朝日新聞2009年8月23、24日付

教育費、家計負担軽くなる? 〈総選挙〉政策・公約チェック(上)


総選挙の投開票まで、あと1週間。政権交代がかかった今回の選挙では、教育政策をめぐって各党が数多くのマニフェスト・公約を掲げて競い合っている。何が語られているか。実現可能性は。2回にわたり「総ざらえ」で点検する。初回は、家庭の教育費負担の軽減策をみた。(上野創、青池学)

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■進学支援

文部科学省の学校基本調査の速報値によると、4年制大学への進学率はこの春、50.2%と初めて5割を超えた。その分、家庭の教育費負担も増える。日本政策金融公庫の調査によると、高校入学から大学卒業までにかかる費用は1人あたり平均1023万円に上る。ここをどう手当てしていくかは、各党が公約で重きを置く点の一つだ。

自民は、返済しなくていい「給付型」の奨学金制度を高校生、大学生について設けることを目玉に掲げる。「今でも家計が苦しいのに、さらに借金が増えたら返済の負担に耐えられない」。そう考えて奨学金を利用せず進学をあきらめる学生は少なくない。ならば「給付型」で支援しようという考えだ。

この「給付型」は自民・公明の連立与党重点政策に盛り込まれている。自民はさらに低所得者の授業料無償化を訴え、公明は▽中・高校生の教育関係費の一部の税額控除▽所得に応じた高校授業料の減免▽経済的に困難な小中高校生の支援基金の設立――などもうたう。

低所得層を重点的に支援するこうした与党側の政策に対し、「高校無償化」で全体を支援するというのが民主案だ。政権をとれば10年度から実施するとしている。

具体的には、公立高校生の家庭に、年間授業料に相当する12万円程度の就学支援金を出して実質的に無償化。私立の家庭にも同じく年間12万円程度を出し、低所得者には倍の24万円程度を支給する。大学生向けには希望者全員が受けられる奨学金制度を創設するとしている。

高校無償化は、民主、社民、国民新の3党が合意した「共通政策」にも盛り込まれた。共闘関係にある新党日本も高校無償化を掲げる。

社民は無償化の対象に入学金を含めたうえで、3分の1に下げられた義務教育費の国庫負担率を2分の1に戻すことを盛り込む。国民新は、進学などで実家を離れた子どもをもつ家庭向けの「仕送り減税」も唱える。

共産は、公立無償化に加え、私立の入学金、授業料について年収500万円未満は全額助成、800万円未満は半額助成とする「授業料直接助成制度」を提示。給付型奨学金の創設と、国の奨学金の無利子化も掲げている。

みんなの党も高校、専門学校、大学について、給付型などによる奨学金制度拡充をうたっている。


■子育て

各党の公約には、子育て支援策も多く盛り込まれている。

自民が前面に打ち出したのは幼児教育の無償化。3〜5歳児の幼稚園・保育所の費用負担を段階的に軽くし、12年度から完全に無料にするとしている。公明は自民同様の無償化と共に、児童手当の支給対象を現在の小学生から中学生まで引き上げ、額を倍増させることを盛り込んだ。

幼児教育無償化は民主も政策集で触れてはいるが、眼目は「子ども手当」。月額2万6千円を中学卒業まで支給する考えで、まず来年度、半額支給から始めるとする。

他の野党も、社民は18歳まで月額1万円(第3子以降は2万円)、みんなの党は中学卒業まで月2万〜3万円支給するとしている。共産は幼稚園と保育所の費用軽減を掲げつつ、公的保育(市町村立の認可保育所)を増やして待機児童をゼロにするという。

教育に対する日本の公費支出は他の先進国より格段に低く、その分を家庭が負わされている――。こんな指摘は言われて久しい。経済協力開発機構(OECD)の調査によると、日本の国内総生産(GDP)比の教育予算は先進国の最低レベル。05年のデータは3.4%と、資料がある28カ国で最低だ。

今回の総選挙では、ほとんどの政党がこれをOECDの平均レベル(5%)に引き上げるとうたっている。自民、公明、共産は数値を入れずに「OECD諸国並み」とし、民主や社民は「5%」と明記している。


■実現の道筋

様々に並ぶ教育費の負担軽減策と予算拡充案。しかし、本当に実現できるのだろうか。

例えば、教育予算のGDP比をOECD加盟国の平均レベルにもっていくには7兆円以上が必要とされる。自民と公明が掲げる幼児教育無償化は、文科省の試算では7900億円が必要だ。民主は子ども手当に5兆3千億円、高校無償化と奨学金の拡充に9千億円かかるとしている。

自民は11年度までに消費税引き上げを含めた税制改正を行って財源に充てるとするが、「OECD並み」実現には単純計算で3%近く消費税率を上げなければならない。そもそも、こうした税制改正は「景気回復」を前提にした話だ。

民主は、天下り法人への補助金や非効率な政策など無駄を削減し、政策の優先順位を厳格にしていく中で実現するとしている。しかし、教育関係の公約を実現するにはそれ以外の施策を相当削り込まなければ困難だ。いずれにしても、実現までの具体的な手順は有権者には見えていない。

本当に最優先で実現すべき政策なのか、疑問が投げかけられている公約もある。

例えば、高校の授業料については、現在でも低所得者向けの減免制度がある。経済的に困難な生徒は、むしろ授業料以外でかかる学用品、制服、修学旅行の積み立てといった費用の負担が厳しく、その支援策こそ先決だという指摘も強い。


漫画家・倉田真由美さん―公立校の教育、底上げが必要

いま小3の息子がいて、年末に第2子を出産予定です。やはり関心があるのは教育や子育ての政策です。各党が教育や子育てをメーンのテーマのように取り上げていますが、私たち一般の人間にはありがたいですね。

ただ、例えば幼児教育の無償化は自民党がうたい、民主党も言及しているけど、認可外の保育所はどうなるんだろう。高額の認可外保育所もありますが、そこも無償になるのかどうかは書いていない。公約は具体的じゃないと判断材料にならないですね。

親として注文があります。学校で、インターネットの危険性をきちんと教えてほしい。例えば児童ポルノは、表面化していない事件がいっぱいあると思う。親が危険性をわかっていないこともあるだろうから、学校で教えるべきです。

近々、息子を連れて福岡から東京に転居します。中学校のことを考えると、東京では公立と私立のレベルの差が大きくて、公立に通わせていいのか心配になります。ほぼ全員が公立中に行く福岡では考えもしなかった問題です。

だれもが行ける公立校でこそ、高い水準の授業が受けられるようにするべきです。子どもが受ける教育の水準が、子ども自身の学力ではなく、親の経済力によって左右されるのはおかしい。公立校の教育の底上げが必要ではないでしょうか。

4年前に争点となった「郵政民営化」なんて、専門家じゃないから今も全然わからない。それでも当時はその是非だけを基準に投票してしまったけど、いま考えれば大事なことは他にいくらでもあった。前回の選挙を反省材料にしたいですね。


小林雅之・東大教授―全体で支える意識を

日本の教育予算が少なく、家計の負担が重い問題について、ようやく政治家が関心を持つようになった。ただ、自民などが掲げる給付型奨学金も、民主などが打ち出す高校無償化も、先進国ではすでに整備されている。どちらかではなく、両方が必要だ。

こうした政策が総選挙の時だけ語られ、実現されないままになってしまっては困る。危機的な財政のなか、財源をどうするかは難しい問題だが、予算の組み替えなどで対応していくべきだ。教育費は社会全体で支えていく、という方向に人々の意識を切り替えていく必要もある。そういう視点で考える人が増えないと、教育予算を増やしていくのは難しい。


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教育の中身、充実できるか 〈総選挙〉政策・公約チェック(下)

総選挙で教育政策はどう語られているか。それは何を意味しているのか。各党の公約点検企画の後編は、様々な制度にかかわる問題を中心にみた。(青池学、上野創)

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■少人数教育

教員が忙しい。同じ教室で学ぶ子どもの習熟度に大きな差が出ている――。教育現場のそんな状況を踏まえ、各党がこぞって公約に掲げたのが「少人数学級の推進」。1学級の子どもを少なくすれば、子どもを今よりもていねいに教育できる、という考えからだ。

日本の小学校の1学級あたりの児童数は28.2人。経済協力開発機構(OECD)加盟国では下から2番目の低水準だ。中学校も下から2番目の33.2人で、OECD平均の23.8人とは約10人の開きがある。文部科学省の幹部も「日本は学級規模でいえば後進国」と認める。

これまで政権を担ってきた自民は公約に「4年以内に少人数学級を実現」と記載した。ただ、地域ごとに事情が異なることを考慮し、1学級あたり何人を目指すのかは記していない。公明も目標人数は具体的に記さず、少人数学級や、1学級を複数の教員で指導するチームティーチングの推進を掲げる。

野党では共産が「30人以下学級」、社民が「学級生徒数は20人を目指し、当面は30人以下学級の早期完全達成をはかる」とした。

一方、民主は「教員1人あたり生徒数」という指標を改善し、少人数学級を進めるとしている。日本は小学校19.2人、中学校14.9人だが、これをOECD平均の小学校16.2人、中学校13.3人に減らすことを目指す。

小泉政権下で成立した行政改革推進法や、閣議決定された経済財政運営の基本方針「骨太06」により、文部科学省は教員増の要求を抑えつけられてきた。財政再建路線のもとで教員を含めた公務員全体の定員削減が進められたためだ。

それだけに、教員配置を手厚くし、少人数学級を進めると各党が一斉に訴えている現状について、文科省幹部は「歓迎すべきことだ」と口にする。

ただ、少人数学級を実現するうえでどれだけの経費が必要となるかという数字は、自公も、野党の民主、共産、社民も公約に示していない。

仮に民主が目指すOECD平均並みの教員配置を小中学校で実施した場合、「教員は十数万人増、人件費は8千億円程度かかる」と文科省はみている。


■国立大学運営費

大学を運営する基盤的な経費として国から各国立大学に交付される「運営費交付金」は政府の財政再建路線のもとで削減が続いており、小泉政権が閣議決定した経済財政運営の基本方針「骨太06」で対前年度比1%削減を07年度から11年度まで続けることが決まっている。

04年度に総額1兆2415億円だった交付金は、09年度は1兆1695億円。5年で720億円が削られた。国立大からは削減方針の撤廃を求める声が繰り返し上がっている。

自民は公約で運営費交付金を「充実」させると表現しているが、同党の幹部の一人は「増やすのは財政的に困難。従来の削減方針を変えるということではない」。

これに対し、民主は「自公政権の削減方針を見直す」と訴え、共産は「削減された720億円を直ちに復活させる」、社民は削減方針を「転換」するとしている。

そもそも、大学などの高等教育機関に対する日本の公財政支出は、対国内総生産(GDP)比0.5%で、OECD加盟国では最下位だ。

しかも、支出の変化をみると、00年の額を100とした場合、05年はイギリス148、アメリカ132、韓国136、OECD平均は127でいずれも100を超えているのに対し、日本は93。加盟国で100を切ったのは日本だけだ。

政権交代すれば、大学への予算配分が手厚くなるかもしれない――。文科省にはほのかな期待感が漂うが、運営費交付金は1%削減するだけで100億円が浮くことから、省内には「他の政策を実現するため、引き続き削減のターゲットにされる可能性がある」との見方もある。


■全国学力調査

全国の小6、中3全員を対象とし、文科省が07年度から始めた全国学力調査。予算は年間60億円程度必要だが、「金と労力に見合うほどの分析結果が得られていない」「その分を他に振り向けた方がいい」という声が現場や教育委員会には根強い。

これについて、自民は今後も続けることを公約で明示しているが、共産、社民は、全員を対象にする現在の方式をやめ、サンプルを取り出す抽出調査に改める方針を示している。民主も公約には記載していないが、省庁の事業の必要性を洗い直す「事業仕分け」の中で、「抽出で十分」と判断している。

今年度始まった教員免許更新制も、与野党の対立点だ。教員に10年ごとに免許更新講習を受けることを義務づける制度で、自民は継続方針だが、共産は「政府言いなりの『物言わぬ教師』づくりを進めるのがねらいだ」、社民は「教員の負担を増すだけ」としてそれぞれ中止を訴えている。民主も、「事業仕分け」の結果、「効果が不透明。教員の負担が増し教育現場が疲弊する」として「廃止」と判断している。


■「基本法」

自民は公約で、安倍政権当時に成立させた改正教育基本法の理念を「かたちにする」としている。

教育基本法は戦前の軍国主義教育への反省から「個」の尊重をうたったが、安倍政権は06年12月の改正で「我が国と郷土を愛する態度を養う」といった「公」重視の項目を盛り込んだ。今回、その理念のもとで、道徳教育や伝統文化教育の強化などを掲げる。

「教育基本法」は、実は民主も改定をねらっている。マニフェストの母体となる公約集の文部科学政策のトップには、党独自の「日本国教育基本法案」の概要を掲載。「党の教育政策の集大成」と位置づけ、国会に提出する姿勢を示している。

この法案は、基本法改正が論議されていた当時、対案として国会に提出したものだ。公約集では触れられていないが、前文には「我々が目指す教育」として「日本を愛する心を涵養(かんよう)すること」と書かれている。

民主の保守系議員には「愛国心をめぐる表現は自民党より踏み込んでいる」と自賛する声があるが、旧社会党出身議員や日教組系議員を抱える党内では、「愛国心」に関する考えは一様ではない。今後、党内対立の火種になる可能性がある。

この基本法案には、地方の教育行政を教育委員会から首長に移すことも盛り込まれている。「合議制による教育委員会は責任が不明確で、いじめや不登校といった問題に対処できない」「選挙で直接有権者から選ばれる首長の責任で改善を進める方がよい」という考えからだ。

だが、教育委員会制度もまた、戦前の教育への反省から、教育の政治的中立を保つために創設された経緯がある。

基本法案には、政治的中立が保たれているかどうかをチェックする「教育監査委員会」の設置もセットで盛り込まれているが、民主の支持団体の日教組も含めて論議を呼ぶのは必至だ。党内にも「政権交代したとしても、提出までに数年は議論の時間が必要だろう」との声がある。


経済評論家・勝間和代さん―「機会の平等」推進に予算を

教育の家庭の負担の多さがやっと問題視されていますが、「遅い」と思います。

格差社会がなぜ悪いか。さまざまな実証研究が示していることは、格差が広がるほど社会全体の幸福度が下がるという点。「勝ち組」と言われる人々も、社会不安、リスク増大、転落のプレッシャーなどで幸福度は下がります。

教育に予算をかけ、「機会の平等」を進めるのは社会全体に必要なことでしょう。

ただ、教育は学問だけではない。教科の知識以前に、問題解決能力や他人の意見を聞いて自分の意見を組み立て、伝える力などを育てないと社会に出て行けない。企業は採用後に再教育するコストをかけなくなっているんです。

数学は論理的思考につながり、歴史は過去を知って未来を思い描くために学ぶ。目的を考えずに、計算と年号を覚えさせるだけの授業を続けても仕方がない。私同様、仕事を持ちながら子育てをしているお母さんたちから「どこの学校なら創造力や社会で役立つ力を育ててもらえる?」とよくきかれます。親の私立志向が高まるのは、授業を時代に合うように工夫してくれるからです。

私立は先生の質のばらつきが少ないのも大きい。10年に1回の研修などではなく、公立の教師の質を上げる効果的な方法を本気で考えてほしいです。同時に、待遇改善や教員の増員、昇進などでモチベーションを上げる。予算はそっちにも使わないといけない。

大学改革は各党の注目度が低いけれど重要です。ばりばりにアカデミックなのは上位校だけにし、それ以外は、社会のニーズを基にどんな人材を輩出するかデザインを明確にし、職業訓練に力点を置くべきです。入試を改善すれば、高校教育、義務教育も変わります。

教育投資は将来的に6%のリターンがあるといわれますが、育った人材が社会に出て付加価値を生むことが前提です。国が予算をかけても、フォローアップをきちんとしなければ意味がない。そういう当たり前のことを政治家にもお願いしたい。


耳塚寛明・お茶の水女子大副学長―実効性ある改革へ、じっくり議論を

教育政策が重視すべき両輪は平等と質だが、日本の教育は今、その両面で岐路に立つ。総選挙後に政権を担う党が取り組むべき課題は何か。

一つ目は、対GDP比で先進国中最低水準にある教育への公財政支出をどう増やすか、だ。

06年に安倍政権が成立させた改正教育基本法は、政府に教育振興基本計画を定めることを義務づけた。その後、基本計画をつくる段階では、公財政支出引き上げの数値目標を盛り込むかどうかで文科省と財務省で攻防があり、結局削られた。

数値目標がなければ、実際には予算はきちんと確保できない。この点で、改正教育基本法は、教育政策上の意義をすでに失ったといえる。今後の政権には、平等と質を確保する基盤である公財政支出をどう拡大させるかに取り組むことが求められている。

二つ目は格差是正。所得階層を問わず教育費を支援するか、低所得層に絞るかという問題はあるが、まず後者への支援を急ぐべきだ。

第三は、大学教育の質の確保だ。日本の場合、少子化や入試の多様化で、入試を通じて学生の質を維持・向上させる仕組みが崩れた。グローバル化が進む中、日本での学歴が国際的に通用しなくなる恐れがある。それをどう防ぐかも大事な課題だ。

ここ数年の教育政策の形成過程をみると、政権が有識者会議を立ち上げ、時間をかけずに結論を出し、実行するという流れができている。

そこでは実証性に欠ける「思いつき改革」ばかりが提案され、現場が混乱した印象を受ける。総選挙後に政権を担う政党には、データに基づき、長期的な見通しをもって教育政策を企画実行することが求められている。