『毎日新聞』社説 2008年10月8日付

ノーベル賞 基礎研究が勇気づけられた


02年の小柴昌俊、田中耕一両氏のダブル受賞から6年。そろそろ日本人が受賞してもおかしくないとの期待が高まっていたが、3人の共同受賞は予想外で、うれしい驚きだ。

しかも、対象は49年に湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞して以来、日本の「お家芸」とみなされてきた素粒子物理学である。日本の基礎科学の底力が改めて確認されただけではない。宇宙の成り立ちに深くかかわる成果であり、子供たちの科学への夢をはぐくむ効果もある。3人の快挙をたたえ、拍手を送りたい。

益川敏英、小林誠両博士の受賞の対象となった理論は、「CP対称性の破れ」と呼ばれる物理現象に関係している。この「破れ」は、私たちの世界が「物質」だけで成り立っていて、性質が反対の「反物質」が見あたらないのはなぜか、という疑問に答える考えだ。

両博士は、この現象を説明するには素粒子のクォークが6種類必要だ、と提唱した。その後、クォークは次々と発見され、95年には六つ目のトップクォークが確認された。さらに、日本の大型加速器「Bファクトリー」は2人の理論の正しさを観測で証明した。これが2人の受賞を後押ししたことは間違いない。

南部陽一郎博士は、「自発的対称性の破れ」という概念を素粒子の分野で確立した。この世界の物質には質量があるが、それはいったいなぜか。根源的な問いの背景に、自然界の対称性が破れるという現象があると提唱した。この理論は、現在の素粒子の標準理論の基盤となっており、自然界に働く四つの力のうち三つの力を統一する理論の基礎につながった。

受賞が決まった3人のうち益川、小林の両博士が「純国産科学者」、南部博士が「頭脳流出派」である点にも注目したい。益川、小林両博士は留学経験がなく、国内で独自に研究を続けてきた。一方、50年代に渡米して以来、米国で活動し、米国籍を得ている南部博士も学問の基礎を学んだのは日本だ。いずれのケースも日本人の独創性を示す証拠と考えられる。

「高根の花」と思われてきたノーベル賞はこの10年で身近なものとなった。同時に目先の成果にとらわれない基礎研究の重要性もクローズアップされた。そうした中で気になるのは、日本の科学技術政策が経済偏重に向かっていると思われることだ。政府は科学技術を経済活性化の主要な柱と考え、大学の研究にも効率や応用を求めている。しかし、第一級の発見は経済効果を第一に考える環境からは生まれないはずだ。

今回の受賞は60〜70年代の業績に与えられたものだ。現在の研究環境はノーベル賞に結びつく人材を育てるにふさわしいか。今回の受賞をきっかけに改めて考えたい。