『毎日新聞』2009年6月8日、10日付

学びたいのに:奨学金の課題/上 母子家庭「やっていけない」


教育にかかる費用が家計を圧迫している。日本では国や自治体の教育費負担が少ないためだ。とりわけ不況や家庭の事情による低所得世帯が増え、子どもたちに進学のチャンスを与える奨学金制度の乏しさが浮き彫りになってきた。「学びたい」という若い願いをもっとかなえることはできないのか。まずはある母子家庭が直面した問題から考えたい。【山崎友記子、立山清也】

◇私立校進学後に父急死/他制度併用禁止で働きづめ

「なんでパパ死んじゃったの……」。高校2年の真紀さん(17)=仮名=は4年前、泣き疲れて眠りに落ちる夜を過ごしていた。父は職場から帰宅してくも膜下出血で倒れ、亡くなった。37歳の若さだった。

一人っ子の真紀さんは小学生のころから家の経済状況が良くないことを感じていた。それでも両親は娘が受験で苦労せずに済むようにと、私立の中高一貫校に進ませた。母はパート、個人で建設業を営む父は土日も働き詰め。それでもたまの休みには真紀さんを遊びに連れて行ってくれた。

母雅美さん(39)=同=は悲しみに暮れている間もなかった。労災申請は認められず、独立したばかりで年金保険料の支払いが足りなかったため、遺族年金も出なかった。中学校には授業料免除制度があったが、高校に上がると教育費の負担は大幅に上がる。でも娘の気持ちを考えると「家庭環境が急に変わったのに、学校や友人関係まで変わるのはかわいそう」と思った。

悩んでいた時、中学の教諭に東京都の奨学金制度を紹介された。貸与額は月3万円。学校から「公的な奨学金との併用はだめだが民間なら可能」と聞き、遺児家庭を支援している「あしなが育英会」の奨学金制度を見つけた。学校に了解を取り、二つの制度で計月6万円を借りて昨春、真紀さんの高校生活が始まった。

ところが半年後。高校の事務担当者から「併用はできない。どちらか選んでください」と指摘された。授業料だけで月3万5000円。施設整備費なども含めれば、学校に納める額は年間70万円を超える。通学定期代も高い。保険会社の契約社員として働きだした雅美さんの月収は15万円で、約2万円の児童扶養手当を含めても家賃や生活費に消える。「一つの奨学金では、とてもやっていけない」

都の奨学金業務を担当する都私学財団の担当者は「複数の奨学金を借りると、返還する際の負担が大きく、生徒にとって良くない。各校には説明しており、学校の認識が足りなかったのではないか」と話す。

しかし併用は全国一律で禁じられているわけではない。神奈川、愛知、大阪など23道府県では認められ、どこに住んでいるかで借りられる額が倍近く違う。雅美さんは割り切れない。

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困り果てた雅美さんは区の福祉の窓口に駆け込み、母子家庭に月額最高4万5000円を無利子で貸す「母子福祉資金」の存在を知った。ただしこれも奨学金との併用は認められないという。結局、奨学金は両方とも辞退し、福祉資金を借りることにした。それでも足りないため、土日もアルバイトに出る。

そんな母を見て真紀さんは心配でならない。「体は大丈夫なのかな。倒れて入院したこともあるのに」。母は娘の前で苦労を一切口にしない。

高校では新聞配達のバイトだけが認められている。同じ母子家庭のクラスメートがやっているが、授業中に疲れて眠っているのを見て「勉強ができなくなっては仕方がない」と思う。

真紀さんはいま国立大への進学をめざしている。夢がある。「脳内出血の薬を開発したいんです」。突然倒れた父は手術もできない状態で、処方できる薬もなく、ただ息絶えていくのを見守っていることしかできなかった。「医学部は授業料が高いけれど、薬学部なら何とかなるかもしれない。ただし浪人と下宿だけは絶対にできない」

第一志望に決めた大学の競争倍率は10倍近く。勉強机の電気を消すのは午前1時近くになる。

◇授業料以外の支出大きく

文部科学省の調査によると、高校の平均的な年間学習費(全日制)は公立約52万円、私立約104万円。3年間なら公立約150万円、私立約300万円が必要になる。特に負担が重いのは修学旅行積立金や制服代、通学費など授業料以外の支出だ。公立でもPTA会費や生徒会費、施設整備費などは少なくなく、もはや「公立なら経済的負担が軽い」とは言えない。

フランスをはじめ欧米各国では日本の高校にあたる公立学校の授業料はほとんどが無料。私学に通う生徒の割合は日本では約3割だが、英国や米国、ドイツは1割以下だ。奨学金制度に詳しい小林雅之・東京大大学総合教育研究センター教授は「日本では『親が教育費を負担するのは当然』と考える風潮があるが、もはや限界。今後親になる世代は年金や介護、医療費負担が増え、今のような教育費を担うのは一層難しくなる」と話し、家庭の財力で子の将来が決まらぬよう、奨学金制度などの充実を提言する。

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学びたいのに:奨学金の課題/下 将来へ、負担重く

◇月8万円を4年間…返還総額500万円超

今年3月初め、横浜市の男性(30)の元に日本学生支援機構(旧日本育英会、横浜市)から一通の文書が届いた。

「貸与総額(約560万円)を27日までに一括返還しなければ、法的手段に訴えます」。1年ほど前から督促状が来ていたが、月約2万4000円の返還は難しくなっていた。

男性は東京都内の私大に在学中、うつ病を発症した。卒業後も非正規雇用の仕事にしか就けず、年収は100万円に届くかどうか。「一括返還」の文字に驚き、奨学金の問題に取り組む労働組合「首都圏なかまユニオン」に駆け込んだ。交渉のすえ、傷病と経済的困窮を理由に返還を猶予してもらうことができた。

とはいえ、待ってもらえるのは最長で5年。大学在学中に母親を亡くして1人きりの男性にとって、夢は自分の家族とマイホームを築くことだが「奨学金を返し終わるのに20年以上かかる。夢をかなえるのはもう無理かもしれない」。

欧米では返済義務のない「給付型」の奨学金が主流なのに対し、日本ではほとんどが「貸与型」。大学を出ても正社員への道が狭まるいま、返還の負担は子どもたちの将来に重くのしかかる。

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大阪府内の私立大学。「今日カラオケ行かない?」。友達に誘われた美咲さん(18)=仮名=は「ごめんね、用事があって」とやんわりと返す。誘われるたびに断っているのでつらいけれど、アルバイト代は通学定期や学費に消えてしまう。

中学生になるまでは、こんな生活が待っているなんて思わなかった。6年前、大手通信会社に勤める父にがんが見つかり、わずか2週間後に亡くなった。働きづめで会社に寝泊まりする日々が続いていた。

専業主婦だった母佐知子さん(49)=同=は一人で3人の子を抱え、社宅を出た。アパートを借り、自治体の非常勤職員として働き始めた。だが昨年3月で契約が切れてしまった。今は短期のバイトしか見つからず、月収は多くて5万円。遺族年金と足しても間に合わない。電気やガスが止められ、米が買えずにすいとんを食べてしのいだこともある。

それでも佐知子さんは上の子2人を大学に進学させた。「自分も親に短大を出させてもらったおかげで、資格を身につけて社会に出ることができた。わが子が進学を願うなら、親としてせめて同じことをしてやりたい」

高校時代、母の苦労を目の当たりにしてきた美咲さんは、「学費のことは不安だけれど、私が安定した仕事に就いて、お母さんのお金の問題を解決してあげなきゃ」と思った。兄(20)が通う大学から推薦がもらえ、受験料はかからずに済んだ。

兄は支援機構から無利子の奨学金を借りている。保証人が見つからず、月5万4000円の奨学金から2000円余りの保証料を払い、保証機関を利用した。美咲さんも申し込んだが、無利子は希望者が多くて通らず、やむなく有利子で月8万円を借りることにした。保証機関をつけると保証料が月々5000円近くかかるため、一足先に社会に出るはずの兄が美咲さんの保証人になることにした。

美咲さんの4年間の奨学金総額は384万円。利率を3%と仮定すると、返還総額は約517万円に上る。月2万円強ずつ支払っても、返し終わるまで20年かかることになる。「社会人はマイナスからのスタートか」と思うと、ため息が出る。「もう少し安く大学に通える制度があったらいいのに」

それでも「大学に入って、本当に良かった」。受けてみたい授業がある。サークルで先輩との付き合い方も知った。経済を学び、ファイナンシャルプランナーの資格を取って金融機関で働くのが目標だ。

来年は高校2年の弟が進路を決める年。進学を望むなら、兄がしてくれたように今度は自分が保証人になり、弟の夢を支えたい。【山崎友記子】

◇有利子貸与、全体の7割に

受益者負担を掲げた国の教育に対する支出削減・抑制策で、大学授業料は75年度からの30年間で国立が15倍、私立は4・5倍になった。日本学生支援機構の奨学金事業規模も拡大し、08年度の貸与者数は122万人で10年前の約2・5倍。貸与額も9305億円と3・5倍になっている。

奨学金には無利子貸与と有利子貸与の2種類がある。99年度以降、有利子は月額10万円を超える額も貸与できることになった。事業費ベースでみると無利子はこの10年間に1・4倍しか伸びていないが、有利子は10倍に成長し、貸与額全体の約7割を占める。

その結果、卒業生の負担は膨らみ、例えば月12万円を有利子で4年間借りると、20年払いで返還総額は約775万円に達する。こうした現状には機構内部にも「過大な負担」との批判があるが、文部科学省は「学生のニーズがある」との姿勢を崩さない。

就業形態の変化や雇用情勢の悪化で、返還の延滞が問題化している。国は追加経済対策で無利子枠と返還猶予を倍増するが、今年度限りの対策に過ぎず、同省幹部からも「抜本的な解決にはほど遠い。国と国民が教育を考え直す時期が来たのではないか」との指摘が出ている。【立山清也】

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