『朝日新聞』2010年3月1日付

山上浩二郎の大学取れたて便 玉川学園創立80周年記念シンポジウムより
これからの大学教育のありかた


これまで、このコラムは各大学の実践的な教育や公共性を意識した取り組みを紹介してきた。大学関係者に取材すると、「大学取れたて便」のことをきかれることも多く、一定の評価が定着すると同時に大学関係者のこのコラムへの関心も高いことがうかがえる。その根底には、教育の質向上や大学教員の実践力、社会や職業との関係の強化を求めることが大学に迫られている事情がある。

今回は、玉川大学が2月27日、東京都内で開いた「大学の使命と責任『これから大学教育のありかた』」について報告する。

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天野郁夫・東大名誉教授の基調講演「大学の教育改革と質保証」、金子元久・東大教授の「高等普通教育の可能性」、加藤かおり・新潟大学准教授の「学習者中心の理念と戦略としての質保証」、さらに菊池重雄・玉川大学教授のコーディネーターによる3氏のパネルディスカッションがあり、新たな大学教育の視点と展開の可能性を示唆するものとなった。

まず、いまの、とりわけ私大の事情を象徴する言葉が、小原芳明学長のあいさつのなかで出てきた。「昔、裏口入学がはやったが、いまは進学率が上がり、表から入るようになってきた。大都市圏以外では学生確保が難しい。大学は経営を考えると学生を入学させざるをえない。入学した学生は大卒という身分をもって出るので、大学の責任が問われなければならない」。受験地獄や浪人と同じように裏口入学という言葉も死語となりつつある。2人に1人は大学に行くような時代だと、裏口から不正で無理に入らなくても正門から入れるようになったという趣旨だが、いまの進学状況と大学経営をユーモアたっぷりに描いた言葉だった。

次に、天野氏が冒頭、80周年の玉川大学について、「幼稚園から大学院までもっている学校は世界的にみてもユニーク。特徴は全人教育」とふれたあと、大学教育の構造的な変化として3つの観点をあげた。「教育」「職業」「学問」の分野で伝統的な秩序が崩れているという指摘だった。「教育」では、かつては5教科7科目を中心に教えてきた高校教育が多様化しすぎたことや、大学入試も推薦やAO入試が増えて学力維持装置としての役割が果たせなくなっている状況を説いた。さらに、大学設置の規制緩和が進んだこともあって供給過剰になっていることをあげた。「職業」については、大学教育と企業との対応関係がみえにくくなっていることや採用試験が前倒しになり専門的な学問としての重要性がうすれはじめ、混乱しているというものだ。また、「学問」では、学問は知識の創造、統合、伝達、応用の4つの機能があるとおさえた。そのうえで、学問全体が細分化され境界があいまいになってきて融合している状態が進み、かつての学問体系はもはや崩壊していることを指摘した。この4つの機能をいまの時代、十分果たすことができるかが試されていると述べた。これらを踏まえた教育の質保証が求められているが、天野氏はとくに私大の場合は教育のプロセスの構築が必要として歴史的な歩みを紹介した。さらに「教育改革の努力も私学からおきた。入試改革やキャリア教育、新しい学部も私学が取り入れた。しかし、そのなかで伝統的な教育を無視してきた側面もあるのではないか」と指摘した。

最後に、教育の再構築の視点として、いくつかのテーマをあげた。「新しいディシプリンの構築」「学力対応、学力を形成するためのカリキュラムの見直し」「学士課程教育を高等普通教育として、学部は何をするのか問い直す」「知識・学問を通して何を教えるのか、教員の知識統合能力の育成」「日本が培ってきた教育の小道具の活用、卒業論文やゼミ、研究室など」「キャンパスライフに必要なサークルやクラブ、アメニティなど教育と学生支援の充実」「教育の質保証の主体が教員集団であること、大学、個人としての自己評価を自立的に進めることが必要」などである。

また、金子氏は、大学での教育を「高等普通教育」と意義づけることの必要性を訴えた。とくに、新しい大学教育の理念については、基本的な課題として、学生の志望や成長段階、学問領域、大学と仕事の対応など多様なニーズに対応できること、また職業やキャリアの多様化のなかで力を出す基礎能力をあげた。次いで、基本的な軸となるのが、動機づけ→学習・深い経験→新しい興味というサイクルと、その過程で成長やコンピテンスの獲得だと強調した。今後の改革の戦略として、単一的なモデルはなく経験的多元的に形成されることを踏まえ、学生の学習過程を体系的にモニターして授業にフィードバックすること、さらに大学間の比較や大学独自のモデル形成が重要になり、それを後押しする制度などのメカニズムの必要性を訴えた。

加藤氏は、大学教育の質保証の取り組みとして英国を中心とする欧州の考え方を紹介した。その理念の中心にあるのが「学習者中心」で、学生が自律的な学習者となること、自ら知のオーナーとなり、プロデューサーとなることを支援する教育を意味するという。この理念のもとにさまざまな質保証の道具が使われていることを細かく説明した。最後に、日本での質保証の提案として、学習者の視点での再検討し、学生の学習習慣を変えて教育に巻き込むことをあげた。さらに、学習者中心型に対応できるよう、新任教員研修プログラムをFDや議論のなかでつくっていくよう求めた。そのために教職員とマネジメントそれぞれの集団で責任を明確化する必要があると提案した。

パネルディスカッションでは、さまざまな議論があったが、とくに印象深かったのは高等普通教育のテーマだった。金子氏は「高等普通教育はリベラルアーツというものではなく、職業教育も入っていい。深い体験に誘導されるプロセスがあり、それに基づき学ぶスタイルが求められる。国際競争力や職業教育にも結びつく」と深めた。それを受けて天野氏は、高等普通教育という言葉は明治初期からあったことを紹介したうえで、新制大学ができたあとの一般教育、教養部の解体と、普通教育とは対峙する関係にある専門教育の歩みを述べた。高等普通教育も型どおりであるはずもなく、事例として「法科大学院ができたあとの法学部は何をするのか。法学とは何か。法学をメジャーにした教養かもしれない」と話した。さらに、加藤氏は「学生が何の授業か自分で確認する。自分の評価を繰り返すことによって学習が始まる。『ふりかえる』ことがキーワード」と述べた。

大学教育の質保証はさまざまなレベルで語られてきたが、「高等普通教育」という言葉を手がかりに、それぞれの大学で教育内容や教え方、学びを深めることが今後増えるかもしれない。質保証を考えるうえで、「高等普通教育」は重要な視点になると考えた。