『毎日新聞』新潟版2008年3月2日付

にいがた人模様:新潟大学長に就任した下條文武さん(64)


◇世界と地方、見つめて

先月、母校である新潟大学の学長に就任した。「地域にまなざしを向けながら世界を見つめていく人材を育てたい」と、グローバル(世界)とローカル(地方)を併せた造語「グローカル」をキャッチフレーズに掲げる。

「優秀な人材を送り出してほしい」という地元の期待の一方で、熱意のある卒業生ほど上京する現実がある。東京の大企業や官公庁へ進むのがいいのか、新潟の優良企業で希望の部署に付くのがいいか。「どちらがハッピーかわからない。これからは、大学で価値観も学ばなければ」と考える。

取り組みの一つが、05年から始めた「赤ひげ医療人プロジェクト」。医学科や保健学科の学生らがチームを組んで、医師不足の中山間地や離島で見学や実習をする。「おじいちゃんやおばあちゃんがこんなに喜んでくれるなんて」と、やりがいを見いだした学生は少なくない。医療分野に限らず、「職場体験は価値観を育てる貴重な機会になる」と、学生のインターンシップをさらに奨励していくつもりだ。

自身は、進学をきっかけに新潟に住み続けている。「第二のふるさとになりました」と笑う。

大学時代は、ヨット部の活動にのめり込んだ。「一見エレガントで、実は地味なスポーツ」。ヨットが木製だった時代だ。冬になると表面をヤスリで削り、7回もペンキを塗り直す。風と海を相手にする厳しい競技から、「チームワークの大切さを学んだ」と話す。

部活にのめり込むあまり授業に行けず、ノートを借りてテスト勉強することも。ただ、「信念はしっかり持っていた」。「研究」と「臨床」の両方の経験を積める、と大学に残った。腎臓の研究で医学界をリードし、まさに「グローカル」の視点を実践してきた。

04年の国立大学法人化で、大学経営も一層の「効率化」を求められるようになった。最先端の研究などに取り組むための予算は、必ずしも潤沢とは言えないのが実情だ。それでも「やる気のある学生への受け皿はできるだけ整えていかなければ」と力を込める。

「今の学生はとてもまじめ。だけど、単位取得だけの勉強ではもったいない。将来を見据え、いろんなことに挑戦してほしい」。そのための環境整備に取り組んでいくつもりだ。【黒田阿紗子】

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■人物略歴

◇げじょう・ふみたけ

1943年、山梨県韮崎市生まれ。68年に新潟大医学部を卒業。医学部教授(第2内科)などを経て02年から5年間、医学部付属病院(04年から新潟大医歯学総合病院)院長。04年から副学長を3年間務め、昨年の学長選で第14代学長に選任された。任期は4年間。息抜きは、2人の孫(3歳と4カ月)と遊ぶこと。