『産経新聞』2008年1月12日付

【発信−みちのくから】(9)山形大学長、結城章夫さん(59)


■大学改革ジリ貧に「待った」

学長就任から4カ月、着々と大学運営の合理化、効率化を進めている。新年を迎えた8日には「結城プラン2008」を発表。「教育」「学生支援」「組織運営・人事」など各分野での改革に結びつく、今年の運営方針を示した。

改革の重要性をこう説く。

「現在の大学は、国家財政が危機的状況ということもあって、予算がジリジリ削られて全体的に縮小傾向にある。昔のままの店構え、運営方法では、ジリ貧になって倒れてしまう。山形大もまさにそういう状況に追い込まれている」

その先には、国立大学同士、あるいは公立、私立も巻き込んだ統合再編や、大学運営に“集中と選択”が求められる大きな変革の時代が来るとの厳しい見立てがある。

「山形大も、何かを捨て、その資源を強いところに回すという選択と集中が求められるときが来るかもしれない。統合再編もあるかもしれない。そうなれば、他大学との協調や交渉力、学内をまとめる能力が試される。まさに国立大にも経営が求められる時代が来ている。これからの国立大に必要なのは、効率的、かつ創造的な経営だ」

官僚時代、常に組織管理の必要に迫られてきた。組織でどうすれば人が動くか、どうやったら無駄が省けるか、問題を起こした場合にどう対処すべきか。「その経験量は大学内で一番と思っている」と、自信をのぞかせる。

昨年9月の就任会見では、事務手続きの簡素化、効率化と意思決定の迅速化に取り組むことを明言。就任のその日に、5人の理事に権限を分権し、学内の意思決定のスピードアップを図った。4カ月たって「ずいぶんスムーズになった」と手応えを感じている。

                 ◆◇◆

学長への就任は、自身の人生設計では想定外だった。就任までも簡単な道のりではなかった。

文科省の事務次官だった平成18年10月、任期をまもなく終えようとしていた仙道富士郎学長から「後継者にどうか」と声をかけられた。光栄な話だとは思ったが、とても驚いた。事務次官を辞めた先輩たちにならって、文科省の外郭団体で次の仕事をすると思い、「大学の学長にとは夢にも思っていなかった」からだ。

しかし、国立大の法人化は、文科官僚として携わってきて、気に掛かっていたテーマ。故郷山形に貢献したいという思いも強くあった。

「学外から学長を呼ぶというのは珍しいこと。私にとっても大学にとってもチャレンジになるが、受けなくては男ではない」と、学長選への立候補を決意した。

一方、学内では、外部から学長が招かれるという異例の事態が波紋を呼んだ。文科省事務次官から学長選への立候補ということもあって、一部からは“天下り”にあたるとの厳しい抵抗と反発を買った。

学内からの批判には「国立大の学長はあくまで大学自らが選ぶもの」と冷静に反論。教職員が投票する「学内意向聴取」では2位だったものの、最終的な決定権のある学長選考会議で“逆転当選”を果たした。

                 ◆◇◆

官僚トップから異色の転身を果たした新学長は「山形大の将来を決して悲観していない」と目を輝かせる。「世界に誇れる有機EL研究など良いものもたくさんあり、独自の強みもある。山形大特有の分散キャンパスをメリット化するなど、今後取り組みたいことはいっぱいある」。

そしてこう続けた。 

「天下り議論も、結果次第。任期の4年がたって、私が山形に来たことが成功だったのか失敗だったのか、そこを判断してほしい」

静かで淡々とした語り口のなかにも、改革への強い意志、そしてそれを成し遂げる自信が、にじみ出ていた。(松本健吾)

                  ◇

【プロフィル】結城章夫

ゆうき・あきお 昭和23年、山形県村山市生まれ。県立山形東高、東京大学工学部物理工学科卒。46年科学技術庁入庁。平成13年文部科学省大臣官房長、17年1月同省事務次官。昨年7月に次官を辞職し、9月1日に山形大学学長に就任した。

文科省での思い出に残る仕事は国立大学の法人化と教育基本法の改正。山形大では運営面の改革のほか、専門性に加え高度な教養や徳、品格を養う「教養教育の重視」の人材育成を掲げる。趣味は合唱、お酒、散歩。楽観主義者を自任し、座右の銘は「前向き 外向き 現場主義」。