『朝日新聞』社説 2008年10月10日付

下村氏受賞―これぞ基礎研究の輝き


なんと2日連続の朗報だ。ノーベル物理学賞の興奮さめやらぬ間に、 こんどは米ウッズホール海洋生物学研究所の元上席研究員、下村脩さんがノーベル化学賞を受賞することになった。

下村さんは、海の中で光るオワンクラゲがもつ緑色蛍光たんぱく質(GFP)を見つけた。この物質で目印をつけておけば、細胞の中で生命活動を担うたんぱく質の動きをたやすく観察できる。GFPはいまや、世界中の研究室で欠かせない「道具」だ。

下村さんは便利な道具を開発するために研究を始めたわけではない。 なぜ生物は光るのか、という素朴な疑問から発光のメカニズムを追いかけて、たどりついた物質が幅広い研究の道具に使えることがわかった。 基礎研究の成果がどんな応用につながるのかは予想がつかない。

物理学賞の南部陽一郎さん、小林誠さん、益川敏英さんも素粒子物理学という基礎科学だった。02年に続く物理学賞・化学賞のダブル受賞で、日本の科学の底力を世界に印象づけた。

とはいえ、それは必ずしも「いま」の実力ではない。

下村さんがGFPを見つけたのは1960年代だ。小林さんと益川さんの仕事は35年前だし、南部さんの業績は半世紀もさかのぼる。4人がそうだったように、ノーベル賞につながる独創的な研究は多くの場合、20代や30代ぐらいの若いときに生み出される。

いま優秀な若手をいかに育て、かれらが存分に力を発揮できる環境を整えるか。優れた研究をどれだけ支援していくのか。それが日本の未来の科学力を左右する。

06〜10年度の第3期科学技術基本計画は、研究開発予算の目標として計25兆円を掲げている。07年度は3.5兆円で、米国の17兆円や欧州連合の12兆円、中国の10兆円に見劣りがする。もっと思い切った投資がほしい。

さらに問題は、厳しい財政事情の下で、すぐに実用化できそうな応用研究に予算が集中し、何に役立つのかわかりにくい基礎研究に対しては投資が少なくなりがちなことだ。日本学術会議はこの8月、「基礎研究の基盤をおろそかにすれば、長期的には我が国の科学技術政策に危機的な状況を生み出す」と訴えた。

予算の配分にあたっては、「基礎研究の土台なしに応用研究の発展はありえない」という意識がほしい。

最後にものをいうのは人材だ。自然の不思議を追いかける楽しさや答えを見つけた時の喜びを幼いころから体感させる。柔軟な発想や思考を伸ばす。子どもたちの理科離れ、学生の理系離れがいわれる今こそ、そうした教育を工夫すべきだ。

4人の受賞を、日本の科学研究や教育の環境を改善する機会にしたい。