独行法反対首都圏ネットワーク |
国大協に「代表権」があるのか?
2000.12.8 [he-forum 1492] 国大協に「代表権」があるのか?
国立大学の「独立」行政法人化について,国大協があたかも国立大学全体を代表するかのように振る舞っていますが,果たしてこれには正当性があるのでしょうか.たしかに全国の国立大学の包括的な合議体としては国大協が存在するだけなので,これには一見疑いがないようにも思えます.しかしその会則を見ると疑問が生じます.会則の第4条は国大協の目的を次のように規定しています.
http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/net/nethefo978.html
「その振興」の「その」はもちろん国立大学を意味します.この場合,「国立」大学としての振興か,それとも一般に大学としての振興か,とで意味上の重大な分岐があります.前者であれば,国大協が国立大学を国立大学でなくすような決定や活動に関わることはできないはずです.しかしもし後者であれば可能でしょう.どちらの解釈が正しいのでしょうか.
会則が今日のような事態と「議題」とを予測していないのはたしかでしょう.また国大協はそのような重大な議題を扱うにはあまりにも粗末な組織です.なぜなら,それは単に「学長会議」にすぎず,国立大学全体の死活に関わるような案件を処理するのに最低限必要とされるであろう「民主的な代表制」という条件を備えていないからです.したがってそのような目的には不適格なのです.言い換えると,第4条の「その」の意味がどうであれ,組織の実態からしても,独立行政法人化問題について結論を出すような行為は,会の権限と能力の範囲を超えている,すなわち規約4条にもとる行為であると見なされるのではないでしょうか.
規約の第5条を見てもこのことは明らかでしょう.
第5条:協会は、前条の目的を達成するために、次に掲げる事業を行なう。
「独立」行政法人化への同意(するとすれば)は「調査研究」ではないので項目1には該当せず,もちろん項目2にも該当しません.したがって項目3にこじつける以外にありません.そうすると4条の「目的」と衝突するかも知れないのです.
国大協がこれまで独立行政法人化反対を表明してきたのが4条に適合するのは自明です.しかし「自己否定」はふつう,まず自らの組織を解散するのが先決です.このような目的外の決定がある組織に許されるとしても,それは,代わるべき決定方法をとることができない緊急にしてやむを得ない場合に限られるでしょう.
ここまで読まれて,このような主張は単なる手続き上の難癖だろうと思われる人も多いかと思います.そうではなく,私が主張したいのは,もしこのような重大な意志決定を国立大学全体として行うのであれば,それにふさわしい手続きを取るべきだ,ということなのです.各大学に一票しかなく,またそれぞれの意見集約の手続きも不明確というのでは国立大学の構成員全体の意見を正確にまとめることは出来ません.「独立」行政法人化への賛否が大学ごとにまとまっている(または偏っている)というわけでもないからです.だいいちメンバーが学長だけですからその年齢構成は非常に偏っているはずです.委員会があるといっても,その任命権はすべて学長にあるのです.
どうしても「独法化」の是非を国立大学として決めなければならないとすれば,例えば,各地域ごとに各大学から数名ないし十数名を選出して「合同評議会」のようなものを構成して審議し,それを全国で持ち寄る,というような本格的な意見集約の手続きを踏むべきでしょう.つまり,賛否の意見のいわば「数え直し」をやるべきなのです.現在の「表向き反対だが実は容認」という「投票結果」の数え直しです.国大協がこのような手続きの媒介者になることはありうるでしょう.
念のために付け加えますが,国大協への働きかけが重要でないとか,意味がないと言っているのではありません.その逆です.現状は不当とはいえ国大協がデファクトの「代表権」を握っているのは事実なのですから.そしてその働きかけの第一項目は「越権行為をやるな」ということです.
鹿児島大学の田中弘允学長が「鹿大広報」で述べられた言葉(注)に次のようものがあります.
この表現になぞらえれば,次のように言うことも出来るでしょう.すなわち,「本格的な規模での議論」が計画されないことも同様に問題で,「これらの作業を省略して」国大協で代用しよう,というのもやはり手続き上の怠慢である.例えば上で提案したような,もっと本格的な議論の場を設けること,このことが「密室の議論を避けて開かれた場における決定がなされ」る条件でもある.
(注)国立大学の独立行政法人化−行革の論理の暴走−
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TOYOSHIMA Kouichi