『毎日新聞』社説 2008年11月4日付

若手研究者育成 ノーベル賞を喜びつつも


日本人のノーベル賞受賞は、もちろん喜ばしい。科学界だけでなく、社会の励みになる。だが、冷静に考えると、浮かれてばかりいられない。

物理学賞も化学賞も、授賞対象となった業績は30年以上前のものである。受賞は「過去の遺産」といってもいい。

翻って、現在の日本の若手研究者が置かれている環境はどうだろう。ノーベル賞は目的ではないが、結果的に受賞に結びつくような優れた研究の芽を育てる環境が整っているか。考えると心もとない。

まず、若手研究者が独立して研究できる体制に難点がある。日本の研究室には、教授が頂点にいて、准教授(かつての助教授)より下はその手伝いというヒエラルキーがあった。この構造は変わりつつあるが、十分とはいえない。大学などは、若手研究者を予算の面でも研究の中身でも独立させる必要がある。

いわゆる「ポスドク問題」も大きい。博士号を取得した後、任期付きで研究に従事する研究者をポストドクトラル・フェロー(ポスドク)という。政府は米国のシステムに倣い、96年から00年までいわゆる「ポスドク1万人計画」を掲げ、その数は急増した。

ところが、ポスドク後の受け皿は増えなかった。正規の教員である助教(かつての助手)にも任期制が導入され、一定期間で次のポストを探さなくてはならない。民間企業が博士を採りたがらない傾向もある。

その結果、ある程度の年齢になっても常勤職に就けない研究者が増えている。文部科学省の調査によるとポスドクは約1万6000人、そのうち1割を40歳以上が占める。

若手研究者にとって、さまざまな研究環境を経験する「流動性」は重要である。ただ、流動性を支える基盤が大学にも社会全体にもなければ、機能不全に陥ってしまう。短期間で業績を上げようと、成果が出やすい研究ばかりが選ばれるという弊害も生じる。

こうした状況は若手研究者の意欲をそぐ。それを見ている若者は研究者に魅力を感じなくなるだろう。実際、理学系でも工学系でも、博士課程への進学者はこの4、5年、急速に減少している。

大学や政府は、能力のある若手研究者が、任期付きポストを経験した後、腰を落ち着け、独立して研究できる体制作りを進める必要がある。大学以外のキャリアの可能性も広げていかなくてはならない。そうした試みは既にあるが、十分とはいえない。

若手研究者の育成にあたっては息の長い基礎研究の重要性も肝に銘じたい。今年のノーベル物理学賞はもちろん、化学賞の対象となったクラゲの蛍光物質の発見も純粋な知的好奇心に導かれた成果だった。それが後に重要な応用につながったのだ。