく、すぐにはなくなりそうもない。

しかしながら、市民のチームはこの記者クラブ制度を一貫して批判していくこ
とができる。記者クラブの制度が、肝心の情報を読者から組織的に奪い、日本
で何が起こっているかをわかりにくくしている‐‐この事実を自分たちが認識
していることを、編集者にわからせるのだ。


p330 日本に市民社会を築きたいと思う市民がここでなすべきことは、わりと
簡単なことだ。日本人の暮らしに大きな変化をもたらしている人物や組織に、
新聞が定期的に質問し、彼等が何をしているか、なぜそれをしているかを明ら
かにさせるべきだと、編集者たちに主張しつづけるのである。...日本の真
の権力者にアカウンタビリティをはたさせるのは編集者の責務であると、市民
が繰り返し編集者に思い起こさせるべきなのだ。」
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(*1)http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/nethe3266.htm
(*2)http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/010321fujituu.htm
(*3)http://www.pressnet.or.jp/info/news0201.html
(*4)http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/kinyobitrial.html
(*5)http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/johososa.html
(*6)http://fcs.math.sci.hokudai.ac.jp/common-sense/00b-wolfren.html
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http://fcs.math.sci.hokudai.ac.jp/dgh/02/125-asahi.html