『毎日新聞』2009年2月1日付

実験室での事故:防ごう! 安全確保策に取り組む研究者たち


大学の実験室などで起きる事故を防ごうと、東京大や大阪大などの研究者らが「研究実験施設・環境安全教育研究会」(会長、大島義人・東京大教授)を作った。実験で出る有害ガスの流れを、不慣れな学生にも一目で理解させる方法の開発や、安全性の高い実験室の設計指針作りなどを進めている。【渋江千春】

◆引火を再現

1月に東大で開かれた研究会の会合で、山本仁・大阪大教授(化学)は、2メートルほどのプラスチック管を斜めに傾け、机の上に固定した。瓶から液体を出し、管の上の端に垂らす。下の端に炎を近づけると、一瞬で管全体に炎が走った。

液体は「ジエチルエーテル」だった。他の物質を溶かす溶媒として実験によく使う試薬だが、引火性が高い。「炎は秒速10メートル。(男子百メートル世界記録保持者の)ウサイン・ボルト選手でないと逃げられません」。山本さんは冗談交じりに危険性を訴えた。阪大の安全管理担当として、学内の薬品取扱講習会でも引火の様子を見せている。

04年に国立大が独立行政法人化するまで、安全管理は個々の研究室任せだった。独法化で大学が労働安全衛生法上の「事業者」とされ、労働災害防止を求められてようやく、各大学は事故の統計を取り始めた。

◆知識、技術が不足

学生や教員のけがなどの事故報告は、東大で04年からの3年間で約270件。阪大は年約250件で、うち半数が実験関連だった。いずれも分析すると知識・技術や想像力の不足、設備上の問題が誘因だった。

研究会の大島会長は、00年から東大環境安全研究センターに勤め、実験廃液の処理法を学生に教えた。その中で「実験を問題なく完結させるには、廃液処理のほか、安全に関する幅広い知識や技術を学生に教え、必要な設備や情報も提供すべきだ」と考えるようになり、07年7月に研究会を設立した。今では10以上の大学・高専や、実験器具や試薬などの14企業から計約80人が参加し、3グループに分かれて活動している。

◆危険を「視覚化」

「教育プログラムグループ」は、実験の排ガスの危険を教える方法を考え出した。

実験は、局所排気装置(ドラフト)という箱の中で行うことが多い。有害ガスを実験者が吸わないためだ。本来は箱の扉を小さく開け、腕だけ入れて実験する。ところが扉を大きく開けて頭を突っ込む学生がいる。

そこでドラフト内で白煙を出し、ガスの流れをはっきり見せる手法を編み出した。分かりやすく印象に残る教育法として、引火の再現実験などと共に普及させ、安全意識を向上させたいという。

「実験支援ツールグループ」は、化学物質の取り扱い上の注意が一目で分かるデータベースを作った。

東大などで事故が多かった約30物質を選び、必要な情報を整理した。急性毒性、刺激性、反応性など6項目を5段階で示し、一覧できる図にまとめた。「塩酸が目に入った」などの実例や「保護眼鏡を着用していなかった」など原因を添え、具体的な管理法や関連法規もつけた。今後、公開を目指す。

◆盗難防止も重要

支援ツールグループは、管理しやすい試薬庫も作った。安全管理には盗難防止も重要だ。

東大では07年、約100人分の致死量に当たる青酸カリなどが盗まれた。試薬庫は、使用者を把握するため、鍵を1本しか作らず、教員が管理するのが原則だ。しかしこれでは多人数で使うのに不便で、違反行為も起きやすい。

そこで鍵の代わりに、地下鉄などに乗るためのICカードや、携帯電話を使って開閉できるようにした。関係者は、自分のカードや携帯を登録しておけばよい。いつ、だれが開閉したかは自動的に記録される。この試薬庫は研究会の会員企業が近く市販する。

「実験室計画グループ」は事故の起きにくい実験室作りを研究している。アイカメラを着けた学生に室内を歩かせ、視線の当たる器具や時間を調べた。危険なのによく見ていないガスボンベなどの器具があると分かった。

このデータなどを参考に、実験室設計のガイドラインを作る予定だ。日本の実情に即し、狭い実験室でも安い費用で安全が確保できるようにしたいという。

「大学での研究は、未知の領域に挑むのが目的。安全が確立された実験だけではすまず、未知の危険を予知・回避する能力が必要です。研究の効率を保ち、安全確保もできる安全管理を生み出して普及させたい」と大島会長は話している。