『毎日新聞』2008年5月18日付

理系白書’08:第1部 イノベーションを考える/3 大学発ベンチャーに…
◇大学発ベンチャーに資金と規制の壁


米国のマイクロソフトやグーグルなど、イノベーションの創出にベンチャー企業の存在は欠かせない。新技術やビジネスモデルで新たな市場を築くことはリスクを伴い、大企業には取り組みづらい賭けだからだ。日本は2000年代に入り、国策として「大学発ベンチャー1000社計画」を進めるなど、ベンチャー育成に力を入れている。だが、数は増えてきたものの軌道に乗った会社は少ない。【河内敏康】

「収益が出るまでには時間がかかる。それは初めから説明していたのに……。資金を引き揚げられたら、やっていけるはずがない」。「夢の人工血液」を目指し02年に設立された関東地方のベンチャー企業。男性幹部(40)はこう言って肩を落とした。資金調達が厳しくなったため事業の継続を事実上断念し、他社への事業譲渡を進めている。大幅なリストラも実施したが、追いつかなかった。

大学での研究成果を基に、06年までにベンチャーキャピタル約40社から計40億円もの資金を集めた。ところが、なかなか製品化に結びつかないと見るや、一昨年以降、突然、資金を引き揚げる社が相次いだ。

ベンチャーキャピタルは、成長が見込まれる未上場会社の株を買う形で支援し、企業価値が高まった時点で株を売って利益を得る投資会社だ。彼ら自身も自分たちの生き残りをかけている。

医薬品の世界では、実用化される研究成果は極めて少ない。リスクが大きいだけに、資金はベンチャーキャピタルなどに頼ることになる。「ベンチャーキャピタルは近年、短期での収益にばかり目が向いている。これではイノベーションにつながるような技術のタネが、埋もれてしまうかもしれない。せめて初期段階までは国の助成が欲しい」と幹部はこぼす。

   ◇   ◇

国の規制もバイオ部門では支障となる恐れがある。

再生医療製品メーカー「ジャパン・ティッシュ・エンジニアリング(J−TEC)」(愛知県蒲郡市)。清潔に保たれた真っ白な培養室で、患者から取り出した表皮を増殖する作業が静かに進められている。切手大の表皮が2週間もすれば、たたみ1畳くらいの大きさにまでなるという。

J−TECは99年、名古屋大などの技術を基に設立された大学発ベンチャーだ。表皮や軟骨などを培養して増やし、重度のやけど患者などへの再生医療に利用することを目指している。昨年秋には自家培養した表皮の製造承認を、厚生労働省から国内で初めて取得した。海外では20年以上も前に同様の技術が商品化されているが、承認を受けるには準備期間も含め約10年かかった。

当初、国は製造承認に薬事法に基づく治験(臨床試験)は必要ないとの姿勢だった。患者自身の細胞を増やし、再び戻すだけだからだ。ところが、いざJ−TECが設立されると、安全面の懸念などから、国は治験の実施を要求してきたという。さらに設立から2年後、治験開始についても、安全性の評価を事前に確認する新たな関門が設けられた。

製造販売後に使用成績を調査し、製品を30年間保存しなければならないなど、新たなルールも作られた。

小沢洋介社長は「きちんとした産業化を進める上でも一定の規制は必要だが、海外では何をクリアしたら承認されるかというゴールが明確。越えなければならないバーが時間と共に高くなるようなことが日本で続けば、海外に流出するベンチャー企業が出てくる恐れがある」と指摘する。

◇経営や渉外能力、人材育成も課題

大学発ベンチャーは、産官学による積極的な取り組みも加わり2000年ごろを境に急増した。06年度には1590社に達し、5年間で2.7倍に増えた。しかし、経営状況をみると、全体的に営業利益は赤字続きだ。06年度では、1社当たりの赤字額平均は4530万円。前年度に比べ、1000万円以上も増えている。

経済産業省の研究会が今年4月にまとめた報告書では、大学発ベンチャーの抱える大きな課題として、人材、資金、販路の三つを挙げている。製品化まで時間がかかるため経営面や技術面でリスクが高いことや、販路が限られ新たな開拓が難しいと分析している。

ベンチャー企業に詳しい小田切宏之・一橋大大学院教授(産業経済学)は「製品化までに時間がかかる業種のベンチャー企業にとって、銀行やベンチャーキャピタルから大きな出資を望むのは厳しい。大企業と連携することが重要になる。日本のベンチャーには、経営や渉外能力のある人材がまだ少ない。技術革新につなげるためにも、こうした人材の育成も必要だ」と話している。