独行法反対首都圏ネットワーク

<首都圏ネット事務局コメント>
 下記の毎日新聞の記事では、「デモやストライキが消滅した」こと、1・15東京新聞の記事(新世紀の政治風景を占う 佐々木 毅)では「デモ行進があるわけでなく、抗議行動が大々的に繰り広げられるわけでもない」ことが、今日の日本の状況をもたらした一要因と言う。
「ネット事務局」で「彼の期待にこたえ、デモなどの大衆行動で独行法をつぶさないと・・・、東大職員組合に頑張ってもらおう・・・」とひときわ話題になりましたので、毎日新聞記事を紹介することにしました。

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根っこが変わったのかも-次期東大学長 佐々木 毅
毎日新聞 2001年1月29日 朝刊 <争点論点 政治の警報装置>
毎日新聞 2001年1月29日 朝刊

争点論点  政治の警報装置
根っこが変わったのかも
選挙だけではもの足りない

次期東大学長 佐々木 毅

日本を覆う停滞感の大きな原因は、民主主義がうまく機能しなくなった政治にあるのではないか。佐々木毅次期東大学長と話した。日本人が変質して政治への警報装置が失われたのではないかという。

菊地 森喜朗首相の不人気と不出来が停滞感の原因かと思っていたが、実は結果なのではないかという気がしてきた。
佐々木 制度面と習慣問題がある。習慣とは政治に対する態度。この習慣の面で日本人が変わってしまった。直接的に政治にかかわることをしない。デモやストライキがいつのまにか消滅した。政治家から見れば、警報装置がなくなった。だから永田町の中、国会の中だけで事がすすんでしまうように変質した。
菊地 国民と政治をつなぐのが選挙と世論調査だけ。フィリピンのようなピープルパワーで政権を倒す別の手段がない。
佐々木 そう。日常的な国民と政治の意思疎通がなくなった。残ったには陳情と圧力団体だけ。異議申し立て型の国民意思表示が四半期ほどない。
菊地 学生たちがおかしい、変えろと騒ぎたてるのが当たり前だった。学生たちの怠慢だ。
佐々木 立場上はやれとはいえないが、そういうものはないとますますなくなっていく。だからマスコミも世論調査をやって人気がないと、いきなり政局(首相・政権交代)になってしまう。その間をつなぐ具体的な動きがない。政治が非常に狭い世界だけで行われる。
菊地 行動しないのだから、結局、国民も究極的な不満はない、相対的に満足しているとみなせる。それも限界で沸点に達して爆発するのではないか。
佐々木 私もそう思っていたがこのごろ怪しい。爆発というかリバウンド(跳ね返る)するか。これは精神的現象なので、リバウンドするには精神的背景、習慣が必要だ。日本人の精神的社会的態度の根っこが変わってしまったとしたら起きない。失業率が10%になったら起きる説もあるが、どうも違うんじゃないか。
菊地 住民運動やNGO(非政府組織)、NPO(非営利組織)は逆にガス抜きになってしまっているのかもしれない。
佐々木 無党派層と同じではないかと思う。古い組織からぼろぼろと落ちている。戦後日本は運動エネルギーをすべて組織の中に抱え込んで、吸い上げてしまうシステムを作った。組織からでた後は、うちに帰って寝てろと。今になってその組織そのものが崩壊し始めて人がぼろぼろはみ出してきた。
菊地 その意味では戦後の自民党政治は大成功だった。組織の中ですべてが効率よく動き、結果が成長と繁栄だった。
佐々木 だが、その過程で、政治はすべてをモノとカネに翻訳して、モノとカネだけの利益政治にしてしまった。利益のもとがなくなった時に何が残るか。おそらく何もない。他の国も利益政治はやったが、これほど完全に一元化しなかった。
菊地 成功が失敗を覆い隠す形で成功だけを表に出した。成功と失敗が対抗する形で進めばよかった。だから本当に失敗すると、どうしていいかわからない。それがこの10年か。
佐々木 だから変えようたって変えるエネルギーがない。これはものすごい大変なことで、ものすごい時間がかかる。むしろデモなんかあれば軌道修正しやすい。ところが誰も何も言わない。しかたなくて政治担当者はいままでの考えで何かをやる。そもそもの考え方が受けないのだから、ますます深みにはまって抜け出せなくなっている。
菊地 たとえば亀井静香政調会長的な、いやなものはすべて延期、政治が株に口出せ、国債を出しまくれですね。
佐々木 名指しでそうだとはいえないが、ガバメントとは操舵するという意味だが、ただ真っすぐいくだけだから、日本のガバメントは操舵の舵がないんだよ。しかし追いつけ追い越せの一本やりでつき進んできた。国内いたるところで追いつくための装置しかない。追いついたと思った瞬間、装置の間尺があわないから墜落した。追いつくエネルギーはある。IT革命も結局追いつき型だ。
菊地 追い抜かれてほっとしたのが実態かもしれない。
佐々木 そうかもしれない。日本には一つのリズムがある。システムを苦労して作った人たち。それを運用した人たち。ぶら下がった人たち。このサイクルがはっきりしている。明治から始まってぶら下がりが戦争を起こした。戦後吉田、池田がシステム作って、運用組が高度成長を成し遂げた後、今ぶら下がり組。それが壊している。
菊地 「売り家と唐様で書く三代目」ですか。外圧で、サイタルの初めに必ず前の政治世代を切った。3回目ができるか。
佐々木 だんだんテンションは上がっている。しかし決定的なきっかけが見つからない。問題が整理されて次のステップにいくはずが、逆にだんだん深みにはまって抜けられない。企業に対して公的支援を出し財政的にはいわばゲリラ戦に入った。これを見ると利益政治って怖いなあと思うよ。結局経済の極右なんだ。なんでも面倒見てくれる。結局深みから抜けるどころかもっとよこせになってきた。日本の政治はもはや単純な政権交代ではすまないものを抱えてしまった。彼らも感じているから先送りしている。
菊地 終戦を考えないでゲリラ戦を始めた。きっかけは国債暴落でしょう。しかしそれを期待するわけにもいかない。
佐々木 私もそう思う。自分でできる方法が一つある。今国民は先を見せてほしいのに、それを見せないで、大丈夫だ任せとけばかりいわれても本気にするはずがない。政治の言葉遣いを変えることだ。それが契機になる。課税最低限を下げるなどでなく、もっと絶対的な選択肢、たとえば財政が赤字なのだからこれとこれを削るしかないと、国民に判断をゆだねるような政治の言葉遣いだ。いつまでも面倒をみるからと抱え込んで、新幹線を造ってやるからありがたいと思え式な、繁栄の政党の言葉遣いではもうだめだ。


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