『東京新聞』2008年12月1日付夕刊

『型破り』より成果優先 弱体化する基礎研究


ろくに論文を書いていない。なのに教授のような口ぶりで研究や教室運営に口を出す。「なんでこんなに威張っとるんや」。一九七〇年春、素粒子論研究のため、京都大の大学院に進んだ山脇幸一(62)は、名古屋大から移ってきて間もない助手、益川敏英にしばしば反発した。

二年後、小林誠も名古屋大から助手で入ってきた。「京大の研究室はまるで名大に乗っ取られたようだった」。現在、名古屋大教授の山脇は懐かしそうに思い起こす。

益川は名古屋大で博士号を取り、助手を務めた三年間、論文を二本しか書いていなかった。でも「おれたちは世界の中心を論じている」。そんな気概を山脇は強く感じた。

自由闊達(かったつ)かつ先輩後輩の区別なく学問を論ずる。それが、故・坂田昌一教授が創設した名古屋大理学部E研(素粒子論研究室)のスタイルだった。「物質の根源であるクォークは四種類」。六〇年代にこの説を唱えたE研は、クォークはあっても三種類と考えられていた学会で異端視されていた。

それでもE研出身者は「四種類」にこだわり、はやりを追いかけるような論文は書かなかった。代わりに議論に議論を重ねた。その結果、益川と小林は「クォークは六種類」という大胆な発想にたどり着く。今回ノーベル物理学賞の対象となった「CP対称性の破れ」と呼ばれる現象を理論的に説明した。

なかなか論文を書かない助手。「今の時代だったら完全にアウトだ。はやらない研究を続ける余裕もなくなりつつある」と山脇は言う。

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国立大が独立行政法人化された二〇〇四年度以降、各大学の教育・研究経費となる運営費交付金は毎年1%ずつ減らされた。代わりに文部科学省や経済産業省などからの研究費の獲得競争が激しくなっている。

こうした研究費は、実用、応用の可能性の高いバイオ、再生医療、宇宙などの分野に集中しがち。自然の原理や法則を追究する基礎研究の分野でも、早い成果を求めて「まず論文を」と、大学内で突き上げが厳しくなっている。

小林、益川を生んだ名古屋大理学部にもその波が押し寄せる。特任講師、藤博之(35)は「論文数で評価される時代。練りに練った研究がやりづらい。過度の成果主義は基礎研究の素粒子理論になじまない」と漏らす。

そうした時代への警鐘なのだろう。益川はノーベル賞受賞決定後、こんな言葉を口にする。「今のような基礎研究の状況が続くと、五十年、百年後にどうなっているか。考えてほしい」

 (文中敬称略)

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ノーベル物理学賞の小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授(64)、益川敏英・京都産業大教授(68)、南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授(87)=米国籍=と、化学賞の下村脩・米ボストン大名誉教授(80)らへの授賞式が十日、スウェーデン・ストックホルムで開かれる。四氏の受賞は科学技術立国を掲げる日本に追い風だが、その一方で、基礎研究の軽視や若者の理科離れが進む。快挙の足元を探った。