『毎日新聞』2008年9月1日付夕刊

特集ワイド:大学教員残酷物語 「高校詣で」も仕事!?

◇私立大定員割れ47% 激しい学生争奪戦
◇訪問マニュアル手に奔走、まるで企業の新人研修みたい

今春の大学入試では、私立大(4年制)の半数近い47%が定員割れをした。教授や准教授の大学教員は夏から秋にかけて、受験生を確保するための高校訪問や大学を開放するオープンキャンパスなどで大忙しだ。「高校訪問の地方出張が多すぎる」「教員本来の仕事ではない」などの嘆きも聞こえる。受験生確保に奔走する大学教員の姿を伝える。【中山裕司】

18歳人口が減少する中、私大が生き残るには三つの要素が必要だという。有名大学などが持つ「ブランド」、都会など交通に利便性のある「立地」、理系と文系に複数の学科がある「総合大学」。もちろん例外はある。

大学による受験生確保の方法の一つは、推薦入試で一般入試より前に入学者を決めてしまうことだ。私大の推薦入学者の割合は年々増え続け、今春は45・9%と過去最高を記録した(日本私立学校振興・共済事業団調べ)。そんな数字も大学間の「学生争奪」の激しさを物語る。



佐藤功さん(仮名)は30歳代の私大准教授。勤務する大学は首都圏にある、いわゆる「中堅大学」。定員割れはないが、大学の立地は悪い。路線バスを利用すると最寄り駅から30分はゆうにかかる。私大生き残りの3要素に当てはまるのは、「総合大学」ということだけだ。

佐藤さんはこの夏、20校以上の高校を訪問した。首都圏はもちろん、首都圏以外の関東や甲信越、東海地方へも足を運んだ。主に訪ねるのは大学関係者が「固定客」と呼ぶ指定校推薦の高校だ。

佐藤さんは高校訪問の際、かばんに「訪問マニュアル」を入れている。大学がコンサルタント会社に依頼して数百万円かけて作成した。A4判数ページのマニュアルには「予約の入れ方」「事前準備」「訪問時の注意」などの項目が時系列に並ぶ。「訪問時の注意」には「服装を清潔に保ちましょう」「笑顔で訪問しましょう」など基本的なことが記されている。また「高校の進路指導室に直接出向く前に、受付であいさつすると人脈が広がります」との記載もある。「企業の新人研修みたいですが、大学教員は関係者以外と接する機会が少ないのでマニュアルが必要です」。佐藤さんはこう説明した。

マニュアルには「予想される質問」の項目もあった。高校の担当者から「最寄り駅からは遠いですね」と大学の弱みを突かれた時はこう答える。「自然に囲まれた落ち着いた空間ですので、学生は勉学に集中でき、伸び伸びと学生生活を送っています」。さらに、他のどの大学が訪問したかを探るため、高校の窓口にある訪問者名簿には目を通す。高校の進路指導室では、他の大学より目立つように大学のポスターを張るよう試みる。いずれも目標が達成できれば、大学への報告書に誇らしげに書くのだという。



ただ、佐藤さんの大学のように首都圏は、他の地域に比べまだ恵まれている。

東京は全国13地域別のうち大学の入学定員充足率は116%で1位(私学事業団調べ)。南関東(埼玉・千葉・神奈川)は充足率109%で2位(京都・大阪と同率)だ。

では、他地域はどうなっているのか。充足率102%で実数で東北地方に次ぐ全国6位の東海地方を訪ねた。

浜本健太郎さん(仮名)は40歳代の私大准教授。この大学も定員割れはしていない。浜本さんが勤める大学は7月下旬、オープンキャンパスを2日間行った。他の学部には高校生ら約50人が集まったものの、浜本さんの学部のコーナーを訪ねたのはわずか4人だった。1日平均2人。「うちの学部は毎年この程度しか集まりませんよ」。浜本さんは無力感を漂わせた。ここ数年は毎年のことだが、あまりの人の少なさに、模擬講義などを手伝ってくれた現役大学生に申し訳なく思う。

浜本さんも、もちろん高校訪問をする。予約を入れ、片道2時間かけて自家用車で向かった。ところが、高校の担当者からは「パンフレットを置くだけでいいですよ」と冷たく言われた。滞在時間はわずか10分。追い打ちをかけるように、自家用車のガソリン代も実費精算ではなく、この原油高騰のおり1リットル100円で精算させられている。

首都圏の佐藤さんは、高校訪問には懸命だった。しかし、東海地方の浜本さんの大学では、近隣の大学も似たような高校訪問をするのでほとんど効果がない。浜本さんの大学を受験する高校生らは、推薦入学で早めに進路を決めるのではなく、一般入試まで「ブランド」「立地」などを満たす大学を目指し続ける傾向にある。受験生を多く集める大学と、少ない大学との「二極化」が進むが、少ない大学では推薦入試でも学生の確保が難しくなってきている。

大学教授や准教授自らがなぜ高校を訪問するのか。かつては大学職員がその役割を担っていた。浜本さんはこう背景を説明した。「18歳人口の減少によって学生が減るとともに大学の収入も少なくなる。私の大学では経費節減のため、半分以上の職員を派遣社員にした。だから、本来は大学職員の仕事だった高校訪問が大学教員にも課せられるようになったのです」



受験生確保は、来春の入試で大きな山場を迎える。大手予備校「駿台予備学校」(東京都千代田区)によると、18歳人口は09年度に2・5万人減少し121万人となり、その後の約10年間は約120万人で推移する。各大学は来春の入試で多くの受験生を確保しようと設備改修などを進めており、今後の経営安定につなげたい考えだという。

教授や准教授の仕事のうち「受験生集め」が大きな比重を占めることに批判もある。「大学崩壊!」などの著書がある法政大学理工学部の川成洋教授は強い言葉で語った。「受験生集めは大学教員の本来の仕事ではない。そんなことでは、研究者の誇りもプライドもなくなる。大学はもともと知を発信する場所だったはず。学生を指導する教育や国際競争力をつける研究などにもっと力を注いでほしい」。耳の痛いことばではある。