『秋田魁新報』社説 2008年4月24日付

教育振興基本計画 今後に不安増すばかり


今後の教育に期待を抱かせるどころか、不安を増長させると言わざるを得ない。中央教育審議会が答申した「教育振興基本計画」のことである。

基本計画は「改正教育基本法」に基づき、今回初めて策定された。いわば今後10年を見通すグランドデザイン。問題が山積する中、どんなふうにまとめられるか注目されていた。

それにもかかわらず、肩透かしを食らったような内容にとどまった。中身が通り一遍で、一部を除けば既存の施策の寄せ集めと言っても、あながち的外れではないのである。

もちろん教育ほど地道な取り組みが求められるジャンルもない。教育に対する考え方はさまざまあるにしろ、「人づくり」という根本目標がそんなに大きくブレるはずもない。

計画が目新しさに欠けるとはいえ、教育問題をしっかり見据え、一つ一つこつこつと解決していこうという姿勢で貫かれているとするなら、評価する向きも出てこよう。

何より心配なのは計画の実現性だ。教育予算増額の数値目標や教職員定数改善の具体的な見通しという肝心な部分が盛り込まれなかったのである。

教育現場の多忙化が指摘されて久しい。「人も金も不十分なまま、どうすればいいのか」。悲鳴に近い訴えや悩みを見聞きすることも珍しくない。

これに学習指導要領の改定が追い打ちをかける。「ゆとり教育」を転換する改定は、授業時間数や学習内容の増加が柱。以前にも増して高い次元の目標達成を課しており、教育現場にすれば負担増となるのは間違いのないところなのだ。

あれもこれもと目標を掲げておきながら、人や金といった裏付けがあやふやでは、計画が「絵に描いたもち」に堕する恐れも否定できなくなる。

なぜこんなことが起こるのか。教育が「国家百年の大計」であることは疑問の余地がない。その充実を妨げることなど果たしてあり得るのだろうか。

実は今更指摘するまでもなく、「財政事情」という厚い壁が立ちはだかるのだ。具体的には財務省が予算や教職員の増加を図ろうとする文部科学省に難色を示しているのである。

財政難は今や、国や地方のありとあらゆる分野に及び、最大の懸案事項になっていると言っていい。教育が全く影響を受けないわけにはいかないことも大半の人が分かっている。

しかし、人づくり、つまり教育なくして国も地方も未来につながっていかないこともまた、紛れもない事実なのだ。財政難を言い訳に教育の充実を怠れば、それこそ国や地方の先細りを招きかねない。

今こそ、省庁の枠を超えた「教育哲学」を持つべき時だ。教育の大切さに対する共通理解が深まれば、ほかの予算を回してでも拡充を期すべきだという機運が高まるに違いない。