『朝日新聞』2008年9月29日付

「非実学」冷遇いいの?文学・歴史学・物理学・天文学…


「学問」と言っても、最近、つらい立場の学問もある。文学、歴史学、物理学、天文学などなど。成果が比較的分かりやすい工学や医学などに比べて、効果が見えにくい「非実学」の学問だ。「役に立たない」 と言われ、研究費も減らされる傾向にある。ただ、こうした学問を愛してやまない研究者はたくさんいる。(原田朱美)

■「即効」なく研究費減

「外部の研究費は、『役に立たない研究だから』と、もらいにくい」。山形大学理学部の玉手英利教授は言う。

玉手教授の研究テーマは「生態遺伝学」だ。「たとえば、エゾシカと日光のシカは同じ、という研究です」。大きさや見た目が違うシカが、 果たして同じ仲間なのか、違うのか、といったことを遺伝的に調べている。「それだけじゃ(他のことに)応用はききませんけどね」

理学部は、他に数学や物理学など生活に直接結びつきにくい学問が多い。

山形大学のホームページに、6学部の受託研究の件数が出ている。受託研究とは、国や企業から研究費をもらい、研究をすること。つまり、 国や企業にとって「役に立つ」研究だ。

98〜07年度の件数を見ると、工学部が飛び抜けて多く、医、農学部は微増。理学部は、ほぼ横ばい傾向だ。

「比べられると、困るなあ」。玉手教授は苦笑する。玉手教授はいくつかの外部資金をもらっているが、同じ学部には、全く資金を受け取っていない同僚もいるという。

シカの研究は、多くの研究者が様々な生き物について同じように研究を重ねると、地域全体の生き物の多様性が見えてくる。それは生態系の保全にもつながる。「成果が出るのに、長い時間がかりますね。実学と同じ尺度で比べられると困ります」

■基礎研究「発展のもと」

大学改革に詳しい千葉大学文学部の小沢弘明教授は、学問に企業経営の論理が入り込み、「大学に求められる役割が変化してきた」と指摘する。経済のグローバル化が進み、企業は世界競争を強いられている。自前の技術研究や人材育成に余裕を持てなくなり、その役割を、大学に求めるようになった。商品化に結びつきにくい非実学は徐々に外に追いやられていった。

一方で、大学側も、こうした分野を守りきれない。国立大学は、04年度の法人化後、国から支給される運営交付金の削減が続く。

小沢教授の本来の研究テーマは「東欧の国民国家の形成と展開」だ。 「利益が上がるという意味では、役に立ちません」と話す。今年、文学部から支給された研究費は年間6万円。「コピーのトナーとか買ったら、消えてしまいますよ」。法人化前は、数十万円もらっていた。

最近、研究費削減にとどまらず、ポストも少なくなった。研究者に競争的資金を獲得するよう求め、獲得ノルマを課す大学もあるという。小沢教授は「学問は本来、万人に開かれたものなのに、それがなくなっている」と憤る。

実学重視の流れに、声を上げる人たちも出始めた。日本学術会議は昨春、「基礎科学の大型計画のあり方と推進について」と題した提言を発表。基礎科学の研究には、ニュートリノの観測装置「スーパーカミオカンデ」や大型望遠鏡「すばる」など、大型の設備が欠かせない。しかし、新たに作ることが難しくなっているという。

提言では、科学技術基本計画の「重点推進分野」など、国がトップダウンで進める研究以外でも、研究者個人の問題意識で進められる研究の支援も求めている。委員の一人、東京大学の永原裕子教授(地球惑星科学)は「産業と結びついていなくても、必要なものがある。基礎科学は(実学の)発展のもと。若い世代に『役に立たない研究は嫌』という雰囲気が見えているのが怖い」と憂う。

文系では昨年4月、文科省の科学技術・学術審議会に、人文学と社会科学の振興策を話し合う委員会ができた。実学と同じ尺度で評価をするのではなく、人文・社会科学としての評価のあり方などを議論している。

■突然、脚光浴びる例も

山形大理学部の原慶明教授のもとに今春、商社マンが次々訪れた。専門は植物系統分類学。あるプランクトンがどの仲間と近いのか、ということなどを調べている。

商社マンの質問は多岐にわたった。「温度が低いところで活性化するプランクトンはいますか」「塩に強い生き物はいますか」。原教授は研究の過程で、生物がCO2をどれだけ吸い、どんな条件で生きていたのかを調べている。商社は、そこからCO2削減など新たなエコ技術が生まれないかと期待してきたらしい。

原教授にとって、生き物の分類を調べるための「手段」だった知識が、思わぬ形で実学に結びついた。「商社は役に立つものを集めるコーディネート力がある。これからの大学にはそれが必要じゃないか」と思うようになった。

■国、産業化に力点―迫られる競争

非実学が冷遇され始めた背景に、国が進める「選択と集中」がある。 研究費を支給する分野を選び、効率化を図るというもの。たとえば、国の科学技術基本計画は「重点推進4分野」としてライフサイエンス、情報通信、環境、ナノテクノロジー・材料を挙げ、「優先的に資源配分」 するとしている。ここに選ばれた分野に、非実学分野はあまり含まれていない。

また、文科省は現在、国立大学に基礎的な運営費として支給する「運営交付金」を、毎年1%ずつ減らしている。その代わり、大学や研究者が求めるのが、国の「競争的資金」。研究者がコンペ方式で研究プランを出し、選ばれると研究費がもらえる。今年度は、文科省や経産省など7省1府が計約4800億円計上している。毎年度金額は増えている。 しかし、資金の目的を読むと、「新規事業のシーズを生み出す」「研究成果の実用化」「実用化に向けた技術開発」など、産業化を意識した文言が目につく。