『朝日新聞』2010年3月1日付

奨学金、給付型導入なし 政権交代後も拡充は有利子貸与のみ


大学生の学業を支援する奨学金。国の新年度予算案では教育費負担軽減策として、その充実がうたわれ、1兆円超の事業費が盛り込まれた。だが、拡充されたのは主に利子がある貸与分。返還不要の給付型の導入を望んでいた関係者からは失望の声も出ている。高等教育を社会でどう支えるべきかという本質的議論は、政権交代後も盛り上がりを見せない。

■滞納増え、回収強化

「進学機会を奪わないで!」「お金の心配なく学びたい」。2月20日、東京・渋谷駅前。学生らが次々とマイクを握り、日本学生支援機構が進める奨学金回収強化策の撤回を求めた。

日本の公的奨学金事業を担う機構は、増え続ける滞納対策として、4月から、滞納者情報を個人信用情報機関に通報する制度を始める。通報された者は銀行ローンを組めなくなったり、クレジットカードを作れなくなったりするなど、生活に大きな支障が出る可能性がある。

都内のコンピューター関連派遣会社で働く男性(32)は、私大大学院の2年間で機構から400万円を借りた。卒業後8年間は返せたが、うつ病で休職。会社の業績も悪化し減給され、返還が滞った。年収は270万円、うち100万円は家賃で消える。「生活で精いっぱい。働き始めた時は、こんなことになるとは思いもしなかった」。滞納額は利子も含め約430万円。返還猶予を申請している。

機構の奨学金は貸与のみで、無利子と有利子の2種類。返還免除が受けられるのは大学院生の一部成績優秀者だけだ。貸し倒れの危険がある「リスク管理債権」に当たる3カ月以上の滞納額は昨年度末で2386億円と、3年前より522億円増えた。機構や文部科学省は「返還金は次の奨学金の原資に充てている。回収強化は必要」としており、昨年の行政刷新会議の事業仕分けでも「借金を踏み倒せば社会的制裁がある」などと厳しい声が飛んだ。

だが、滞納者を取り巻く状況は厳しい。昨年度の滞納理由は「低所得」の39.6%がトップで、「親の債務返済」も36.4%。6カ月以上の滞納者の84%は年収300万円に達しない。日本学生支援機構労組の岡村稔書記次長は「返したくても返せない人がいることがどれだけ認識されているのか。借りることに不安を感じて進学をあきらめる生徒もおり、本来の奨学機能が半減する」と危機感を抱く。

有利子枠だけを拡大してきたことを問題視する声も多い。そもそも有利子型は、根幹の無利子型を補う措置だったが、08年度の貸与実績は無利子型が34万8千人、2479億円に対し、有利子型は76万2千人、6446億円。無利子型は10年前からほぼ横ばいだが、有利子型は人数で約7倍、額で10倍に増えている。背景には、独立法人化や小泉改革で、収益性など民間の発想が重視されたことがある。

結果、機構の奨学金は望めば、有利子型ならほとんど利用できるようになった。学部生でみると、現在は3分の1が貸与を受けている。入学後から上限の金利3%で月12万円借りた場合、卒業時には800万円近い借金を背負うことになる。

■日本の家計負担、突出

新年度予算案の奨学金事業は118万人分、1兆55億円と、前年度より580億円増えた。ただ、過去に増やした貸与者が進級し継続して借りるための措置分が大半で、実質上は拡充とは言えない。政府の拠出分は前年度と同額で、予算の大部分は財政投融資資金が占める。貸与者は3万5千人増えるが、うち3万人がやはり有利子枠だ。

日本の高等教育への公的支援の貧弱さはかねて指摘されてきた。経済協力開発機構(OECD)の報告では、公的支出は国内総生産比で0.5%と加盟国中最低(06年)。逆に家計負担は51.4%と突出して重い。学費は高騰の一途で、この35年間に消費者物価指数は2倍弱なのに、授業料は私大で約5倍、国立大では15倍にアップしている。

大学進学率は50%を超えたが、東京大の大学経営・政策研究センターが05、06年に全国の高校生を対象にした調査によると、年収200万円以下の家庭では28%。昨年度の大学中退者の15.6%は経済的理由だった。導入の声が高まる給付型奨学金は各大学や民間に委ねられており、広がりはまだまだだ。

民主党は昨年、総選挙前の政策集で、徐々に高等教育無償化を進めるとともに、奨学金制度を大幅に改め、給付型制度を検討するとしていた。今回の新年度予算案に、支援機構労組の岡村書記次長は「低所得の人間ほど借金がかさみ、学ぶ権利から遠くなっている。猶予はない。政権交代に期待していたのだが……」と落胆を隠さない。

文科省学生・留学生課は「高等教育の公的負担をどうするかは、奨学金に限らず幅広い議論が必要だ。ただ、現在の制度と限られた予算では、一時的な負担軽減策であっても貸与枠を拡充する努力をせざるを得ない」としている。(石川智也)

■矢野眞和・昭和女子大教授に聞く

教育費の観点から政策提言してきた矢野眞和・昭和女子大教授に公的負担の問題について聞いた。

――奨学金滞納が問題になっています。

正規雇用と年功賃金が崩れ、就職すらままならないのにどうやって返すのか。それを若者のモラル低下のように言うのは、恵まれた経済成長時代に奨学金を返した古い世代の誤った考えだ。今の公的奨学金制度はまさに親子ローンで、貧しさが相続されるだけ。「奨学金」の名に値しない。

――日本の高等教育費の家計負担は極めて重い。

社会のための大学という合意が戦後に消え、高等教育は自己投資で受益者負担が原則との考えが進んだ。子の教育は親の責任という家族主義が進学熱を高めたが、この日本的な親負担主義は限界に来ている。大学の数がそもそも多すぎるという人がいるが、進学率50%は世界的に見て特別高いわけではない。半分という数字は、実は中間層が分断されているということ。経済的理由で進学できない中流層が増えれば、結局は社会の底上げを損ない、現代の知識集約型産業構造に対応できなくなる。

――欧米では給付型奨学金が充実し、フランスやドイツの国立大は学費が原則無償です。

すべて公費で賄うのは無理でも、日本はあまりに公私の費用バランスが悪い。高校無償化もいいが、大学の学費との落差が大きすぎることの方が問題だ。

――政権交代したが、高等教育予算は伸びませんでした。

奨学金制度をいじるだけでは教育の機会均等実現は無理。結局、限られた資源の全体配分をどう変えるかの政策論の問題だ。そのためには、社会として大学に何を求め、どう支えるかの本質的議論が必要。落第のない高い卒業率や新卒就職主義など日本独特の大学文化や雇用システムも含めトータルに見直し、グランドデザインを描かなければならない。制度論に終始し政策論に踏み込まないのなら、政権交代の意味はない。

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〈キーワード〉日本学生支援機構

日本育英会や日本国際教育協会など5団体の事業と文科省の一部業務を引き継ぎ、2004年に設立された独立行政法人。それぞれが個別に行ってきた奨学金貸与、留学生交流などの学生支援事業を総合的に実施する。文科省所管。