『毎日新聞』2009年8月29日付

新教育の森:免許更新のため、先生が講習受けた


◇夏休み集中開講…教育最新事情から伝統芸能まで

10年ごとに学校の先生に30時間の講習受講を課す教員免許更新制度が今年度から始まった。「ただでさえ忙しいのに」と先生たちからぼやきも漏れるこの制度。一体何を学んでいるのだろうか。講習が集中した夏休みにのぞいてみた。【井上俊樹】

◆2日間で12時間

夏休み中の学生たちに代わって、教室では約60人の先生たちが試験を受けていた。7日夕、東京都小金井市の東京学芸大。前日から2日にわたって続いた教員免許更新講習もこれで最後。今後10年間の教員免許が掛かっているだけに、解答用紙にペンを走らせる先生たちの表情は真剣だ。学芸大は今年度の更新講習の募集定員が1万3000人と、全国最大の実施機関。先生たちが受講しやすいように、約8割は8月に開講した。

この2日間、先生たちは「学校を巡る近年の状況の変化」「学習指導要領の改訂の動向」「学校における危機管理上の課題」など、各80分の講義を計9コマ受講した。教員免許更新制度で義務付けられている30時間のうち、「教育の最新事情」を学ぶ「必修」の12時間分だ。講義の細かい内容は各実施機関や講師に委ねられているが、必修講習は基本的にどこで受けても大きな違いはない。

具体的には、何を学んだのか。例えば、「子供の発達に関する最新の知見」という講義では、障害児教育が専門の講師が特別支援教育の現状や発達障害の定義、症状などを解説。「発達障害児の中には感覚が非常に過敏な子供がいる。授業中突然パニックを起こす子供がいたら、もしかしたら汗をかいてチクチクしているのかもしれない。そうした感覚障害があることも理解しておいてください」などと話した。また、「学校を巡る近年の状況の変化」の講義では、講師は国際比較のデータを示しながら、学力低下問題や不登校の現状などを説明した。

◆自由多彩な選択科目

「必修」に比べ、残り18時間の「選択」科目は文字通り選択肢が多い。文部科学省も「教科指導、生徒指導その他教育の充実に関する事項」としか定めておらず、教育に関係あれば、事実上何を扱っても自由。学芸大も今年度、「現代日本語文法」「コンピューターハードウエアの最新事情」「バスケットボールのシュート指導法」など、182もの講習を用意した。先生たちの普段の授業に関係ある講義が多いが、受講者は必ずしも担当教科にこだわる必要はなく、個人的な興味や趣味の延長で選んでも構わない。

国立劇場(東京都千代田区)を運営する日本芸術文化振興会が7月に開講した4日間の集中講座「伝統芸能にみる日本のこころ」も、先生たちに人気がある講習の一つだ。歌舞伎や文楽、能楽など伝統芸能の基礎や歴史を一通り学べるうえ、実際に歌舞伎鑑賞もできるとあって、首都圏だけでなく、東北地方や関西、四国からも泊まりがけで集まった。

「雪の教育活用を探る」(北海道教育大)、「ロボット技術の現状」(岡山理科大)、「サンゴ礁生物の生態」(琉球大)など、地域性や得意分野を生かした講習を開講する大学もある。

◆60点以上で修了認定

必修にしても、選択にしても、受講者は講習の最後に修了認定試験を受けなければならない。100点満点で60点以上取れば合格というのはどこで受けても同じだが、試験は記述式や穴埋め式、選択式など実施機関によってまちまちだ。講習によっては実技試験の場合もある。

もっとも、昨年度、全国130の大学・法人で実施した「予備講習」の受講者約4万5000人のうち、不合格者はわずか36人だった。「予備講習」とはいえ、今年度から正式に始まった更新講習と基本的に変わらず、合格者は更新講習を受講したとみなされる。資料を持ち込めるケースも多く、東京学芸大も「講義を聴いてさえいればまず落ちることはない」と話している。

◇他の研修と重複、受講費は自己負担 参加する意義見いだせず、制度改善は必至

「今まで知らなかった専門的な知識を学べて勉強になった」(横浜市の小学校の33歳男性教諭)、「普段の授業に役立つかどうかはともかく、教養は広がった」(千葉県の中学校の53歳女性教諭)、「現場の教師ならば知っているレベルの話ばかりで意味がなかった」(東京都の小学校の43歳女性教諭)−−。受講後、先生たちに感想を聞くと、受け止め方はかなり分かれた。ただし、教員免許更新制度そのものについては、ほぼ例外なく批判的だ。

先生たちが指摘したのが、他の研修制度との整合性で、とりわけ03年度に義務化された10年経験者研修との重複を疑問視している。10年研修は教員免許更新制度の導入を見送る代わりに始まったにもかかわらず、更新制度がスタートしても存続した。校外、校内合わせて年間40日程度に上る10年研修のほかにも、それぞれの学校や自治体で5年目や20年目など独自の研修があり、先生たちは「負担が多すぎる」と主張する。

金銭的負担もある。受講費用は決まっていないが、おおむね3万円程度で、全額自己負担だ。都内の高校の男性講師(34)は「たかが3万円と思うかもしれないが、給料が安く不安定な講師にとっては痛い」と言う。離島や山間へき地の場合は、交通費や宿泊費などの負担も加わる。

校長や副校長、教頭ら管理職が免除される不公平さを指摘する声もあり、千葉県の中学の女性教諭(53)は「線引き理由があいまいだ」と訴える。何よりも、埼玉県の中学の男性教諭(54)が「大会前の部活動を放ってまで来る価値があるのか」と言うように、長時間学校を離れて参加するほどの意義を見いだせないところに最大の不満があるようだ。

こうした課題は実施機関側も認識している。東京学芸大の田中喜美副学長は「我々の立場としては、教員の専門性を高めるための講習内容にしていかねばならない」と断った上で、制度そのものについては「システムとして大きな問題を抱えており、改善していく必要がある」と言い切る。文科省も実施から5年後に内容の見直しを行うことにしている。また、民主党は衆院選マニフェストで、更新制度を含めた教員免許制度全体について「抜本的に見直す」としている。

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◇教員免許更新講習の例(選択講習)

微分積分とその応用▽地震と火山▽地球温暖化について▽天体望遠鏡実習▽合唱指導法▽日本の古典文学▽日本国憲法▽国際政治の最新事情▽ハリー・ポッターとイギリス文化▽水泳の指導力向上▽金属工芸の基礎技法▽アンケートの調査票を作ってみる▽発達障害の子供たちの理解と支援▽スクールソーシャルワーク▽不登校・引きこもり対策=いずれも東京学芸大

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■ことば

◇教員免許更新制

教員の指導力向上を目的に、07年6月の教員免許法改正で導入が決まった制度で、幼稚園から高校までの教員が対象。今年4月以降に教員免許を取得した人は取得から10年間、それ以前に取得している人は35歳、45歳、55歳になる年度末までが教員免許の有効期間となり、期限までの2年以内に計30時間の講習を受講し、試験に合格しないと失効する。

今年度の対象者は11年3月末までに対象年齢となる教員のうち、08年度に行われた予備講習の修了者を除く約7万4000人。講習は主に大学で行われるが、文部科学省が指定する独立行政法人なども開講できる。インターネットによる受講も可能。今年度は510大学で実施するが、大半が定員割れで、228講習が中止になった。