『読売新聞』2008年5月17日付

[解説]東大大学院入試の不正
急拡大で学生争奪戦


◆要約 

◇1990年代からの国の大学院重点化で、有力大学の大学院定員が急増した。

◇学部を持たない研究科が増え、特に新しい研究室では学生集めに苦労している。

東京大で大学院入学試験の問題を受験生に漏らした准教授が懲戒解雇された。背景には大学院の急拡大がある。(科学部 杉森純)

東大の大学院は、現在15研究科96専攻あり、各専攻ごとに入試が行われる。複数の専攻を掛け持ち受験することもできる。

4月25日付で懲戒解雇となった浦川秀敏・元海洋研究所准教授(37)は、出題委員の1人だった2006年の新領域創成科学研究科の入試で、准教授を指導教員の第1志望にした受験生の携帯に「試験について」というメールを送り、電話してきた受験生に、「環境保護の国際的な取り決めについて勉強しておくように。京都議定書やラムサール条約のようなもの」などと、出題内容を伝えた。

試験は2日間かけて専門科目、英語、小論文、面接が行われた。受験者82人のうち56人が合格、46人が入学した。情報を聞いた複数の受験生は全員合格だった。

准教授は環境微生物が専門で、05年に東大の海洋研に赴任したばかり。指導する学生がまだおらず、「研究の発展のため、学生を採って一緒に研究したかった」と話したという。金銭の授受はなかった。

元々、大学院入試は、選抜より資質確認の要素が強かった。問題は学部の授業内容の確認に近いものも多く、合格者の大多数は内部進学者で、学部と同じ研究室に進む例が多かった。

しかし、こうした状況は、1990年代からの国の大学院重点化で大きく変化した。有力大学の大学院定員が急増し、学生を奪い合う状況さえ生まれている。

東大の場合、07年度の修士課程の入学定員は2747人で、重点化前の1990年度(1358人)の2倍以上。法曹養成などの専門職大学院の定員(445人)を合わせると、学部の入学定員(3053人)を上回る。入学者の過半数が他大学の出身者で、内輪の論理は通用しなくなった。

東大に限らず、学部を持たない独立の研究科も増えた。浦川准教授が協力講座教員となっていた新領域創成科学研究科もその一つで、新しい研究室の場合は学生集めに苦労も多い。

同研究科の教員の1人は「研究室を持った当初、2年連続で大学院生が入らなかった。学生を確保したいという気持ちは分かる」と漏らす。「問題を漏らすのは論外だが、准教授は以前の院試のイメージを持っていたのかもしれない」と指摘する教員もいる。

東大では、6年前に大学院入試で出題ミスがあったのを契機に、大学院入試でも複数の出題委員がミスをチェックし、さらに別の教員が確認する、学部入試並みの制度を導入した。皮肉なことに、こうした厳格化が入試問題を目にする教員の数を増やした。専攻ごとの教員数が少ないため、「2年に1度は、何らかの形で入試にかかわる」(東大准教授)という状態だ。

4月28日の懲戒処分発表の記者会見で、教育担当の岡村定矩(さだのり)理事は「基本は規律の問題。浦川准教授は東大に赴任して日が浅かった」と強調した。しかし、外部の目は格段に厳しくなっている。個人の問題に終わらせれば大学への信頼も揺るがしかねない。