『河北新報』社説 2009年7月9日付

アカハラ/大学の意識改革が不可欠だ


東北大大学院理学研究科の男子学生=当時(29)=が昨年8月、指導教員の男性准教授(52)に博士論文を差し戻された後に自殺した問題で、東北大は「准教授は職務を怠り、停職1カ月に相当する」と結論付けた。

厳しい指導で不備を指摘されるならまだしも、院生は十分な説明もなく論文を返され、博士号取得がかなわなかった。絶望は察するに余りある。有為な若者の死を思えば、処分の軽重に議論が分かれるかもしれない。

大学側によると、論文は審査を受けられる水準だったことが草稿の内容などから分かっている。仮にそうでなかったとしても、准教授は院生と十分な議論をして、その後の指導に意を注ぐべきだったのではないか。

教育・研究機関で、教員が優越的な立場を利用して行う不適切な言動のことを「教育研究ハラスメント」「アカデミックハラスメント(アカハラ)」などと言う。教員と学生の人間関係がこじれてしまうケースは、学部生よりも大学院生との間で顕著のようだ。

学生の自主的研究を認めなかったり、研究内容を不当に低く評価したり。提出論文を長期間放置しておくなど、指導そのものを行わない今回のようなケースもある。

本人の悪意の有無は問題ではない。セクハラと同様、被害を受ける側が、精神的圧迫や耐え難い苦痛を抱えてしまうことで不幸な結果を招きかねない。

東北大が2007年度にまとめた学生生活実態調査によると、大学院生の男性12%、女性16%がアカハラ被害を経験している。また、15%の院生が教員との人間関係に悩み、驚くことに「自殺を考えたことがある」人は22%にも上る。

アカハラは、学内では顕在化しづらい。学生が亀裂が一層深まるのを恐れ、大学側に訴え出ない傾向が強いからだ。そのまま研究室内の日常的な出来事として見過ごされてしまう。

大学関係者は深刻に受け止めるべきだ。専用の相談窓口を開設してケアしている大学はまだ少ないとされる。個人間のトラブルとしてでなく、大学全体として学生の悩みに向き合う意識改革を図ってほしい。

もう一つの問題は、大学院そのもののあり方だ。研究者育成の拠点として、各大学は博士課程の強化に重心を置いてきたが、志願者は04年度から5年連続で定員割れしている。

低迷の原因は、限られた学内ポストをめぐる競争や就職難。将来の人生に展望が開けないまま、学内外に滞留している博士号取得者は少なくない。そんな実態も院生へのプレッシャーとなっているのではないか。

文部科学省は先月、博士課程の定員縮小を全国の国立大学に要請した。各大学が社会の要請に沿った大学院の組織再編の方向をきちんと位置付けることも求められる。

大学院が持つ最高の研究機関としての機能は、今後も維持されるべきだ。それと同時に、人材を育てるという本来の役割を見失うことのないよう、確かな改革を進めてほしい。