『朝日新聞』2009年10月26日付

6年制薬学部、人気低迷


臨床現場で幅広く活躍できる薬剤師を育てるために導入された薬学部の6年制。その1期生にあたる4年生が、来年から薬局や病院で、5カ月間の実務実習を始める。チーム医療の一翼を担える薬剤師への期待は高いが、一方で、薬学部志望者は激減。定員割れの大学が続出するなど、薬学部を取り巻く環境は厳しさを増している。

「お薬が体に合わなかったことはありますか?」

白衣を着た学生が質問すると、患者役の女性が「ぜんそくのようなせきが出て苦しかったことがあります」と答えた。

今月2日、東京薬科大学(東京都八王子市)で行われた4年生対象の服薬指導の実習。40人が八つのグループに分かれ、病歴や薬の副作用の経験、食物アレルギーの有無を聞き取っていく。

模擬患者は、地域住民や大学の卒業生から選ばれたボランティアだ。「『ご心配なく』という患者への心遣いの言葉がよかった」と言われて、ほっとした表情を浮かべる学生もいた。

4年生は来春から、薬局と病院で2カ月半ずつ、計5カ月間の実務実習が待っている。それに備え、処方箋(しょほうせん)に基づく調剤や、点滴バッグに薬を注入する無菌混合調製の実習も受けている。

入学後、薬の研究開発から、病院勤務に志望を変えた吉田謙介さん(23)は「専門知識を生かし、患者が薬の副作用で苦しまないようにしたい」と抱負を語る。病院薬剤師を目指す大久保直美さん(22)は「がんで亡くなった祖母は、投与される薬の名前を手帳に書いて、間違いないかどうか看護師に確認していた。薬剤師になったら、患者が安心して治療を受けられる環境を作りたい」と言う。

実務実習はこれまで大学によって内容や期間がばらばらだった。東薬大が4年制だった時の学内実習は38時間。模擬患者相手の実習は一部の学生しかできなかった。6年制になり、5倍近い183時間を確保し、全員が参加できるようにした。

東大病院の助教授・副薬剤部長から転身した山田安彦教授は「医薬品の進歩は目覚ましい。薬の調剤だけでなく、薬学の知識を臨床現場に応用し、処方の作成段階から助言できる薬剤師を育てたい」と言う。

■規制緩和で定員増

しかし、薬学部の経営には逆風が吹き、薬剤師の将来も明るいとは言えない。

東薬大は6年制に対応するため、病棟や調剤室を備えた教育棟を約22億円かけて新設し、実習用の薬にも年間数百万円を費やす。ところが、6年制となる前年の05年度までは、5千人以上の志願者を集めていたものの、6年制になった06年度は3355人と大幅に減り、その後も横ばいが続く。

大手予備校代々木ゼミナールの集計では、薬学部定員の約9割を占める私大の志願者(推薦などを除く)は、05年度の約12万5千人から、06年度は約8万1千人と3分の2に激減した。

なぜ、人気が落ちたのか。

まず、学費負担が大きい。私大薬学部の場合、年間授業料は平均約200万円なので、6年間で1千万円超かかる。修学年限が医、歯学部と同じになっても収入が増える保証はない。人事院の民間給与実態調査(09年4月)によると、薬剤師(平均年齢34.5歳)の給与は月額約34万2千円。大卒が条件ではない看護師(同35.5歳で約33万6千円)とあまり変わらない。

「薬剤師過剰」が現実化しつつあることも影を落とす。規制緩和を進めた小泉内閣は大学の設置や定員増の抑制方針を03年度に撤廃。日本薬剤師会などが「薬剤師の質の低下」を理由に抑制の継続を求めたが、聞き入れられなかった。

その結果、私大の薬学部開設が相次ぎ、学部数は02年度の46から08年度に74(6年制)となり、定員も同じ期間に8100人から1万2170人(同)に増えた。志願者減と学部増が重なり、今年度は約4割の私大薬学部が定員割れとなった。

代々木ゼミナール入試情報センターの坂口幸世(ゆきとし)本部長は「以前は倍率が高かったので、多くの大学が、少子化でも確実に入学者を見込めると考え、大学の生き残り策として開設した結果だ」と指摘する。

■歯科医と同じ道?

一方で薬剤師の需要は頭打ちになろうとしている。厚生労働省が90年代以降進めた医薬分業政策で、薬剤師が不足気味になった。患者が病院や診療所から直接薬をもらわず、医師の処方箋を調剤薬局に持ち込む方式が一般化し、たくさんの薬剤師が必要になったからだ。薬局の薬剤師数は94年の約6万人から06年に約12万5千人へと倍増したが、すでに院外処方箋の伸びは止まった。

医療従事者は、医療現場の実態を踏まえた将来計画に基づいて養成されるべきだが、実際はそうなっていない。

医学部は政府が定員の抑制方針を転換したが、逆に歯科医師は過剰で、歯学部定員の抑制が課題だ。薬剤師も文部科学省と厚労省の連携不足によって歯科医師と同じ道をたどる可能性がある。

ただ、「病院勤務の薬剤師は足りない」との声も強い。

厚労省の配置標準では、一般病院は入院患者70人当たり1人、大学病院などの特定機能病院は同30人当たり1人の薬剤師を置けばよい。

しかし、日本病院薬剤師会の堀内龍也会長は「薬の適正使用や医療安全のためには入院患者10人当たり1人の薬剤師が理想。当面40〜50人の患者が入院する病棟ごとに専従者を置き、夜も病院全体で最低1人の配置を目指すべきだ。それには、病院で働く約4万5千人の薬剤師を倍増させる必要がある」と訴える。(編集委員・出河雅彦)