『東京新聞』社説2008年2月7日付

教育再生会議 新機関は現場の直視を


教育再生会議は最終報告をまとめて幕を閉じたが、具体性を欠いた提案ばかりだった。後継の新機関が設置される。再生会議の轍(てつ)を踏まないよう、現場の実情を直視したうえで施策を検討すべきだ。

「国家百年の大計」とされる教育だけに期待していた人も少なくないだろう。だが、最終報告も内容は乏しかった。「この学校で学んで良かったと心から思える学校づくりを目指す」「行政が協力して総合的に青少年の健全育成を図る」などは、いまさらといえる。

臨時教育審議会や教育改革国民会議と比べて、これほど批判を浴びたのはなぜだろう。教育には多種多様な意見があるはずだ。もっと広く活発な議論が行われてもよかった。

最初から結論ありきのテーマがあった。「徳育を『教科』として充実させる」という提案だ。二次報告の段階から訴えられてきたが、中央教育審議会は教科化を見送る姿勢を示し、足並みはそろわなかった。

政府の考える価値観を押しつけることになりうる教科化には慎重意見が根強く、深い議論が必要だった。ところが、途中で安倍晋三氏が政権を投げ出した。旗振り役がこれでは提案に説得力を求めるのは難しい。

会議の委員選定は適切だったのだろうか。各界から人材を求めたのはいいが、提案は徳育や競争原理に偏った。教育がテーマなのに教育研究者は一人もいなかった。委員は日本各地の教育現場を視察したという。それは生かされなかったようだ。

土曜日を補習に使う公立学校は増えている。賛否が分かれるが、東京・杉並区立和田中は夜間に学校で進学塾を開いた。再生会議の提案よりも現場は学力向上などの課題を深刻に受け止め、すでに対応を始めている。教育研究者や現場の意見を取り入れるべきだったのではないか。

提案は本質的といえる問題への言及も乏しかった。座長を務めた野依良治理化学研究所理事長は最終報告を福田康夫首相に手渡した後、記者会見で「経済協力開発機構諸国に比べて日本は教育への財政支出が少ない。倍増すべきだ」と力説した。

しかし、最終報告は「必要な予算について財源を確保し、投資を行う」としか述べていない。「国の財政状態が厳しいから」と尻込みしてしまったかたちだ。財政に触れにくいのであれば、教育の分権や規制緩和にかかわる議論はどうだったのか。具体的な提案は見当たらない。

「提案を実現するために実効性を担保する」新機関がつくられるという。財政と分権の問題にも、次は踏み込んだ議論を展開してほしい。