『朝日新聞』2010年1月18日付

理系博士の就職進まず 国の「仲介」事業3年目へ


若手の研究者と企業を引き合わせ、インターンシップで就職や産学連携につなげる国の事業が間もなく3年目を迎える。就職先が見つからず立場が不安定な「博士」に、企業での活躍の場を与えるのが狙いだが、成果はこれからだ。科学予算に厳しい風が吹くなか、若手研究者をどう育て、どう生かすのか。事業も正念場を迎えている。(上野創)

■公費負担で企業研修

「大学では、製品化を意識しながら研究する機会がなかったので、貴重な体験でした。企業で研究する生活のイメージを持つことができ、この会社で働きたいと思いました」

早稲田大で応用化学を専攻した博士後期課程3年の伊部武史さん(27)は昨年1〜3月、化学製品会社(東京)の欧州の研究所で働いた経験を振り返った。その後、同社から内定をもらったという。

利用したのは2008年度から早大が始めた「実践的博士人材養成プログラム」。

学内外の博士課程の学生や、大学院で博士号を取った後に、任期付き博士研究員(ポスドク)として残った人が登録すると、経済界の一線で働く講師によるコミュニケーションやリーダーシップ、英語での発表能力などの講義を無料で受けられる。

目玉はインターンシップ。ポスドクや学生の研究内容や希望を聞き、選抜したうえで企業や研究機関に派遣する。期間は3カ月〜1年と、通常の就職活動でのインターンシップより長い。交通費や人件費は企業側でなく、大学がすべて負担。ポスドクは時給2500円、学生は1500円だ。

プログラムは、文部科学省が08年度に始めた事業を受けたものだ。主に理系の若手研究者のキャリアを支援する部署を各大学が作る。5年計画で、08年度は10大学、さらに09年度7大学が選ばれた。予算額は2年度分で25億5千万円。1校あたり8千万〜1億円だ。背景にあるのは「博士の就職難」。これまでも、若手研究者の進路として企業が有力視されてきたが、両者にはまだ距離があり、それを縮めようとしている。

文科省は、合同企業説明会など、若手の関心を大学外に広げる取り組みを後押ししてきた。ポスドクや学生が一定期間、企業で働けば、相互の理解が深まり、就職者の増加やイノベーション(技術革新)を期待できる。「インターンシップ事業で、その先の『お付き合い』を経験してもらいたい」と文科省の担当者は話した。

■企業に先入観 学生は大学ポストに未練

企業と研究者の「交際」を狙う事業だが、必ずしも出足は順調とは言えない。

08年度、早大でインターンシップを経験したのはポスドクと学生2人ずつ。今年度はポスドク4人、博士課程7人。昨年末での予定者8人を入れても計23人で、目標の「3年で50人程度」には、残り1年3カ月で倍以上にしなければならない。就職は内定含め4人。これも来年度中に50人にするのが当初の計画だ。博士とポスドクの副キャリアセンター長を務める朝日透さんは「大学の費用負担で派遣するというプログラムの良さが企業に伝わらず、若手研究者側に情報を届けるのにも時間がかかった。ただ、双方に前向きな反応が増えており、目標を達成したい」と語る。

慶応大の場合、医学部が中心となり、医療機器や製薬などの分野でインターンシップにつなげる。ただ、インターンシップ経験者は昨年度3人、今年度10人、予定者が4人。計画では毎年14人を選び、3年目には約半数を企業や国内外研究機関、他大学教員などに就職させるはずだが、現時点の就職や内定は5人にとどまる。「就職した人数だけが成果ではないが、事業が浸透してきたので今後は増える見通し」という。

3年でインターンシップ参加者70人、そして参画企業との連携で30人程度の雇用達成を掲げた大阪大も、現時点で参加者32人、就職は内定を含めて11人だ。初年度のインターンシップがゼロだった大学もあった。不調の原因に、「ベンチャーの採用は増えているが、研究者側に大手志向があり、大学ポストへの未練も強い」「一部の企業に、博士は使いにくいという先入観がある」などの声がある。

■「大学以外の職に興味がある」68%

若手研究者の人件費や研究費などに充てる「競争的資金」は、行政刷新会議の「事業仕分け」でも取り上げられた。「ポスドクの保護はやめるべきだ」と厳しい指摘が続いたが、「民間企業を出口にする政策が不可欠」などの意見も出た。「若手研究者育成」の予算は結局、18億円の要求額から3千万円減にとどまった。

若手研究者の側も、大学での研究以外の選択を考えるようになっている。例えば大阪大のキャリアに関するアンケートによると、「大学以外の職に興味がある」と答えた割合は、05年の46%から08年は68%と上がっている。

昨年11月に日本物理学会が神戸大で開いた合同企業説明会には、100人を超えるポスドクや学生が集まった。博士後期課程2年の男子学生(26)は「大学にポストがあるか分からない時代。狭い世界にいて情報がないので、こういう場は貴重」と話した。

ポスドク問題に詳しい小林信一・筑波大教授は「インターンシップに限らず、大学は人材育成や幅広いキャリア支援にもっと取り組むべきだ。企業でも大学でもプロジェクトを先導できる、そんな力を院生が身につけられる仕組みを、大学全体で真剣に考えなければいけない」と語った。

〈キーワード〉博士の就職難 1990年代、国の政策による大学院定員増で博士課程修了者が急増した。若手研究者は多くなったものの、大学教員など学内でのポストは増えなかった。企業も、年齢の高さなどから採用を敬遠したため、不安定な立場の研究者があふれ、「高学歴ワーキングプア」の言葉も生まれた。文科省は昨年6月、博士課程の定数減を含めて見直しを求める通知を国立大学に送付。ただ、科学者らから、「研究が、他国より大きく遅れる」と、懸念する声が出ている。