『愛媛新聞』社説 2008年2月2日付

教育再生 議論の練り直しが求められる


政府の教育再生会議はおととい、最終報告を福田康夫首相に提出した。

一年前、第一次報告を受けた安倍晋三前首相は「すばらしい報告をまとめてもらった。今やるべきことすべてを網羅している。百点の案だ」と満足そうに語っていた。最終報告で再生会議、福田首相の双方にかつての高揚感がなかったのはいうまでもない。

再生会議は一昨年十月、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げた安倍前首相の肝いりで発足した。しかも前首相の教育改革像を追認する役回りを演じてきた側面が強かった。

特に第一次報告の中にそれは顕著に表れていた。「神話」や「徳目」などの表現が頻出する復古調の強い内容で、まるで「美しい国」の教育版だった。

そのほかにもゆとり教育の見直しや規範意識の強制、教育現場の管理強化、市場原理の導入など前首相の意向に沿った内容が目立った。いずれも国民の間ではさまざまに意見が割れている問題である。これでは政府の会議でなく、まるで私的集まりのようだった。

再生会議の目的は経済人を中心にした「教育素人集団」が、文部科学省が推し進めてきた教育行政に風穴を開けるのが目的だったはずだ。

しかし、この間に教育改革の議論が深まったかというと疑問だ。逆に現場に無用の混乱をもたらしたとの印象である。

例えば学力低下との因果関係を深く追究しないままゆとり教育の見直しだけが独り歩きした。徳育の充実を声高に提唱するが、道徳教育の現状分析はなかった。予定していた母乳育児の励行などを盛り込んだ「子育て提言」は批判を浴びて取りやめた。これでは説得力はなく、「言いっ放し」との批判が出るのも当然だった。

最終報告で再生会議が「最も重要なこと」としたのは、第一次報告から第三次報告までの提言の実現とフォローアップだ。そのための新たな会議を内閣に設置することを求めた。

これほどまでに提言の実効性にこだわったのは、安倍前首相の後ろ盾がなくなったことで、提言が有名無実化することへの懸念があったからだろう。再生会議は前首相の退陣とともに役目を終えたといえる。このため提言の実行には慎重であるべきだ。

福田首相は最終報告を受けて新たな教育改革推進機関を設置する意向を表明した。ただ首相は昨年末に再生会議第三次報告が提出された際、具体化を中教審に委ねる意向を示した経緯もある。関心の高い教育問題に引き続き取り組む姿勢を国民に示そうとの思惑もみえる。ポーズでなく自らの言葉で教育問題を語る必要がある。

学校現場ではいじめや学力低下が問題化している。教育の再生、改革が必要なことはいうまでもない。

一年余りの再生会議の反省を踏まえ、時には子供も含め国民を巻き込んで議論を練り直していくことが必要だ。