『毎日新聞』2008年12月1日付

新教育の森:知識偏重の理科、育たぬ探究心 ノーベル賞科学者らが苦言…改善策は


ノーベル物理学賞の受賞が決まった小林誠さんと益川敏英さん、化学賞に決まった下村脩さんが、理科教育や大学入試のあり方などについて辛口の批判を展開している。識者にも現状を尋ね、改善策を探った。【三木陽介、山本紀子】

■教科書

◇もっと分厚く「なぜ」に導け

「問題を解くことにウエートが置かれている。大変コンパクトになっていて肝心なことが1行、2行で書いてある。(中略)分厚くていいから読本というようなアプローチが必要ではないか」(小林さん、毎日新聞での対談で)

日本の教科書は他国と比べてどうなのか。NPO「理科カリキュラムを考える会」の滝川洋二理事長は「日本の教科書はこれ以上削れないというぐらい最低限の中身しかない」と痛烈だ。

同会は科学技術振興機構の委託を受け、06〜08年に先進6カ国の中学の理科の教科書と比較調査した。報告書は「他国の多くが生活にかかわる先端的科学技術(医療など)を多く紹介しているのに比べると、将来の生活とのつながりが弱い」とした。

◆批判浴びる検定制度

教科書の執筆に約20年間携わっている渡辺正・東京大生産技術研究所教授は「教科書検定が元凶」と言い切る。教科書は出版社が作り、文部科学省の検定をパスしなければいけないが「学習指導要領の範囲を少しでも逸脱すると通らない」という。

例えば小中学校の教科書。「電気」の章でエジソンの伝記を紹介しようとしたら「伝記は不要」と見送られた。渡辺教授は「理科は『なぜ?』と興味を持たせることが一番大切なのに、先進国に類のない検定で、どの教科書も同じような知識の『詰め込み型』になってしまう」と指摘する。

探究心を刺激するために教科書を厚くすべきだとの指摘は、政府の教育再生懇談会でも出され、文科省は11月に教科用図書検定調査審議会に制度改定原案を示した。教科書にある程度の自由な記述を認め、学習指導要領の範囲を超えた内容も書けるようになる。だが、どの程度の「逸脱」が認められるのか、見通しは不明だ。

■入試

◇選択式では学力測れない

「マークシート方式でやっていくと、体験したことのない問題はスキップせよとなる」(益川さん、日本学術振興会での会見で)

「選択式の試験問題で、教師は『知らない問題はパスしろ』と指導し、考えない人を育てている」(益川さん、文科相への表敬訪問で)

大学入試の方法は大学側に裁量があるが、1次で大学入試センター試験、2次で各大学の記述試験という2段階選抜が主流だ。

益川さんが指摘する「マークシート方式」「選択式」とは、センター試験のことだ。かつては国公立大入試の象徴だったが、私大の参加数も年々増え、08年度は10年前の2・6倍になった。文科省大学入試室は「短い期間で大量の受験者の学習の到達度をみなければいけない制約の中ではやむをえない」というが、弊害への指摘は以前から根強い。

「センター試験の点数は要するに『受験学力』であって、本来の学力を反映していない」と話すのは村上隆・中京大教授。02〜06年、国立大学入学者選抜研究連絡協議会会長を務めた。難関大ではセンター試験で9割以上の正解率だった学生がざらだが、村上教授によると、ある東大教授は「100点取るような学生がうようよいるが、教えると驚くほどできない」とあきれていたという。

東大生産研の渡辺教授も「『なぜ』と考えさせる部分が省かれた教科書に合わせて作られた入試で合格しても大学では通用しない。入試までの教育に費やす時間と労力がもったいない」と指摘する。

■研究環境

◇大胆な挑戦を歓迎しよう

「上流(基礎研究)を枯らしたら下流が枯れる。科学の道は50年、100年のオーダー。結果が出るのはすぐではない」(益川さん、日本学術振興会での会見で)

「難しい研究課題が避けられる傾向がある。困難に直面してもあきらめず、目標に向かって突き進み、最後までやりとげてほしい」(下村さん、米国での会見で)

挑戦の気概が薄れ目先の成果にとらわれがち。そんな指摘に、政府の総合科学技術会議議員で「大学進化論」の著者、相澤益男・東京工業大前学長も同意する。

「自ら申請して予算獲得する、科学研究費のような競争的研究費を得るにあたり、研究者が結果を出すことを優先し、リスクが高い課題を避ける傾向がある。論文や特許につながる研究テーマが評価される現実はあるが、もっと挑戦的な目標設定が必要だ」

総合科学技術会議は、科研費に一定の比率で「大挑戦研究枠」を設けることを提唱。若い研究者が大胆な課題に取り組めるよう、評価のあり方を見直すべきだと主張している。

さらに相澤さんは「優れた研究者を育てるには人材の国際的な流動化が必要。日本人学生を海外に出るよう促し、外国から優秀な教員や学生を集めるべきだ。いまポストドクターは8割が日本人で2割が外国人だが、数値が逆転するくらいでもいいのでは」と話す。

◆留学生もっと増やせ

日本で学ぶ留学生は約12万人で、仏独の25万人、米国の58万人を大きく下回る。中央教育審議会大学分科会制度部会の委員を務める東芝顧問の有信睦弘さんは「自由な発想を培うために、留学生を増やし、切磋琢磨(せっさたくま)する環境を作る必要がある。考え方が違うことへの許容力・理解力をもつことが、研究者の懐を深める」と指摘する。

有信さんはさらに「原理現象を地道に追究する研究者が十分に育っていない。今の大学院が特定分野の研究に力を入れるあまり、学生への教育がおろそかになっている」と苦言を呈し、「理系であっても一般教養をきちんと学び、専門分野に必要な基礎知識を取得してほしい」と話す。

◇小中学生、テストの得点高いけど−−実験・観察、興味今一つ

◇授業に助手派遣、教え手の充実やっと

「理科離れ」といわれているが、国際的なテストでの平均点は上位だ。03年に小学4年生と中学2年生を対象に行われた「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS)では、中2が6位(46カ国・地域中)、小4が3位(25カ国・地域中)だった。

しかし、「理科の勉強が楽しいか」との質問で、「強くそう思う」と答えた割合は中2が19%で国際平均値(44%)を25ポイントも下回った。

この結果からは、テストの解答力はたけているが、意欲や関心は今一つ−−という日本の子ども像が浮かぶ。

有名私立高の教員はここ数年、理科離れを肌で感じている。以前は実験用具を生徒にいじられて壊されることが多かったが、今はその心配はない。「興味が薄れている証拠」と自戒を込め苦笑する。

国も本腰を入れ出した。06年度から始めた「理科支援員」制度では、実験や観察を充実させるため、小学5、6年生の授業に大学生や元教員らを助手として派遣している。小学校の教員自身に理科が苦手というケースも多いため、来年度からは大学で理工系を専攻した先生を増やす方策の検討にも入る。